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失うことに恐怖を覚える、執着を無くすことが次への欲求の満たし、幸せへの一歩ではないのだろうか?


いつも読んで頂き、ありがとうございます。


今日は、ふと思った変な事を書こうと思う。


人は何か物を集めたり大切にするものがありますね

勿論、自分も無いわけでは無いのだけれど

集めたり大切にすることが、どうなのか?という話では無く

一度手に入れてしまった物に対しての時間や思い入れが

大きければ大きいほど、その場所から離れられなくなる

これを依存と言うのか執着と呼ぶのか難しい事は知らないんだけれども

自分が予想するに、一度手に入れてしまった物を失う恐怖に耐えられないんじゃないのかな?って考えている。


他人から見たら

そんなもの必要ないでしょ』ってな物が

いつまでも使いもしないのに押し入れの奥底にしまってあったり

着る事の無い服をいつまでも掛けっぱなしにしていたり・・・


使いもしないものをいつまでも置いておく


見方によっては、物を大切に扱う事の出来る人

でも反対から見たら

自分にとって何が大切な物か分からない人


こんな風にも捉える事ができます。


また違う日に書いてみたいなと思いますが

《断捨離》

これは大切な事だと考えます。


要らないものを無くす

でも必要な物もある

それは一度無くすか、捨ててみないと

気が付かない事もある


最低限のものだけあれば生きていける

《ミニマリスト》ここまでは確かに難しい

でも、

いつまでも捨てられずに

《ゴミ屋敷》になるのもちょっと嫌だ


自分の心に聞いてみるといい

本当は何が必要なのか?


いつかは・・・

こんな必要のない物に思考を止める事が無いように

思えば執着する事で
その場所に囚われてしまう事になる
すると、どうなると思いますか?

その場所から離れられないから、次の場所に向かうことが出来なくなるのです。何かの欲求が発生しても、いえ、もしかしたら発生すらしないのかもしれない。

幸せになりたいと願う事があるのであれば、物事に対して、人に対して、自分の考えに対しての《執着》を無くす必要がある。

自分の精神世界での《本当の幸せ》を見つける為には、今の自分の狭く小さな固定観念と言うものでさえ断捨離の対象と考えることができるのではないのだろうか


恐怖と言う感情は、知らないが故の怖さ。
言うなれば、無知であるが為に感じる事もあるだろう。もしくは過去の辛い経験からの記憶で恐怖する事もあるだろう。

しかし、その場所から動かない事は本当に幸せな事なのだろうか?まだ知りもしない世界も見ようとせずに目の前に見える《現実》だけに目を向けて離れる事が出来なくなり、今が一番幸せなのだ!と言う、幻想に囚われてしまっている現実

これは恐らくだが、心の底ではそう感じている事はないはず。自分の本当の意味での幸せとは何かを求め、新しい一歩を踏み出す勇気を持てるものが自己理解を深め、目的を見出し少しづつでも確実に近づいていく事が出来るのではないだろうか。


今日も意味不明
明日も多分意味不明
毎日が理解されない意味不明な日常
迷惑と感じたり混乱するのは周りにいる人🤣


でも、そんな自然体の自分でいる事が自分にとっては幸せに近づく為のスタートライン
そんな自分が今日も大好き😘

いつも現実世界に生活しながら

意味不明の精神世界でも生きている

そんな自分の意味不明の記事を今日も読んでくれてありがとう。





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