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徒然なるままに・・・011_20220504

高校時代(その1)

一度だけタイムスリップして人生をやり直せるなら・・・

迷うことなく高校1年生を選ぶ。時々後悔の念に駆られる。
一方で、あの高校時代があったからこそ今の自分があるという誇りもある。

私が後悔していること。3年間まったく勉強しなかったことだ。
当時、私は何も考えずに高校受験した。勉強を楽しんでいた延長線上に進むべき高校があり、そこを目指して頑張るというより、日々勉強した結果、その高校があったのだ。自分を含め、周囲の皆が入って当たり前と思っていた。

入った途端挫折した。授業が全く分からなかった。えっ何?どういうこと?
皆、中学時代からの延長で黙々と、淡々と勉強を続けていた。どうやら入学前から大学受験の準備をして、対策のための塾にも通い、授業のための予習もしていたようだ。
その時の私の印象は「皆が卒業後(つまり大学受験後)を目指して『今を生きている』」ということ。私、ここにいまーす。皆と一緒に高校生活エンジョイしたいでーす。独り取り残された・・・

今思えば、皆がそれぞれに「今を生きていた」。高校生活もそれなりに楽しんでいたようにも見える。当時の私にはそう映っていなかった。ただただ受験戦争に赴く戦士のように完全武装し、ひっそり戦略をたて、この3年間は目的地までの緩衝地帯であると言わんばかりの虚構に満ちた日々がそこにあった。

「3年後、大学生になった自分」を想像したとき、突然、馬鹿馬鹿しくなった。あんなに好きだった勉強をする意味さえも見失った。今、この瞬間を努力することさえ、無意味に思えた。そして私は早々に前線を離脱、独自の路線で突き進んだ。

なぜ今後悔しているかというと、「若いあなたの講釈はさておき、騙されたと思って、思いっきり勉強頑張ってみませんか」もしあの時、皆と切磋琢磨して自分の限界まで勉強頑張っていたら、どんな大学に入ってどんな道を進んでいただろう、と「やってみた自分」を見てみたいと思うから。

あの時の私は、私なりの言い分(今となれば「言い訳」?)があった。
・家から通える大学であること
・その大学は自分のモチベーションをあげるほどの魅力がなかったこと
・将来なりたい職業が定まっていなかったこと
・働くというイメージが自分にはまったくなかったこと
・20歳を過ぎたらすぐに結婚するものだと思っていたこと
私の住んでいた田舎には家から通える大学がほとんどなく、同じ県内にある公立大学ですら下宿が必須で家を出なければならなかった。家から通えるという理由で大学を決めたくなかった。「家から出られない」という箱入り娘の事情にも嫌気がさした。親の金で大学に行くということにも気が引けた。経済的に大学に行かせてもらえないような家庭ではなかったが、当時から親の金で云々かんぬんが嫌いで、親に金を出してもらえば自分の主張が通らないという恐怖の方があった。そもそも行きたい学部が見つからなかった。

選択肢があまりにも少なかった。自由度がなさすぎた。大学受験という選択肢を捨てた途端に、無限の自由を得た。勉強をしなくてもいい自由。将来を先延ばしにする自由。誰よりも自由だった。

両親は私が大学に行く目標をもたず、勉強を全くしなくても何も言わなかった。自分たちの仕事が忙しすぎて私に関心が向かなかったのか、大学に行く費用を出す必要がなくなってラッキーと思ったからなのか、長子のため子育てに困って親としての正解に悩んでいたのか、よく分からない。(たぶん私を手放す勇気がなかったのだと思う。このまま就職してくれれば・・・そして家を継いでくれれば・・・と淡い期待を抱き、好きなようにさせてくれていただけだろう。)

進学校において、就職を決めたのはごく数名。しかもそれは家庭の都合でというものであり、良い成績でありながらやむを得ず就職した人たちだ。私のように好き勝手に勉強もせず、就職も決めず、のんきに卒業しようとした生徒は珍しく、本当に(地元の)名門校泣かせの問題児であった。

ところで私の最終学歴は大学院(修士)修了である。結局、自分の進む道を自分で決めたい、という強い意志を貫いたゆえの高校時代であり、その後に出会う人々から良い影響を受け(中には反面教師的な人との出会いもあり)、やはり「生きていくために教養は必要だ」という結論における学業の修正を行った結果である。

こうして「常に自分の道は自分で決める」という我が道が作られていった。

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