見出し画像

すごいと思うあの人も、うまく隠しながら生きている

みなさんには憧れている人はいるだろうか。
身近なところだと親、兄弟姉妹、友人、職場の先輩や同僚、後輩などに一人くらい「この人はすごい」と思う人はいるのではないだろうか。
たとえ身近にいなくても、有名人でも芸能人でもいい。歴史上の偉人でもいい。「自分もこうなりたい」と思うような人がいるのではないだろうか。

そしてそんな憧れの存在と自分を比較して
「自分はダメだ」なんて落ち込む人もいるかもしれない。
そんな人にとっては、今回の記事は読んで損はない内容であると思う。
この記事を読めば、あなたもきっと誰かの「すごい」人であることに気付けることだろう。

はじめに

私の仕事は、理学療法士というリハビリの専門職である。
「理学療法士とはなんぞや?」と思われる方は、広江さんの記事に詳しく説明してあったので読んでみてほしい。仕事内容に加えてやりがいやツラいことなども書かれていて、具体的に理学療法士としての仕事をイメージしやすい良い記事である。

他の記事でも書いているが、私にはもうすぐ1歳になる娘がいて、私自身は現在育児休暇を取得している。5月から職場復帰予定なのだが、およそ1年間のブランクがあるため、今から心臓がバクバクしている。

そんな私の緊張を察してくれたかのように、職場の上司が復帰前に一度面談をしてくれることになった。そして昨日がその面談日だったのだが、そこで言われたある言葉が印象的だったのでご紹介したい。

弱い部分は隠せばいい(時と場合による)

面談は上司2人とそれぞれ1対1で行われた。復帰日の確認、復帰にあたっての疑問点、現在の職場の私の体調の確認などが主な話だった。

「これは復帰する人みんなに言っていることだけれど、子育てと仕事の両立に焦ってしまって頑張りすぎて生活が破綻するといけないから、まずは自分の暮らしのリズムを整えることから始めよう」

とやさしい言葉をかけてくれた。よい上司に恵まれたな、と思う。

2人の上司のうち1人と面談している時に、今後私がどのように働いていくかという話題になった。どの病棟でどんな病気の患者さんを担当するか、といった話だ。

理学療法士のリハビリには、「脳・神経系疾患」「整形疾患」「呼吸器疾患」「心疾患」「小児」などのさまざまな分野がある。しかし私には、興味のある分野がこれといってない。でも他の理学療法士には専門にしたい分野があることが多いようで、新人の頃はよく先輩に「どんな分野にすすみたいの?」などと聞かれて、返答に困ったものだ。

今回も同じような話になった。分野の希望を聞かれたときに、私は正直に
「特にこれと言ってないんですよね」と答えた。

さらに、
「しいていうなれば、目の前の患者さんが少しでもよくなるように、まんべんなく知識が欲しい」
「自分が後輩が増えてきて自分が指導する立場にもなってきた。適切な指導をするために、苦手な分野の経験や知識も必要だと思っている」といったことも話した。どちらも今の私の正直な気持ちだった。

すると、話を聞いていた上司はこんな言葉を口にした。

「患者さんによりよい医療を提供するために、自分の苦手な部分を必要なだけ補っていこうという気持ちがあればそれでいい。だけど気負う必要はない」

そしてこう続けた。

「私は仕事ができているように見えるかもしれないが、苦手な分野はたくさんある。そうした苦手な部分を、うまく隠しながら生きているんだよ」

すごいと思っていた上司からこのような言葉がでてきたのは意外だった。
私から見ればその上司はいろいろな分野に精通していて、患者さんにも後輩にも頼りにされているように見えた。実際に、私も頼りにしていた。しかし、そんな上司にも苦手な分野はあるという。とてもそんな風に見えないが、それは上司自身がうまく隠しているのだと知った。

「私にだって、できないことや知らないことはたくさんある。でも患者さんや後輩の前では頼りになる存在でないといけない。だから苦手をうまく隠しながら生きている」
「もちろん、分からないことやできないことがあれば、詳しい後輩を頼るけどね」

すごいと思うあの人も、うまく隠しているだけかもしれない

完全無欠の人がいないことは分かっている。
分かってはいるが、他人のことはどうしてもよく見えるし、「この人は完璧だな」と思う人に出会うことがある。「すごいな」と思って自分と比べて落ち込むこともある。

でも実は、自分が「すごい」と思うような人でも、実は自分の苦手なものをうまく隠しているのかもしれない。そして、苦手なことは他の人にうまく頼っているのかもしれない。上司の言葉の裏側には「賢く生きろよ」というメッセージがあったように思う。

今の自分を認め、苦手は苦手と受け入れることは大事だ。苦手なことをさらけだした方が周囲の協力も得やすいかもしれない。しかし、自分や周りを守るために、必要に応じて苦手な部分を隠すこともできるのだよ、とその上司からは教えてもらった。

そう言いながらも「苦手を隠して生きている」と教えてくれたのは、自分の弱い部分をさらけだしてくれたということだ。「隠していること」を隠さずに教えてくれたことで、上司の人間らしさが垣間見え、より身近に感じるようになった。

私の目には「すごい」と映っていた上司も、自分と同じ一人の人間だったのだ。

隠しても、さらけ出しても、どっちでもいい

上司は「うまく隠せばいい」と言ったが、私としては
自分の苦手なこと、弱い部分を隠してもさらけ出しても、どちらでも良いと思っている。時と場合によりけりだとも思っている。

時には隠して、時にはさらけ出して。
そんな生き方があってもいいと思う。

あなたが憧れているあの人も、もしかしたら自分の苦手を見せていないだけかもしれない。見えないだけで、誰にだって苦手なことはある。もしかしたら、自分も他の人から見てみれば、すごい人なのかもしれない。そう思えば、他人と比べて落ち込むことは減るように思う。

完全無欠の人はいない。お互いに苦手なことを得意なことで補いながら、助けあえる関係性が築ければそれでいい。

生きていくことに正解なんてないし、間違いもない。

完璧でなくていいのだ。隠したって、さらけ出したって、どちらでもいいのだ。自分の思うように、生きていこう。






私の書いた文章が面白いと思ったらサポートしてくださると嬉しいです! いただいたサポートはより充実した記事を執筆するための書籍代にしたいと思います。