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癒しとアートと対話と☆2



焦点的にとらわれていることに気付くには、まずは自身の言動が、状況の中で、どの様にして機能するかに気付くための、「いま」という視座を高くした体験が必要であり、それを先々に、どの様にして使いたいかは、それぞれの意志により、未来は確定していくのだろう。

生命には個々による特有のリズムがあり、自身に置かれた状況が、同じ時を生きていても、他者との違いがあることは自然であり、当然であり、私たちが何かを話す時には、自身の「知」を越えることはなく、「言葉」以前にコミュニケーションがあることは、リアルな生でしかわかることはないとして私は観ている。


ひとつの作品をつくり終えた発表の場での質問に、頭ではないところからの怒りがわいてきたという話を聞いた、芸術を読み解く場にあった体験談は、生命を分断せずにいる有機質である、生命根源の本質から離れることなく生きた、生としての自身を追及し「畑文化」としての「ハラ」が、アンチテーゼより始まった活動を「対話的芸術」へと進化させ、それを「型なき型」として確立したことを教えてくれた。

大切にしたいことを離さずにいてよかったと、心底、思った。時の経過が如実にそれを見せてくれて、道を間違えずによかったと、心底、思う。



私はこの「様」に、変わらない美しさを観ている。「美」には力があり、真実としての其所には奥行きがあり、深さがあるように感じている。様々なことと結び付くことの出来るアートが、精神薬のひとつとして広がるといいなぁとしての願いは変わらずに、若い方々の帯びている空気感を話し合った美容室での会話を思い出す。


「怒り」にも「深さ」があることを、私は、本当には知らないでいたことを「知る」ことができた。「憧れ」ていた「世界」がわかるようになってきたことに、『 大きな喜び 』を感じている。


深いそれ(生命意識)を知っている方々から頂いたお声は、私の行く道を、その時々に、示してくださった。そこには父が含まれる。命よりもお金だとした奇妙な血縁の尻拭いをしながら、こどもたちには、いい教育をと声をかけて有志を募り、賛同した経済人たちにより、附属としてではなく、独立して建てられた箱の中には、いつも豊かな生命があった。そこには文化芸術が含まれる。当時の園長が体験した、幼少の頃に尊厳をぞんざいに扱われた事実の記録。感情にはならず、言葉にもならない、歴史の一枚のモノクロ写真を思い出す。



原風景は、意図せず色味を帯びて
新たな色としてつくられていく。

わかる人にはわかる。
ある種の方々からしか聞けなかった言葉。

わかると言える方々の観ている世界には、なんともいえない吸引力がある。生命が放つ力としての美があるように思えてならない。


美しさの真骨頂は
自我を越えた世界にしか
存在し得ないことを
私は、度々、おもう。

その美しさは固有の感性にあり
主観を越えることはないとして。

環境が変われど私は変わらない。
二十歳の頃に自我は確立し
そこから離れることは生の放棄を意味する。
芽生えた核が変わることはない。




【 お知らせ 】

12月のクリスマス辺りに魔法塾でイベントを開催します。ご来客の皆様に楽しんで頂けるように、こどもたちと企画中です。年越し前の心身の癒しとして様々に案を出しあっている最中です。詳細は、秋の9月頃には、お知らせ出来るのではないかと思っています。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆

魔法塾では
個別化してプログラムを立てています。

身体の知性を引き出し感性を育む時間を過ごしたい方や、心身がイキイキする喜びあふれる生き方にご興味がある方はお気軽にお問い合わせください。

セミグループレッスンと
個人レッスンの二種類がございます。

対象は、小学高学年~。
場所は、北九州市内です。


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