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粋なコミュニケーション

粋な人って
粋とは、背負い込まず、小ざっぱりしている
あか抜けた色気のある美意識です。
ピュアで親しみやすく、
シンプルで明快な美ともいえます。

一方、野暮がその反対
ということになるのですが、
野暮は、まわりとの調和がとれていない様を指します。

人とのコミュニケーションをする際、その人の生き方の「センス」が最も顕著に表れる。
表れるというか、出てしまう。
そのセンスに「粋」を感じられると、とっても心地よくなる
世間一般では、会話でなにを話すのか、話し方、うまい話し方についてとやかく言われることが多いけど
わたしは会話の要は、聞く側にものすごくあると思っている
会話を聞いているとき、相手の話を聞くとき、その人の意識の明晰さや純度が実はものすごく反映されている。
聞く姿勢=その人の自分の人生に対するあり方そのもの、だとも言えてしまうのかもしれない
誰かと会話のキャッチボールをするとき、どんなに軽い内容でも、深くつっこんだ話の内容でも
わたしは「和談」ができる人がすき
和談とは、歩み寄り同じ方向を向き、互いに高め合う共同で、互恵を目指す。
古来のヤマト人が大切にしてきた価値観だ。
互恵、共同的気づき合い、共有することを目指す。
気づきを出し合う。共有する。
常に学ぶ姿勢で話し合い探求し、向上することを目指す。
長所に目を向けること。
得るべきもの、長所に目を向けて話し合う。
共鳴する反応を目指すこと。
発見、成長、気づき合う結果を目指すこと。

また、討論は競争・対立的 意見を戦わせる。主張を通す。
批判し攻撃精神、常に戦う姿勢 
欠点・短所に目を向ける。
勝負、決着をつける。

和談ができる人は、聞く姿勢がものすごくセンスがある。粋なのだ。
ジャッジしようとせず、相手のことを、相手の目線にたてるという想像力がある。
相手は自分とは違う宇宙をもっている、という視点を忘れずに、聞くことができる。
自分を抑えて聞き役に徹して相手に主導権を明け渡してしまう、ということもしない。
これは本当に成熟した精神性の持ち主だとも思うし、実行するのは結構修行だったりする。
本人の意識状態の覚醒度が高くて、エゴとのバランスをちゃんと、とれるからこそできることだと思う。
だから「粋のあるセンス」がある聞き方ができる人は、人間性の器が大きいし、それはその人の人生のあり方そのものだとも言えると思うのだ。
だから、本当にそういった人は心の底の底から尊敬する。私の友達にも何人かいて、本当にそれが誇らしい^^!!

人間性が成熟してくると、コミュニケーションも調和的に、和談的に話すようになるのかもしれない。
討論的よりも。
どんなに言葉だけとってみて、それが良いように聞こえても、それを話す、発する人の意識状態・あり方のエネルギーが討論的な感じだと、それは相手にモヤモヤとしたものを与える。
正しさをおしつける、というやつ。それは相手に「分かってもらえない」という悲しみを与え、相互にとって調和が起こらない。
また、よくある、一方だけバーっとしゃべるだけ喋って、相手は聞いてばっかり、みたいなやつも。
「討論は川を挟んで、持論をぶつけ戦っているイメージで、
和談は、共に川の中に入って、
川上へと昇っていこうと意図するイメージでしょうか。」とはせくらみゆきさんがおっしゃっていた。
本当にその通りだと思う。
相手の話をよく聞ける人は、自分軸があまりない、と早とちりに思われてしまいがちだけど
本物の自分軸は、わたしはあなた、あなたはわたしという宇宙軸であり
実はすごくすごく、自分軸があるからこそできるのだと思う。
客観的にみれる視点があるから、相手の話を聞ける余裕と、その余裕をもてるだけの想像力がある。
ということは、会話が相互にとって心地よくなるコツは、想像力=人間力なのかもしれない。
そしてその想像力が、お互いに同じくらいだと、きっと話してて気があう、という感じになるのだとおもった。

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