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ビジネスとスポーツ(2)

「ビジネスとスポーツ」の2回目。今回は成功する人の共通点がテーマです。

前回の記事がまだの方はこちらからどうぞ。


失敗から学べる

ビジネスで成功する人と、スポーツで成功する人の一つ目の共通点は、「失敗から学ぶ習慣を身に着けていること」です。

まず、反対である「失敗から学ぶ習慣が身に着かない方法」を、次のようなケースに基づいて考えてみましょう。

あなたは某独裁国家の国民です。その国の独裁者は失敗が大嫌いで、どのような失敗をしても、死刑に処せられます。ある日、あなたは自転車に乗っていて、誤って歩いている人にぶつかってしまいました。秘密警察に逮捕され、死刑宣告を受けます。あなたは失敗を悔やみ、もっと上手な自転車の乗り方を学びたいと思いました。しかし、死刑の時間は刻々と迫っています。あなたは、自転車の上手な乗り方を習得できるでしょうか?

死刑になるのですから、このケースで登場する「あなた」は自転車の
乗り方が上手になることはありません。


失敗が許されない環境のあやうさ

失敗が許されない環境では、人は失敗から学ぶことはできません。失敗から学べないのですから、失敗を防止するノウハウが蓄積されず、失敗は増える一方になります。

企業経営で、失敗した人をすぐに左遷したり、再挑戦の機会を与えないと、
失敗が増加したり、致命傷となるトラブルを引き起こす危険性が増しま
す。


心の中の独裁国家

このケースで、某独裁国家というのは、一個人の心に置き換えれば、善悪を判断する心の機能にあたります。フロイトの精神分析では「超自我」として説明されます。

失敗したとき、会社やチームに迷惑をかけていると判断したり、自分のやり方が悪かったと判断することは健全です。そのレベルであれば、超自我を独裁国家にたとえることは不適切でしょう。

しかし、「こんな失敗をするなんて自分は競技者(あるいはビジネスパーソン)として失格だ」とか、「失敗する自分を許せない」などと、行き過ぎた自責の思いにとらわれると、超自我は独裁国家のように、その人を支配します

それとは逆に、超自我が、その本人と対話が可能であれば、善悪の判断が適切なものとなり、人としてほどよい道徳心をもった人間として行動ができます。いわば超自我は民主主義国家のように機能します。


心の中には民主主義国家を

ビジネスで成功する人と、スポーツで成功する人との共通点は、超自我が、その人にとっての民主主義国家であることです。

たとえば、顧客先のプレゼンテーションで失敗をして、受注できない状況になったとき、独裁的な超自我であれば、「お前は営業パーソンとして失格だ。営業にはまったくむいていないから、仕事を変えろ」などど、迫ってきますので、どこの失敗の原因があり、どうすれば次に失敗をしないのかを考える心の余裕がなくなります。

民主主義的な超自我に、「失敗はしたけれど、自分なりに努力をした。がっかりしているけれど、自分は挑戦する気持ちを失っていないぞ」と語り掛けると、「失敗したことは残念だけれど、ベストを尽くしたことは立派だ。次の機会は同じ失敗をしないようにしよう」と返事をしてくれます。

このような自分とのコミュニケーションを内的対話といいます。失敗から学ぶ習慣を身に着けるためには、建設的な内的対話をする習慣を身に着けることが先行します。


まとめ

「失敗から学ぶ習慣が身に着かない方法」は、過度に自分を責めることです。過度に自分を責めないために、セルフ・コンパッション(自分に対する慈しみの感情)を習得する必要があります。

そこで次回は、Neffが提唱するセルフ・コンパッションについて考えてみましょう。

セルフ・コンパッションって何?という方はこちらの記事をどうぞ。

この記事を書いた人
松下信武(まつした のぶたけ)
SBIビジネス・イノベーター株式会社 「わたし・みらい・創造センター(企業教育総合研究所)」上席研究員。エグゼクティブ・コーチ。バンクーバー、ソチオリンピックに日本電産サンキョー・スケート部のメンタルコーチとして参加。北京オリンピックでは候補選手の支援を行う。

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