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明日の種をまく 121_20240114

私の世界は広いのか、狭いのか

5年前に転職を考え始めた頃、思っていたことがある。
「このままでは私の世界はどんどん狭くなる」

目の前のことに必死で、しかも価値観がとても偏っていて、外界とつながっているようで全然つながっておらず。
どうやって世界の動きに合わせて変えていくのか?ということばかりを課題にしていた。

あの閉塞感は例えようがない。
目の前の仕事をすることが私のミッションであり、全てであった。
とても個人的なことに何時間も費やして、全体のことがおろそかになる。
いざ全体を見渡そうとしても、自分が身をおいている世界はたったこれっぽっちの小さな社会なのか、と愕然とする。

そんな狭いと思っていた世界を飛び出して、一人流浪人になる。
私の世界は自由だった。
どことだってつながっていられる。

あんまり広い世界に飛び込んだものだから、私は逆に道を見失ってしまった。
何のどこの世界とつながりたいのかもわからなくなった。

「井の中の蛙大海を知らず」

井の中の蛙は本当に大海を知るすべはないのだろうか。
井の中の蛙が大海に身を乗り出したら蛙は生き続けられるだろうか。

もしかしたら、私は自分が「井の中の蛙」であることを知っていただけでもよかったのかもしれない。
「大海を知りたい」と願うその気持ちだけでよかったのかもしれない。
井の中の蛙は「井の中の蛙なりの生き方」があったのかもしれない。
大海を知ったところで大海で生きられるとは限らないのに。

私は一度大海に出たものの、井の中が恋しくなり、また戻ろうとしている。

大海は井の中の蛙には広すぎた。

大海はとてつもなく広く、蛙以外のたくさんの生き物が存在している。
分かり合える人、協力して生きている人もいるかもしれないが、蛙は・・・小さすぎるぞ(笑)

そんなこんなで井の中に戻った私は、たえず大海を夢見ている。
あー広かったな、大海・・・

チャレンジするには広すぎた。
でも、大海を知った蛙はこの井の中には少ない。
私は自分の存在価値を知る。
この井の中で大海のことを伝え歩こう。

井の中の古い考えを変えていこう。
皆がちょっとでも大海に目を向ければ、井の中が改善されることだってあるかもしれない。

そうして、私は井の中で生きる意味と目的を見つけた。
もう怖くない。
大海を知っているのだから。

大海で生きていく勇気はないけれど、井の中で果敢に挑む生き方はできる。
いつかまた大海に出る機会があったら、その時のために気持ちだけは捨てないでおこう。

私の見ている世界は広いのか、狭いのか、結局のところまだよく分からない。


<1年前の”ほのぼの日記”> 
へー、昨年は14日からインスタントフィクション書いてたか。
今年は16日の予定でござる。ちょっと前に作ったんだけど、16日に投稿したくて。


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。



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