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★ほのぼの特番(読書感想文)_20230314

高見純代さん著書『薔薇のノクターン』読みました

今日は1か月前から、この記事を書くと決めていた。

2月14日、バレンタインデーの日。私は高見純代さんの記事を読んだ。
「デートしたかった……」

本当は次に読む本として、(高見さんご自身もこれが一番の自信作と言われていたこともあり)『追憶の光』を考えていたのだが、この記事に触発され、『薔薇のノクターン』を先に読むことに決めた。

そして、本日の記事は、高見さんの記事紹介、著書紹介であるとともに、私なりの気持ち(高見さんへのホワイトデープレゼント)をお届けしたいと思う。


私の義母は現在入院中だ。昨日、手術もした。この状況下で、私は『薔薇のノクターン』を読んだ。
ご自身が病気である場合、ご家族や親しいご友人等に闘病の方がいる場合、この本はとても勇気づけられる本であると思う。
そして、高見さんがnoteにて、「愛」「祈り」の活動をされていることが深く理解できる作品だ。

高見さんは小さい頃から体が弱く「病」ということに長い間向き合っておられる。40歳を前に乳がん、子宮がんと連続して大病を経験され、現在に至る。
こう書けば、病を経験したことのない人(つまり私のような人間)には、なんとなくしか伝わらない。
その人と同じ境遇を体験しなければ、この辛さや凄さは伝わり切らないだろう。同じ境遇を体験できるかって?到底無理だ。私だったらどの段階で人生を諦めただろう、と思う。正直、こんなに強くたくましく闘えない。

この本は、あとがきにも触れられているが、完全なノンフィクションではない。「いけばな嵯峨御流」に生きる価値を見出し、支えられてこられた高見さんだからこその手法「虚実等分」を駆使して、実(病)の部分と虚(闘病にまつわるエピソード)を上手く混ぜ合わせて一つの作品として世に放たれた。

この虚の部分については、おそらく闘病時に抱かれた希望や早く解放されたかった苦痛を、(上手く表現できないが)これからご自身が生き抜いていくために、こうであれば良かったという形(気持ちの昇華)にされたのではないか、と思う。
私自身は高見さんはとても上品な女性で穏やかで・・・という印象を持っているが、実際に病に打ち勝ち、惜しげもなく表現をされていることから、とても強く、スマートで、大胆な方だという印象をもった。そして、これを書くことで多くの人に希望を与えたいという強い意志も感じさせる。

K先生は実在された方であろう。そして、高見さんが本気で愛された、初めてのお方。恋愛小説かと思いきや、私には闘病生活日記に近く、むしろその闘病時に高見さんを精神的に支えてこられたK先生の存在は、流れる水のように描かれている(少なくても私にはそう感じられた)。
あえてK先生の存在を強調しない。そこに高見さんの本物の愛を感じる。きっと高見さんだけのものだ。私たち読者が知る由もしない、深い深い愛だ。

初めて経験をしたピュアな恋心。患者として向き合いながら一緒に病と闘いたいという強い感情。命を救ってもらったという深い深い感謝の心。女性としての大切な機能を失う悲しみとそれを乗り越えられた先に得られた女性としての愛情。

生かされていることには必ず意味がある。
K先生と出会ったことには必ず意味がある。
病気を経験したこともきっと誰かの痛みや苦しみに寄り添える深い慈悲の心を備える礎となった。

『薔薇のノクターン』は多くの人の心を救う作品であろう。


純代さんへ
ホワイトデーに、キラキラと降り注ぐ何かが舞い降りて、純代さんの心を幸せでいっぱいに満たしてくれるといいなと思います。
そして、これからも恋する気持ちを忘れることなく、愛情を捧げられる純代さんにとって唯一の素晴らしい男性に出会えることを祈っています。
誰かのために祈る、愛情深い純代さん。私はあなたにこそ、幸せになってほしい。
(By K先生が憑依したうぉんのすけ)

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