すべてのワーママに告ぐ。自分で自分を苦しめるのはおしまいにしよう
突然ですが、よいお母さんってどんなイメージでしょうか。
「毎日ご飯を作ってくれる」「家事をいつもやってくれる」「夜飲みにいかない」みたいなイメージが私にはあります。
しかし働くお母さんがめずらしくなくなった現在、別の「いいお母さん像」があるんじゃないかなとふと思いましたので、今日はその話をしようと思います。
私自身、ワーママです
じつは私自身も働きながら6歳になる子供を育てているワーママです。
仕事はできる方ではないですが、チームメンバーの力を借りて管理職をさせていただいてます。
お母さん像は地域によって違う
私の住んでいる地域はちょっと保守的です。
「あそこのお母さんは ”まだ” 働いてるから」と言われたり、夜遅く子供と帰宅するとヒソヒソされたりすることもあります。
正直いい気はしないですが、ヒソヒソしたくなる気持ちもわかります。私も保守的に育てられたからです。
私の「お母さん像」はこれでいい?
私は、自分がもっていた保守的なお母さん像を崩しながら働いてきました。
仕事も精一杯がんばる
メイクもするしネイルだって(たまに)する
コロナがはやる前は飲み会にも行った
これからの時代は働くお母さんの背中を子供に見せていった方がいいんだ!と思っていたりしました。
でもなんかもやもやするんですよね。定期的に「本当にこれでいいのかな…」と不安になるときがあるんです。
キャリアが途切れる不安
私は人事として働いていたことがあります。その時の経験では、お母さんの職場離脱が多かったのは、
お子さんが2~3歳のころ
お子さんが小学校に上がるころ
でした。実際に母親になってみて、これ、すごくわかります。
私はまだハイハイもしていない0歳の子供を保育園に預けて、フルタイムで復帰しました。
無理をしてでもフルタイムにこだわったのは、キャリアが途切れてしまう不安を抱えていたから。
保育園の先生からは「子供がかわいそう」と言われたり。かといって時短で復帰すれば、キャリアの表舞台から何年か離れなければならない。
時短じゃなくなったとしてもまた一線に戻れる保証はありませんから、「じゃあ、どうすればいいの?」とものすごくやるせない気持ちになりましたね。
理想と現実のギャップが苦しい
WHOは現在、母乳育児を推奨しています。産院でも授乳を勧められます。
でも授乳っていつ終わるかご存知ですか? 長い子だと4歳くらいまで続きます。育休使って休めたとしても、保育園に預けられなかったらキャリアはあきらめなければなりません。
抱っこについても考え方が変わっています。
ひと昔前は「抱き癖がつくから抱かなくていい」「子供は自立させよう」という方針が主流でした。
今は「たくさん抱っこしてあげましょう」「目を見て話しかけてあげましょう」「子供のペースで進めてあげましょう」に変わってきています。
一度手を止めて数秒向き合ってあげればいいんだよね。わかります。でも実際、自宅で働いていると、そうしてあげられる余裕はありません。
頭では理解しているけれどできないことで、どんどんストレスが溜まっていきます。
お母さんのキャリア離脱が最適解?
日本ではまだまだ男性の方が女性より給与も高いし出世もしやすい。世帯所得など総合的に考えると、お母さんだけがキャリアを分断せざるを得ないのが現状です。
でもよく考えてみてください。
現在の日本では、3組に1組が離婚しています。離婚した後、キャリアを分断したお母さんは途方にくれるはず。
キャリアを分断した後になにかあっても、不自由なく子供を育てていく自信は私にはありません。
「パパをうまく使って楽しく育児♪」
「リモートワークで子供ともニコニコ♪」
「お母さんだってオシャレを諦めない♪」
ちまたには嘘のような魔法の言葉があふれていますが、よほど理解のある職場でない限りむずかしいのが現実ではないでしょうか。
自分で自分を苦しめるのはおしまいにしよう
かつての私はいいお母さんでいようとしすぎるあまり、カレーも麻婆豆腐もできるだけ市販のものを使わずに作っていました。
料理は得意ですけど、じつは大嫌いです。「いいお母さん」であるために無理してやっていたんですよね。
「いいお母さん」も「いい社員」もどっちも100点でやりきるなんて無理。どこかに歪が出るんですよ。どこに出るかって? お母さんの心です。
世の中には忙しい人を助けるためのものがたくさんあります。たとえば冷凍食品やマクドナルドを使うことを自分に許可してもいいんじゃないか。
お母さんが心から楽しく仕事をして活き活きしていれば、洗濯物が溜まろうがたまにご飯がマクドナルドだろうが、いいじゃないかと私は思う。
そう考えるようになって、私はものすごく楽になりました。もっと「いいお母さん」になれる気がしました。
最後に付け加えますと、こう考えるきっかけをくれる人生の先輩に出会えたのは職場でした。働いていなければこの気付きを得ることもなかった気がします。
このnoteが目にとまり、誰かの心が軽くなったならうれしいです。
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