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「何者にもなれない」と思う人は、何かに真剣に向き合っている人

「自分は何もできない……」
「自分は何者にもなれない……」

そう思って落ち込むことはありませんか?

でもあなたがそう思うのは、目の前の物事に真剣に向き合っているからこそ、なのかもしれません。

この記事を読めば、何もできない自分、何者にもなれない自分を好きになる一歩を踏み出せます。

理学療法士ヲキタの場合

私は理学療法士というリハビリの仕事をしています。資格を取ってからかれこれ10年近く、実際に理学療法士として働いた年数は6年ほどになりました。10年という数字だけ聞くと大ベテランのような気がしますが、実際の私は仕事に対して自信がありません。以前こちらの記事に書いたように、仕事を頑張ることを諦めたからです。


「役立たずの自分でもいい」と思えたことで逆に仕事を好きになり、頑張ることができるようになったという話なのですが、その中で以下のようなことを書きました。

本来は、理学療法士として日々研鑽に励むべきなのですが、私は自分を守るために「仕事ができない人になってもいい」と思うようにしたのです。その代わり、「自分がどんなに役立たずでもいい、それで嫌われてもいい。この職場で仕事を長く続けられるように、無理をしないようにしよう」そう覚悟して、仕事に臨むようになりました。

当時の私は、自分を守るために「無理せず、仕事はほどほどにする」という選択を取りました。結果として無駄に入っていた肩の力が抜け、仕事に向き合えるようになりました。

しかし仕事に真剣に向き合うことができたのが比較的最近であるため、資格を取ってから10年近く経っているにも関わらず、自分の知識が乏しいという事実に愕然としました。「自分は自分、他人と比べることに意味はない」と分かってはいても、同期や後輩と比較して落ち込みました。

落ち込んではいましたが、これまでの経験上、私は頑張りすぎると心身の調子を崩してしまうため

「落ち込みながらでも少しずつ、前に進んでいけばいい」

と自分に言い聞かせながら、理学療法士という仕事と患者さんに向き合い続けました。

しかし、分からないことの勉強をすればするほど、さらに分からないことが出てきて、頭が混乱していきました。分からないことだらけで、収拾がつかなくなったのです。何冊も本を引っ張り出して読んだり、インターネットで調べたりしました。それでも、どんどんわからないことは増えていきます。それに加えて家事もしなくてはならないので、1日が24時間じゃ足りないと感じる毎日。

「ぜんぜんできるようにならない……」

そう思ってはまた落ち込みました。

上司と母からの意外な言葉

先日、育休後の職場復帰のために上司と面談をしたときの話を書きました。

「職場復帰した後はみんな焦りがちだから、焦らずやってくれたらいい」

と優しい言葉をかけてくれた上司。

「年齢だけ重ねて、ぜんぜん仕事ができるようになった気がしない」

と私が本音をポロっとこぼすと、次のように返事が返ってきました。

「どれだけやっても、できるようになったなんて思わないよ」

その話から「苦手なことは隠している」という話に繋がったのですが、それは上の記事に書いたので割愛します。

上司は私より何年も長く理学療法士として働いていて、頼りがいのある先輩です。いつもいろいろな知識やモノの見方を教えてくれるのですが、そんな上司でも、自分が仕事ができるとは思わないようなのです。本当に驚きました。

また、その2日後に母とこんな話になりました。

「私みたいな凡人が何かを書いて発信しても、読んでくれる人は少ない。まずは自分が他人から興味を持ってもらえるような何者かにならないと」

と私が最近考えていたことを話すと、母は

「私も長く今の仕事をしているけれど、これだけやっても、何者かになれた気はしないよ」

と言ったのです。

母はもう20年以上、周囲から「先生」と呼ばれるような仕事をしています。周囲の人たちから頼られ、豊富な知識と経験を駆使して他人の役に立っているように私の目には見えていました。

ですがそんな母は自分のことを、「何者でもない」と思っているようなのでした。


この短期間で2人の尊敬する人から「どれだけやっても、できるようになったとは思わない」「何者にもなれない」と似たような話を聞きました。2人からそれぞれ話を聞いた時、私はとても驚いたのですが、それと同時に「2人とも同じようなことを感じているのだな」ということに気付きました。2人の共通点は何だろうかと考えてみると、あることに行きつきました。

真剣に向き合っているからこそ、分かることがある


それは

「目の前の仕事に毎日真剣に向き合いつづけている」

ということです。

「どれだけやっても」「これだけやっても」と言えるくらい、上司と母は仕事に対して向き合い続けてきたのだと思います。母親に関しては、毎日遅くまで働いている姿を幼い頃から間近で見てきました。2人とも、日々努力を重ねることのできる人でした。

だからこそ、「自分はまだまだだ」と上を目指すことができ、さらに努力を重ねてきたのだと思います。そこまでしてきたからこそ、「できるようになったとは思わない」「何者かになったようには思わない」のだろうなと思います。

何も努力しなくていいというわけではない

「どれだけやっても、できるようになったとは思わない」
「これだけやっても、自分が何者かになったなんて思わない」

だからといって、何も努力しなくていいというわけではありません。上司も母も、これまで目の前の仕事に懸命に取り組んできたからこそ、周囲の人々からの信頼を得てきたのです。

ただ、無理に努力する必要はありません。

私は一度、仕事ができる人になることを諦めました。無理に頑張ることを辞めたのです。結果、仕事に向き合えるようになったので、無理に頑張る必要はないと思っています。

無理せずに努力できる状態、努力したいと思える状態に自分がなれば、その時に大いに頑張ればいいのです。

何者にもなれないという事実は、真剣に向き合っている証拠


大事なのは、物事に真剣に向き合い続けるということ。

どれだけ努力しても、できるようになったと思わないかもしれません。自分が何者にもなれないと思うかもしれません。

しかしそれこそが、自分がその物事に対して本気で向き合っているという証拠になりうるのです。

できないことに落ち込む自分、何者にもなれない自分がいることに気付いたら、きっとあなたは何かに真剣に向き合っている、とても素敵な人なのです。

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