トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)「完了」自分ひとりでもできる方法

トラウマ療法として、ソマティック・エクスペリエンシング(SE)のセラピーを受けた中で、「完了」というのを何度かやったことがあります。これは自分ひとりでもできる方法なので、どんなことを意識しながら行えば良いかも含めて、ご紹介したいと思います。

これは以前書いた「トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑤ さまざまなリソース」で、「ミッシング リソース」に該当します。

ソマティック・エクスペリエンシング(SE)のセラピーで行われる「完了」の手順を説明します。

① まず最初に、自分が経験した、つらかった場面をひとつ選びます
つらかった場面は、色々あるかもしれませんが、その中でも、できるだけ小さいこと、最初は、あまり重くない経験から始めると良いそうです。

② その場面を、動画の一時停止ボタンを押すように、または、写真で撮るように、静止画面として思い浮かべます。とてもつらかった場面ですが、それは動かないんです。そのように頭の中で思い浮かべます。

③ その自分がつらかった時に、その場にいて欲しかった人を想像します
誰でもいいです、尊敬する人でも、何かの物語の登場人物でも、神様でも、セラピストでも、誰でもいいです。

私はまず、ある一人思い浮かべてセラピストに伝えると、「もう一人思い浮かべてください」と言われたので、もう一人思い浮かべました。そしてまた「もう一人思い浮かべて」と言われたので、合計3人思い浮かべました。

あの時なぜ、セラピストは、3人思い浮かべるように言ったのかな、と考えると、私の身体の状態をみて、どの位、安心感を感じられているかを観察して(身体の状態を見るのが上手なセラピストでした)一人思い浮かべただけでは十分ではないと判断して、もう一人、もう一人、と増やして、身体の状態が安定していくのを確認していたんじゃないかなと思います。私自身も、1人目、2人目だけでは、なんとなく頼りない感じがしていて、3人目を選んだときに、この3人がいれば大丈夫だなって感じました。

ですので、自分で行うときは、この人たちがいれば大丈夫だな、最強だなって思えるところまで、色々な人たちを思い浮かべてみてくださいね。

④ その思い浮かべた人たちが、自分がつらかった場面にいたとしたら、言って欲しかったこと、して欲しかったことを想像して、その人たちがそれぞれ、するだろう、言うだろう、という言葉や行動をイメージしてください。その言葉は、口に出して言ってもいいし、頭の中で考えるだけでもいいです。

私は、3人それぞれの性格を考えながら、その3人が、もしもその場にいたら、どんな態度をとって、どんなことを言うだろうか、と一人ひとりの行動や言葉などを想像しました(セラピストに詳細は話さなかったけど、だいたいの感じは話しました)。

そして、それをしていたら、とても泣けてきて、しばらく泣いて、「私、もう大丈夫かも」とセラピストに言いました。何だか本当にそんな気がしたからです。セラピストは「少なくとも、その場面については、大丈夫ですね」と言ってくれました。

これがソマティック・エクスペリエンシング(SE)の「完了」の手順です。

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私は最初、これは本当に「完了」になるのだろうか?という疑問がありました。正直、これは想像上の、あくまでもイメージの中のことだし、非現実的な空想をしたところで、自分が本当に癒されていくのだろうか?という疑問があったからです。

ですが先日、SEセラピーの動画を見て、大事なことは、安心できる感じ、嬉しい感じ、何か良い感じを、しっかり身体で感じる、身体で味わうことなのだと思いました。自分が本当は経験したかったことを想像して、たとえ空想であれ「助けてもらえた、逃げられた、うまく逃れられた、うまく乗りこえられた、もう安全だ、もう安心だ」といったような感情をもったときに感じる身体の感覚をしっかり味わうことで、少しずつ身体(=本当の自分)が安心して、安全であることを認識していくのだと思います。

ですので、身体で安心した感じを感じられない限りは、イメージや空想は、認知・思考の範囲でしかなくて、その場合、身体で感じられるようになるまで、何度もそれを繰り返す必要が出てくると思います。何年間も、頭ではもう終わったことだと分かっている、それでもどうしても忘れられない、つらさが残っていて、それが日々蘇ってくる、というのは、ちゃんと身体で安心感を感じられるところまで行っていないからだと思います。

なので、自分が思い浮かべた人たちに何か言ってもらったり、やってもらったりして、もう安全だな、大丈夫だな、安心だな、嬉しいなと感じたら、それをしっかり自分の身体で感じること、身体の変化を感じること、どこかが軽くなったり、あたたかくなったり、何かしら自分の身体で良い感じがあったら、それをしっかり味わうこと、感じることが大切なんですね。

イメージや空想というのは、強い力があるとセラピストも言っていたし、色々な本にも書いてあります。例えば、映画やテレビをみていて、実際に自分が体験していないことでも、心臓がドキドキしたり、わくわくしたり、感動して泣いたりするのは、実際に自分が経験しなかったことでも、身体は反応する、安心感や嬉しい気持を感じることができるということです。

でも時には、自分の心が動かない、ほとんど感動しないような映画や物語もあるでしょう、そういう時は、身体の感覚も反応しないので、自分自身も変わらないんですね。空想であっても、イメージであっても、身体が反応して、何か良い感覚を味わうことができれば、神経系に閉じ込められているトラウマ反応を解放していくことができるのです。

熱さや冷たさ、その他、何がしかの体感を体験しただろうか。もしそうだとしたら、あなたはイメージを通して、あなたの体に影響を及ぼし始めているのである。またそうでない場合には、これらの体感を感じるようになるまで、イメージを続けてみるのもよいだろう。

マーティン・L. ロスマン『イメージの治癒力: 自分で治す医学』(p.42)

セラピストは、「最初は、小さな出来事から扱うのが良い。少しずつ、大きなダメージを受けた、本当に苦しかった出来事を扱っていくのが良い」と言っていました。

ですので、皆さんもご自分で行うときは、最初は、つらかったんだけど、でもその中ではまだそれほどひどくない、マシな方の出来事から、やってみるといいと思います。そして、少しずつ、時間をかけて、日にちをおいて、だんだんと本当につらかった出来事、とても苦しかった出来事に取り組んでいくと良いと思います。

セラピストから何度も言われたのは、自分が何かを話したり、考えたり、想像していて、とてもつらい、と感じたら、今いる安全な場所、安全な方へ意識を戻すことです。過去のつらかった場面をイメージしている中で、つらい気持になって、耐えられない感じになったら、すぐに今自分が安全な場所にいる、安心した状態であることに気づき、意識を安全な方に戻します。

椅子に腰かけているのなら、椅子が自分をしっかり支えてくれている安定感を感じる、壁にもたれているのなら、その壁の支えや、床に面している自分の身体を感じる、横になっているなら、自分の身体が床や布団に面している安定感を感じる。また、周囲を見回して、今自分のいる環境が安全であることを感じる。何か自分が安心できるもの、リラックスできるものに触れたりするのも良いと思います。五感を通して感じられる全ての好ましいこと、良い感じがすることが、自分が安心できる支えになります。

前回ご紹介したセラピーの動画で言われていたのは、何か新しい感覚を感じたときには、同時に現在の安心感も味わうことで、新しい感覚が自分の神経系に定着していく、つまり、このような体験を積み重ねていくことで、過覚醒にも低覚醒にもならない、大丈夫な状態でいられる範囲(耐性の窓)が広がっていく、ということなんですね。

セラピーでは、最初に「椅子に座って、自分の安定感を感じる」ということを行いますが、自分ひとりで行うときは、自分が一番リラックスできる場所、安心できる場所を選ぶと良いと思います。お布団でもいいと思います。あったかくて、やわらかくて、守られてる感じがして、最高なんじゃないかなと思います(私はお布団が大好きです、笑)。その安心感を感じながら、少しずつ、日にちをかけて、トラウマ体験に取り組んでいく・・・あの時、本当はどうだったら良かったな、あんな人がいて、どんなふうに助けてもらえたら良かったな、という想像をふくらませていく、そしてその安心した感じ、満たされた感じを自分の身体で何度もしっかり味わうこと。

これが、ひとりでもできるソマティック・エクスペリエンシング(SE)「完了」の方法です。

この方法は、「インナーチャイルドを癒す」(https://note.com/witmiffy/n/n95a12caf1f72)ことと似ています。イメージや空想の世界だけれど、その安心感を自分でしっかり感じることができれば、必ず癒しにつながっていきます。もしも、とてもつらかったあの時に居て欲しかった誰かとして、今の大人の自分を想像することができれば、深い癒しになるでしょう。

過去の出来事をなかったことにすることはできない、それをすっかり忘れることはできない。でも、それが「ただの出来事」「単なる出来事」として、今の自分の感情や生活を邪魔しなくなる、つらさがありありと蘇ってくるようなことがなくなる、それがゴールだと言われました。

過去にどんなにひどい出来事があっても、今の自分の身体が安定した状態でいられるようになること。ひどい出来事であればあるほど、受けたダメージが大きければ大きいほど、そこにたどり着くまでには、大変な道のりだと思います。

私にはまだ、思い出したくない、触れたくない過去がたくさんあります(でも以前は、それさえもわからなかった。解離がひどく、思い出したくないのか触れたくないのかさえも分からなかったのです)。その中でもいくつかの出来事は、ああだったら良かったな、きっと今ならああしてこうして…うまくやれるかな、と想像することがあります。

もう一度同じような体験をしたときに、きっと今度はうまくやれそうな感じ、もう二度と同じような体験をすることはないだろうけど、今の自分が生きていることで、もうそれだけで、何とか乗り越えてきたということ、生き延びてきたということです。だからちゃんとしっかり生き延びた自分を認めよう。

それはきっと、これを読んでくださっている方々も同じ、生き延びたから、何かを感じることもできる、味わうこともできる。その喜びと幸福をしっかり感じて、受けとめていけたら、と思います。