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政府の連結バランスシートを読んでみよう~追補

1.まとめ

ア)読んでくださった方に届いているであろうリテラシー

これまでに述べてきた、政府の財政破綻の危険性を計るためには、負債総額だけではなく、資産と純資産を表した連結BSを見なければならない。よく考えてみればあたりまえ、とも思えるこの意見、残念ながら私のオリジナルではありません。どころか、つい最近まで知りもしませんでした。ご興味があれば、連結BSで政府の財政状況を見る、ということを日本で初めて発案・実行したであろう高橋洋一氏や、同じ意見の上念司氏のご著書を本記事の中でも紹介しましたので、そちらに進んでいただきたい。

特に会計学は政府の財政のみならず、一般の会社や個人事業を行うに際しても不可欠な汎用性の高いリテラシー。これから起業を考えている方には高橋氏のご著書のご一読をお勧めしたい。

上記は政府と日銀のBSを見ながら、実際に私自身でExcelで表を起こして計算した内容です。やってみると案外テンションが上がって楽しいし、理解がすごく深まるので、お勧めします。

ここまで読み進めて下さった方々には、冒頭にお約束したように、ほとんどの政治家、メディアを凌駕する財政リテラシーが身についている筈です。ぜひこれを駆使して、数字を見るという基本を怠ったまま、記者クラブで財務官僚から受けたレクをそのまま垂れ流すだけの日本経済新聞はじめ主要メディアや、国会議員の意見の稚拙さを見抜いていただきたい。

イ)税収アップを考える際の世界の財政担当者の常識(極東の島国を除く)


そして最後に、普通の(=現在の日本以外の)財政担当者が税収を増やそうとした場合の検討の優先順位、それは、

1.自国を経済成長させる:税収=名目GDP×平均税率
実は・・・2011年民主党政権:税収42.8兆円2018年年第二次安倍内閣:税収60.4兆円→2022年岸田政権:税収68.4兆円と名目GDPの増加に伴って増えてます。

2.行政改革
私たち国民や一般の会社の借金が膨れ上がった場合、まず行うのは資産としてストックしている貯金や株などを取り崩して借金返済に充てる、それと同じことを政府もすべき、と、そういう話です。

政府連結BSで資産の部に勘定科目として計上された「貸付金」「出資金」の183.6兆円は天下り先の特殊法人に流れています。この中で例えば高度経済成長期には公団住宅の供給元として必要とされたUR事業。

高度成長期と違って、民間のディベロッパーが林立する現在。役割を終えたと考えて店じまいしてもいいんじゃないでしょうか。都内のタワーマンションなどを管理し、敷金礼金ゼロリスクを国民の血税で補う意味は?

「国民一人一人が防衛費の増額を実感することが必要」と絶叫した元財務官僚で参議院議員の片山さつき先生、であれば、まずは政治家・官僚自ら無駄な特殊法人を叩き売るという身を切る行政改革を断行して、国民に範を示すのが先では?

3.国債発行

1.2,3でも必要な税収確保が困難な場合→4.最後の手段として一時的・限定的な増税に踏み切る。

これが、真逆になっていきなり恒久財源の確保とか言って真っ先に増税に突っ走る。この頓珍漢な状態に陥って、世界から失笑を浴びているのが、私たちが住む極東に浮かぶ島国です。連結BSで100兆円をこえる純資産が積まれいて、財政破綻の可能性について、高橋洋一氏によれば向こう5年間で1%にも満たないとのこと。

前回までのBSの数字を踏まえた客観的な検討によって、そもそも財務省とメディアが煽ってやまない「財政破綻の危険性」は「都市伝説」であったことが判明。世界では常識的な「統合政府」の考えに従って日銀を連結対象に含め、さらに日銀の負債の特殊性を考慮して修正を施した政府連結BSが私たちに語る声は、「増税不要。むしろ純資産として計上されている116.2兆円分について、無二念減税せよ。しかも今すぐに。。」でした。

日本の国債は、9割以上が日本国民によって購入されています。増税の必要性が無いにも関わらず、それでも財政破綻の危険性を煽って増税を求めることは、国債購入を通じてお金を政府に貸している国民に対して「お前らから借りた金を返済するためには、もっと金が必要だ。だから残りの有り金も全部よこせ」と言っているに等しい。

そもそも、こういうのを「徴税」というのでしょうか。私にはカツアゲにしか見えないのですが。。。

今や経済停滞、、、を超えて、母子家庭を中心に子供の飢餓すらとり沙汰されている現状を前にして、徴税をつかさどっている自分たちの任務を何と心得る?と問いたい。恥ずかしくないのか、良心は疼かんのか、と。

「失われた30年」といわれるこの国で、結果的によかった影響を招いた事象をあげるとすれば、国や地方自治体、企業などに頼らず、ビジネスや投資等をきちんと勉強して自助努力によって自活しようとする人々が現れてきたことだと思います。

日本は資本主義の自由競争社会。だから、昔から代々続いている資産家も含め、先に述べたような自活して成功し、よりがんばった人がより報われる結果広がっていく「格差」はまったく問題ない。むしろ、こういった流れは今後も推奨されていい。個人的にそう考えています。

ただ、それを超えて「貧困」,さらには子供や高齢者を中心とした「飢餓」、「餓死」。この放置はまずいのです。しかも、国が貧しくて救いたくても救えない状況ならともかく、今の日本のように財政が潤っていて、セーフティネットを広げることが容易にも関わらず、あくまで虚構の「財政危機」を煽って、「増税」に固執する今の状況。おかしいと思いませんか。

いや、「セーフティネットの拡大・・・」とか言えば、徴税してばらまくことが大好きな人々に、また新たな天下り先の創出と中抜きの拡大の口実を与えてしまうかもしれません(参考:「検証 税金のゆくえ ブラックボックスを暴く」高橋祐貴著,光文社新書)。

シングルマザーといわれる人々は、労働者の中でも働くモチベーションという点ではとても高い人々です。端的に減税して賃金アップの環境を整えれば、自助努力によって苦境から脱していく意思と能力を持った方々が多い。

しかもです。

それを前にしてもなお、増税する必要性が客観的に見てまったくないにもかかわらず、増税と支持者へのばら撒き、天下り先への出資金拡大、公金の中抜き拡大に固執するような与党、財務省には政権担当能力があるとは認められない。

この点は断言しておきます。

減税は期間限定と宣って岸田首相の梯子を外し始めた与党税調会長。優しい語り口と薄ら笑いがあまりに露悪的で素敵なので貼っておきます。

こういう、組織律の中での思考停止に発する、結果的に弱者切り捨て御免の安直なふざけた姿勢こそが、20世紀に共産主義勢力の台頭を招き、少なくとも1億人が恐怖政治の血祭りに上げられた、という歴史的経緯が、すっかり失念されているようです。

2.現状に危機感を抱き、興味を持たれた方へ(参考文献の紹介)


政治家やメディアはともかく、財務省のキャリア官僚たちは、私が本記事で示したことぐらいは、実はわかっています(…と信じたい。。。)。

彼らはよほどの進学校でない限り、高校3年生まで学内試験で1番しかとったことがなく、公務員試験を最優秀な成績で突破した東大法学部卒のエリートを中心に固められているわけですから。

にもかかわらず、その状況を前にしても、その明晰な頭脳を無駄に悪用して政治家、メディアを走狗として「恒久財源の確保」のための「増税」を主張し、世の中の「減税は不可能、増税はやむなし」という「空気」の醸成に狂奔するのか。何故に?WHY??・・・

私と同じように、この異常な状況を目の前にして、どうしてこうなってしまったか、その原因に興味を持たれた読者は、

私が最初にアップした長ったらしい記事(汗)にトライしていただきたい。失われた30年が実は「人災」であること。このまま放置すれば皆さんの大切なお子さん、お孫さんをはじめ、未来の世代も政府・財務省の利権確保のために食い殺されるであろうことを、その歴史の検証と、検証の根拠となった倉山満氏はじめ諸氏の著書とともに紹介しています。

興味は持ったが私の説明が読みにくく耐えられないと感じた方。深くお詫びします。その場合、私の記事の内容はすっ飛ばして、最後の参考文献一覧だけでも目を通していただきたい。文献から読んでみたいと感じた本があれば、是非そちらに進んでいただきたい。

ア)日露戦争後、帝国の滅亡を予感した文豪、夏目漱石

ところで戦前・明治時代に、将来の戦争で敗戦して大日本帝国が崩壊することを一番早く予言したのは夏目漱石であると聞いたことがあります(確か、倉山満氏の歴史解説動画で聞いたと思います。違っていたらすいません)。

日露戦争に勝利した明治時代の日本を舞台に描かれた「三四郎」。進学のために郷里の熊本から汽車で上京する主人公の三四郎とたまたま同席した老紳士風の登場人物。

戦争に勝って一等国になったと浮かれる世情について語り合い、日本はこれからますます発展するだろう、と述べた三四郎を前に、

「滅びるね」

とあっさり突き放すように答え、三四郎が愕然するシーンが出てきます。

仮に漱石が現代の状況を理解した上て、先に掲げた宮沢税調会長の会見などをきいたとすれば、今の日本の状況や将来について何を思い、どのように語るのでしょう。

イ)私たち一人一人ができること


これから、私たちがなすべきこと、できることはなんでしょう。

特定の団体、個人をやり玉に挙げて言い負かしたり罵倒したりして溜飲を下げることではありません。

「お前が言うか?」とのお叱りも聞こえてくるように思います。ご指摘・お叱りはごもっとも(汗)。深く反省します。。。

ただ、そんな私を筆頭にみんなで考えなければならないのは、この状況を嘆いて政治家が悪い、といったところで、何か状況が変化するでしょうか、ということ。岸田首相の減税提案の不十分さのため、支持率が下がっています。その不十分さは私もそう思います。

ただ、今まで「空気」によって絶対的にタブー視されていた「減税」をまがりなりにも政策として提示し、政治力を駆使して財務省、自民党税調を押し戻したことは、安倍元首相、菅前首相すらなしえなかったことです。
これを金字塔、あるいは偉業と呼ぶまでは、異常過ぎた状況を少しまともにしただけなので、さすがに憚られますが、この30年誰も成し遂げられなかった点に風穴を開けたのは間違いなく大きい成果。この点はかなり高く評価していいと思います。

政治家であれなんであれ、最初から完璧な人間などいません。岸田さんはいい意味で節操がなく=高い柔軟性を発揮して、首相という重責を担いながら国民世論を背景に信頼するブレーンの助言に耳を傾けながら日々学びを深め、果敢に動いて状況の改善に一歩踏みだした訳です。ここには私は深い敬意を表したい。

その他、岸田内閣は外交・安全保障では、実はかなりの成果を上げていると評価できます。

防衛費のシーリングをGDP比2%に引き上げ、米国だけでなく、英仏豪など列強諸国との軍事的協力関係を強化。武器弾薬の保管量の拡大、有事に備えた自衛隊や米軍による空港、湾港、道路などの使用、住民の避難、そのために必要となる国交省、総務省、自治体との協力を可能にするフレームとしての法整備、予算と人員の配置など、保守の立場にある私からすれば誠に有難い。安倍さんの路線を踏襲し、それを凌駕する形で確実に成果を上げつつあります。(蛇足ながら、安全保障の点で安倍さんを憎悪し批判して止まなかった方々が、なぜ明らかにそれ以上のことをやらかそうとしている岸田さんを批判しないのかは不思議といえば不思議です)。

ですから、減税・増税について岸田さんや、宮沢自民党税調会長を批判しても、それはそれでそのような心情も十分理解できるところであり、内容的にも理由がある正しい主張である思います。が、皆さんの考え、感覚それ自体は正しいのに、その怒りの向かうべき矛先がほんの少しだけ逸れているように感じられて、勿体ないように思えます。与党内の財務省族議員といわれる麻生元財務大臣、宮沢税調会長、鈴木財務大臣はある意味操り人形にすぎない。

今の状況の根源にして、私たちが狙うべき本丸は、次に掲げる令和5年11月13日現在の財務省幹部名簿に載っている事務次官、次期事務次官ポストの主計局長、事務次官の右腕となる財務大臣官房長、徴税を担当する主税局長のほかにいない筈です。的確に標的をつかんで、小異を捨てて対抗勢力を結集する。このメンバーや主要な部下、麻生元財務大臣、宮沢税調会長、鈴木財務大臣の中から、「誠意を込めた説得」(1980年代イギリス労組や官僚と全面対決したサッチャー元首相の政治信条)によって良識派を切り崩す。ちょっと嫌な表現ですが、パワーゲームとしての政治の要諦ではないでしょうか。

https://www.mof.go.jp/about_mof/introduction/personnel/transfers/meiboR051113.pdf

また、仮に財務官僚に問題があり、「敵」と仮想するとしても、まず私たちがすべきことは、彼らが辿ってきた歴史的経緯を含めて彼らのおかれた現状や心情に憑依できるくらいのレベルまで情報を集めて調べ上げて把握することではないでしょうか。

そうすれば私たちが実は見過ごしている財務官僚の素晴らしさにも目が行き、民主的コントロールを及ぼしつつ、国政担当者として頭脳明晰な彼らの能力を遺憾なく発揮できるには、どういう環境整備が必要か。官僚の力を最大限に生かす方法、官僚本人が安心して国政に集中し、しかるべき尊敬と報酬を得てインセンティブがさらに高められる方法が見えてくるかもしれません。

こういう分析や思考は、私を筆頭に多くの日本人が苦手とするところかもしれません。先の大戦でも、倒すべき相手を「鬼畜」として罵倒し、心の中で克服したつもりになっていたら、逆に日本研究に人、モノ、金をつぎ込んで徹底的に調べ上げ分析した米国に敗北しました。

でも、この点は、BSにおける数字の把握と同じ。また、野球やサッカー、ラグビーなどで絶対に勝ちたい強豪チームと対戦する場合、その準備としてそのチームを罵倒したり、小馬鹿にするでしょうか。プロレス的な集客のため、または心理戦の一環としてそういうことを行う場合があるかもしれませんが、それだけで済ませるようなことはあり得ない。まずはその相手チームの戦力、個々の選手の特徴や性格などを徹底的に調べ上げる筈です。そのようにして初めて、今後の処方箋が浮かび上がってくると思いますが、どうでしょうか。

ウ)歴史は繰り返す。。。Why Japanese people!!?

最初に出した記事でも触れましたが、

第二次世界大戦においては、現在でもよく言われるような「軍部」などといった一体的な組織は、実はどこにも存在していませんでした。当時の陸軍と海軍は「まるで別の国」と例えられるほど。さらに各々が統制派・皇道派、条約派と艦隊派に分かれ、互いに敵国の米英中以上に反目対立し合って予算を奪い合い、殺し合っていました。

その結果、米国を仮想敵として予算をとってきた海軍は山本五十六連合艦隊司令長官をはじめ「勝てません」とは口が裂けても言えなくなります。

「じゃあ、なんのために莫大な予算を要求してきたのか」と憎き陸軍の前でメンツが潰され、折角確保してきた予算を陸軍に奪われてしまうわけですから。

幕末の動乱を潜って維新を成し遂げた明治の元勲たちのように、空気支配や派閥抗争の無意味さを味わい尽くし、明治時代初期のような、いつ列強の植民地支配を受けても不思議ではなかった国際社会の中で厳しいリアリズムを体得した指導者が国政を統括しているあいだはさておき、

日露戦争に勝利して、亡国の危険から解き放たれ、列強の仲間入り。一等国家だとはしゃぐ中、元勲たちが次々と世を去って官僚主体の体制に移行して省益第一でしか物事を考えられなくなっている官僚たちには死んでも絶対にできません。陸軍も同様。

その結果、「負けるまで戦争がやめられない体質」が出来上がってしまいました(『お役所仕事の大東亜戦争-未だに自立できない日本の病巣』(倉山満著,マキノ出版)。

漱石の予言が実現してしまったのです。

日本ではありふれている、こういう「部」や「課」「派閥」間の意地やメンツが交じりった遺恨合戦や不毛な対立、そこに異論や疑問をさしはさむことを許さない「空気」支配。戦前のみならず今でも政府、省庁のみならず、一般企業でもよく聞かれるところ。私も胸に手を当てれば、恥ずかしながら理解できる心情でもあります。皆様はいかがでしょう。所属組織内での「和」の醸成が他部署への遺恨や対立など「共通の敵」の創作を伴う場合が非常に多い。

その結果、大日本帝国という国家は制御を失い、周囲に少なくない損害を撒き散らしながら墜落。民間人含め約200万人の犠牲者を出しました。

私たちはこの構造を改めることなく、また不毛な破滅に向かうのでしょうか。

厚切りジェイソンの嘆きもわかる気がします。

エ)戦前 大蔵省の伝統を破壊した「異物」と今の財務省との類似点


とはいえ、戦前、高橋是清大蔵大臣が存命の間は、陸海軍からの予算増額を安易に認めることはなく、国全体の利益を守るために必死に抵抗と説得を試みていたのが大蔵省です。

しかし226事件後で高橋是清大蔵大臣という優れたリーダを失った大蔵省、ここで廣田内閣で元大蔵官僚で法制局長官にもなった馬場鍈一という男を大蔵大臣に起用。

倉山氏は226事件そのものよりも、馬場鍈一が大蔵大臣に抜擢されたことこそが、その後の日本経済に深刻な打撃をもたらし、戦線拡大へ引き返せないレールに乗せた転機になったということを当時の膨大な資料検証から見出し、戦前における日本最大の躓きだったと喝破してます。

それまで金融緩和や引き締めを臨機応変に駆使して日本経済を導いてきた高橋是清に代わって台頭した馬場がその後、準戦時体制を理由にした増税と放漫財政を組みます。

増税は最後の時限的手段として避けてきた高橋の弟子ともいうべき大蔵省幹部にとってはまさに晴天の霹靂。幹部たちは馬場大蔵大臣を必死に説得しますが、馬場の答えは問答無用な彼らの一斉左遷でした。

その後も近衛内閣から日米開戦に至るまでこの増税路線は継承されます。大蔵省幹部は有効な対抗手段を見いだせず、とりあえず組織防衛に徹します。

倉山満氏がその著書で引用する大蔵省作成の省史では、安易な増税と放漫財政を拡大させる馬場、その路線を引きついで破滅に向かった近衛内閣に容赦ない筆誅を加えています。

増税だけは戦時体制時を除いて禁じ手であると、当時の大蔵官僚全員が考えていた証拠です。茶谷事務次官はじめ現在の財務官僚幹部のみなさん。皆さんの偉大な先輩はそのように考え、信念をもって日本を守ろうとしていたのですよ。

とはいえ、激高する世論を背景に戦争拡大を続ける近衛首相に有効な反撃は不可能、大蔵省は敗戦を迎えるまで、とりあえず雌伏の期間を過ごしました。

高橋亡きあと大蔵省の一家のボスとなった賀谷興宣は、継続する増税・放漫財政による軍拡、拡大する戦争に「ソ連は笑いが止まらないだろうな」と嘆いていたとか(以上、『財務省の近現代史』,倉山満著、光文社新書)。

今の官僚、政治家、私を筆頭にした国民はこれを笑えるでしょうか。そこから成長したでしょうか。

恒久財源確保を理由とした増税と積極財政の無限ループ。これに乗っている点で、馬場鍈一以降の日本と現代の日本は、怖いくらいに類似しています。おそらく財務官僚は少なからず「このままでは先の戦争同様、増税をやめられないが故に滅亡する」とわかっている筈です。

このシリーズで財務省が増税路線に舵をきった事象を、戦前の廣田内閣における馬場鍈一大蔵大臣、高度成長時の田中内閣との二例を紹介しました。

両者に共通すること。それは健全とは言えない財政状況は圧倒的な国民の支持を得た内閣のごり押しに端を発しているという点。よく戦前は軍部の暴走が国の破滅を招いた、と言われますが、戦前戦後を問わず日本は代表民主制が確立した法治国家。議院内閣制の下で、国民の強い支持を得た内閣に対して、大蔵省であれ、海軍、陸軍であれ、天皇であっても抗うことはできません。

226事件だって、立憲民主主義において尊重されるべき選挙を通じた民意や、法的手続きを無視した乱暴な暴力と破壊に昭和天皇は激怒。事態を前にまごつくだけの政府上層部に叱責を加え、内閣が機能しなくなった際に認められる非常大権を行使してこれを鎮圧。事件を引き起こした青年将校幹部は処刑され、陸軍皇道派は再起不能な状況に追い込まれています。

しかし戦前の日本は立憲君主制の国。内閣は機能しなくなった場合にのみ認められる非常大権を行使して陣頭指揮をとってクーデターを鎮圧した昭和天皇であっても、選挙によって表された民意を背景に、合法性を守った形で内閣が暴走した場合には、絶対君主であれば行使できる拒否権を行使することはできず、なすすべはありません。できることはせいぜい「中国との戦争が長引いているのに、さらに米英まで敵に回して大丈夫なのか?」と警告することだけです。警告に法的拘束力はありませんから、握りつぶされれば終わりです。

ただ、こうも言えると思います。この2例は国民の暴走によって招かれた事態であったとすれば、逆に私たち国民が正しい事実、数字に基づいて選挙権を行使し、増税一択に染まった財務省をただす反対勢力を与党に押し上げれば、財務省になすすべはないのです。間違いなく相当数存在している良識的な財務官僚が動きやすくなり、滅亡への道を引き返すことは可能なのです。

それをやろうとして激しく失敗したのが民主党政権だったのかも知れません。国民の多くも、政権担当能力を備えた党、という意味での選択肢が事実上ひとつしかない55年体制はおかしい、と感じており、麻生自民党内閣への不支持もあって民主党に期待したのでしょう。ただ、惜しむらくは、議員たちだけでやろうとするからダメだったのではないかな・・・と思います。

いくら増税絶対反対、事業仕分けなどの行政改革などを掲げて政権をとっても、超エリートである官僚側はわかりやすくてカラフルできれいなパワーポイント資料等を駆使して低姿勢で丁寧に、少し嗜めるような口調で「できない理由」をこれでもかと示してきます。そういう秀才たちの手練手管によって、野田元首相などは最後は完全な増税推進派になってしまいました。ミイラ取りがミイラになるとはこのこと。

イギリスその他、先進諸国の政党がやっているように金融財政法制度その他の分野で識者を集めて、官僚とは別の政党主導のシンクタンクを作って彼らの党の政策立案や遂行に参与させるべき、と。これは今の自民党も同じ。これで初めて財務省と内閣法制局に適切なチェックandバランスを行えるというもの。

これをやらないから、ランチタイムに財務官僚を呼びつけて飯を食べながらレクを聞くことを勉強と勘違いして、若手議員へ政策勉強の重要性を偉そうに宣っているのが麻生太郎。こんな御仁がいまだに党内で幅をきかせているのですから・・・そろそろ自民党もオワコンかな。。。

増税に固執する今の財務官僚。その心情を想像してみましょう。おそらく、田中内閣が世論の圧倒的支持の下で、減税と放漫財政とのごり押しを受けた先輩からの口頭伝承を受け、

「同じ過ちを二度と繰り返えしてはならない。そのためにも愚かな国民に減税などの隙をみせてはいけない。だから頭のいい自分たちエリートが指導して国民から嫌われても、増税を断行していくしかない。」

この考え、半分は正しく、半分は間違っていると思います。

確かに、
私たち愚民は高度成長ような好景気を経験しているとき、それが永遠に続くと錯覚しがち。その局面では、世論とそれを支持する内閣、世論と内閣におもねる記事を売りさばいているであろう主要メディア含め、説明・説得を行うことを通じた財務省、有識者による修正提案と実行が必要。これはかなりの労力が必要でしょう。次官、局長クラスの首が飛ぶかもしれません。

しかしだからと言って、増税一択に引き締め続ければ、少子高齢化が進んで医療福祉予算の拡大と相まって、戦前の馬場鍈一と同じ。その二の舞を踏むことになってしまっている、ということ。

そして、田中内閣による放漫財政は大蔵省や日本にとって好ましくない状況をもたらしたことは事実。でも、事後的に修正可能。

これに対して馬場財政がもたらしたのは敗戦と大日本帝国の滅亡。

どっちの方が被害甚大だったのか、財務官僚や政治家、私たち国民はよくよく考えてみる必要があります。

統治する側にとって、愚民は統治しやすいのです。そして正しい知識や情報は、民主主義における主権者にとって「武器」なのです。この点で主要メディアが少なくとも政治経済で頼りない現状で、私たち自身の目利きの力アップが重要となってくる、私はそう思って自分に言い聞かせています。

最後までお目通し下さり、感謝します。

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