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障害って何だろう?

漏斗胸という障害物

いきなりぶっちゃけちゃいますと、

私は胸の中心が凹んでいます。

生まれた時から。

漏斗胸(ろうときょう)っていいます。別名は胸郭変形っていうらしいです。

これを読んでくださっている方の中にもいらっしゃいますかね?

もしくは聞いたり見たりした方とか。

1000人に1人くらいの確率でいらっしゃるらしいです。男女どちらもなる上で、男性が7割ほどの割合らしいです。

なんでも、前胸部の辺りで肋骨と胸骨が結合する部分があるんですが、ここは柔らかい軟骨らしくて、呼吸したりする度に内側や外側に圧迫されて骨が変形することで、結果胸が凹んでいってしまう、というのが一説らしいですが、確かな原因は不明らしいです。

人によっては、命に関わるので、胸部の手術が必要。乳幼児期になることが多いので、物心ついたら手術が終わっている方も多いのでは。

私はというと、母親のお腹にいる時に凹んじゃったらしくて、なんとかそのままでも命に別状はなかったので、「身体に傷を残すのは可哀想」という親の判断で手術はしなかった。


世間のリアクション

ただやはり人間、自我が芽生えると気になっちゃいますよね!

小学校にも上がると、子供たちは未知のものに良くも悪くも興味津々

プールの時間。プールを一周グルーッと囲んで準備体操するんですが、50個ぐらいの目ん玉がこっちを見ているんです。

こんな注目のされ方は望んでない〜。まあそれでも優しい子ばかりで助かったなあ。

でもそれが中学校では、無視とかいじめに変わっていくんですよね。

体操着に着替える時もそうだし、林間学校や修学旅行のお泊まりも皆で大浴場に入るからイベント事が嫌で仕方なかった。部活の合宿も辛かったな。

大人になってからも、友人に「旅行に行こう」「サウナに行こう」って誘われても、適当な理由を付けて断るしかないでいる。

それが常にネックとなって消極的な交友関係しか築けず、どんどん人付き合いは減っていき、今や最小限の人間関係。どうも人間関係ミニマリストです(爆)

漏斗胸であることに引け目をとらず隠さずに、堂々と明るくしていた方が絶対良いって頭では分かっているんだけど、相手の反応を見るのが怖くて。毎回負担で。

手術しろよ!と言われれば根も葉もないが、、体にメスを入れるのが怖いChicken男子。いや成人男性ぽよ


漏斗胸の有名人

漏斗胸で人前に出ている立派な方で、リオオリンピックの競泳男子100メートル平泳ぎで銅メダルを獲得したアメリカ代表のコーディ・ミラー選手という方がいます。

ミラー選手は幼い頃に漏斗胸を発症し、一般人より肺活量が20%近く少ないと診断された先天性の病を克服するため、8歳から水泳を始め、24歳の時に堂々の銅メダルを獲得したという経歴の持ち主です。

多くの漏斗胸の人に勇気を与えてくれたんじゃないかと思っています。


障害を克服しようとした過去

かくいう私も小学生の頃に、身体を鍛えるため、器械体操クラブスイミングスクールに通わせてもらっていました。

漏斗胸の影響による肺活量の少なさを克服するのにスイミングが良いと聞いていたし、生まれつき喘息持ちでもあったので体を鍛えること自体が良いという判断の元に親が通わせてくれた。感謝しています。

ただ、私はどちらも一年ちょいで辞めてしまいました。

小学生ながらに、自分が極度の内気コミュ障なのは理解していたが、、、

器械体操は、小5から始めて一年経った時、一学年上の先輩が中学入学と共にクラブを卒業したので、私が小6として年齢が一番上になってしまい、先生に「クラブを引っ張っていってくれ」と言われて、「実力や経験年数は下級生の方が上」であることと、「仲良い先輩が卒業し、苦手な下級生が残った」という状況を勘案して、、逃げちゃったー!!

スイミングスクールは、やはり常に凹んだ胸を見せびらかしている状況で、恥ずかしさ・後ろめたさがコミュ障に拍車を掛けて頭がショートしそうでした。

周りの子たちとは打ち解けられない壁があったし自分でも作ってしまっていたんだと思います。水泳コーチですら、そんな小学生にどう声をかけて良いかわからなかったみたいで、私は耐えられなくなって辞めてしまいました。


大人の今思うこと

大人になった今でも、本当は海に行ってサーフィンもしてみたいし、銭湯にも気軽に行ってみたい。なんなら、鍛えた体で写真集を取ってもらいたい。

でも、未だに私は漏斗胸については人にどう思われるかを気にしてしまうんです。

「人がどう思おうが、自分が気にしなければ良い。」そうも言われて育ちました。でも、私は人に何かしら思われてしまっているという事実がもう楽しくないんです。そっとしておいてほしい。

浜辺に行けば、人から好奇な視線を向けられることは必至。無理やり気にしないふりで過ごしても、気にされているという事実が楽しくない。

暗いですか?笑

大丈夫!普通に過ごしている分には元気元気ですから!


障害って何?

体に障害を抱えても堂々と社会の中で生きている方をメディアで見かける事があります。特にパラリンピック特集なんて見ていたら、本当に感動してしまいます。

そんな時、いつも考える事があります。

そういう方々は本当に「障害者なのか?」って。

パラリンピックに出場されるようなハイレベルな方々が抱えている障害と呼ばれるものは、過去には確かに物理的な生活のし辛さや世間の視線を感じて精神的に生きにくいなどの状況によって、"障害"と呼びうるものだったかもしれません。

しかし、その方々が障害を障害のまま捉えていたら、パラリンピック出場するほどに物事に打ち込めたでしょうか?

どん底の感情と向き合い、時には死んでしまいたくなる程の葛藤と戦いながらも、自らの中の障害に対する精神的な壁を打ち破ったから高みへ行けたのではないか、そのための努力を出来たのではないか、と私は思っています。

障害を抱えた方々にとって物理的な生活のし辛さは、人によっては一生うまく付き合っていく他ないのかもしれません。

それでも、他人の視線を極力気にせず自分が生きたい方向に努力して、もしくは自然体で生きていく。これは自分次第で出来るのではないか。選手を見ていて、そう思わせてもらえています。

だから「障害」とは自分の心だって思います。

ウマが合わない人がいた時に、その人の心を変えるのは難しい。

まずは自分が変わること

気持ちは伝染する。

明るい人を見れば明るくなれるように。

少なくとも自分が変われば、一歩前進ですよね。

人生、それがいいと思うんです。自分が日々一歩前進する事。

障害じゃなくて、課題を与えてもらっているんだ、と思います。

私は、これからも人生かけて課題に取り組みます。

いつか提出できる日が来ることを信じて。


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