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そして親子になる~子育てという学び・愛のレッスン

「そして父になる」のパロディか<タイトル
いやさ、映画は見てないんですけどね…
もちろん、内容とも関係無いですっっwww

子は鎹(かすがい)と言うけれど…

その夫婦に、
その子が生まれるのも、ちゃんと理由あってのこと。
確かに「生まれいづる場所」と言うのは、生まれる側からしたら100分の1ほどの偶然の確立ではあるものの、それすらも必然というわけで<引き寄せとカルマの法則

その親を持つことで、自分が己に架したノルマ的レッスン、rすなわちカルマを解消するための経験(そのために必要な環境と機会)を得るがために、その時期あるいはそれを与えてくれるであろう夫婦のもとに生まれてはいるのだけど…

親側にしてもそれはまったく同じで、その子を持ち、育てることで経験したり、遭遇するハプニングとか、背負わなければいけないハンデなど、学ばなければいけないレッスンがあるわけです。

だからある意味で、すべて自分のところにやってくる子供は、すべての親にとっては、自分たちに与えられた「ギフテッド」なんですよね。
その子自体が自分たちの魂を磨くための修行のテーマ、"課題"たるカルマそのものの象徴であり、まさに玉を磨くと言う徳を積み、魂の禊をし、業を落とし、人としての自分を成長させ、愛を育むための「宝」であるわけなのですよ。

総ての人が身体(心臓)の中に
如意宝珠(サイコ‐ノエティカル体)
と言う宝を持っているけども

とは言うものの、ギフテッドと言う言葉を使ってはいますが、本来の「ギフテッド」と呼ばれる子たち、インドなどにおける…生まれつきの奇形児を「インド神の生まれ変わり」と、崇拝する考え方とは別の意味合いになりますが。

何故、この親のもとに生まれてきたのか……と、
子はその意味と自分の学びや親との縁を考えるべきだし、

逆に親は、どうしてこの子が、
自分たちのところに生まれてきたのか…と、
そのことについての意味と自分たちの学び、縁を、
一度は考えてみるべきでしょう。

何故この子であったのか、何故この親であったのか…

自分に何を教えるために、
この子は自分たちのところにやってきたんだろう? 
この子という人物、子育てを通して、
私は何を学ぶ必要があるんだろう?

何故この親なのか、
どうしてこの親の元に生まれてくることになったのか…

自分は、この親から何を学ぶために、
この親と環境を選ぶことになったのだろうか?
この家族を持つことでどのような経験をし、何を教わり、
身に着けようとしたのだろう? 何を磨こうとしたのか?

‥‥‥と…最低でも一度はそのことについて、深く見つめたり、考えてみるといいのかも知れません。ちなみに、それについて知る機会を持つことで、自分の人生の意味、生まれてきたことの半分の意味と意義がそこから汲み取ることが出来ますから。

灯台下暗しと言うか、意外と…と言うか、自分の人生の始まりの一番最初たるスタート地点に立ち返ってみることで、そのような答えが見つかることはよくあります。
その位、家庭や家族間の問題というのは、人生の「すべて」の問題の原点とも言うべき課題が集約されて、たくさん詰まっている場所なのです。

ですから、家族との関係性の問題に向き合って、それに取り組んで解決することで、人生の大半の問題が解決するといいますか…そこに真摯に向き合うことは、結果的に多くの人間関係の問題が解決することに通じるのです。

と言いますか、家族との間にある問題は、その人にとって総ての人間関係の問題を創り出している膿の根っこ(ルーツ)であり、洗脳という呪縛のありかでもあり、人格形成と自己評価と他人との距離感を生み出している源泉だからです。

はい。そんな風にその人が今生にて向き合おうと自らに課したレッスン、減らそうとしたカルマの負債そのものを理解しようとするとき、親との関係(抱く感情)、子供が抱えている問題は切っても切り離せるものでは無く…そこに表現されていると言っても過言では無く…(子供は親の問題の写し鏡で、それを如実に見せてくれている存在なので)

そこを詳しく見ていくことで、今生で何を学ぶべきなのか…
という答えも、いとも簡単に見つかるものなんですね。

ちょうど、クライアントさんのセッションにおいて、立て続けにそのような「親子関係」の問題を改めて考える機会に遭遇しまして、今一度そう思った次第です。

これまでもこの辺りのことについては、いくつかの記事で話題にしていますけど…

そうですね。
家族や兄弟姉妹、親戚などの身内に生まれること、その家の子孫に生まれることなどの意味には、過去の縁やカルマなど色々なものが絡み合っているもので…各自それぞれのケースがあり、類似のケースはあっても、同じものはないので、一概には片付けられないのですけれども。

どのケースを見ても、巧妙に運命とは仕組まれて、綿密に織り込まれたごとく、上手くプログラミングされているものだと実感させられます。

そうですね。
例えば、最近とあるご一家全員の遠隔ヒーリングと、お家の「空間」のお掃除をさせて頂いたんですけども。

最初は、
お子さんにある問題が出るようになってしまったので…
「子供の問題の原因のほぼ90%は母親にある」
「子供の問題は母親の問題でもある」と…
ありきたりのそのような角度、観点から物事を探るべきかと考えたのですけど、蓋を開けてみたならば…

まあ結局、お母さんとお父さん、そしてお子さんの過去生の情報を見ていくことになったのですが。そこから知りえた情報から総合的に判断するに…

ご両親と言うか、このご夫婦は親として協力し合って子供の問題に取り組むことで、かつての関係性での双方に対する過ち(誤った態度や愛のない見方)を正し、(正しい方向性に互いを導くために)友好関係を築く必要性があったんですね。

とくに母親にとっては、他者に対する愛を学ぶことのレッスンになるわけで。父親にとっては、バリケードのように築いてきた壁をとりはらって、他人との深い関係性を築くことを学ぶ必要性があると…簡単にまとめますと、そんな感じで。

今回、詳細は書けませんが。

お子さんの過去生には、魔女狩りの冤罪で母親が殺されて孤児となったり、コロンビアの内戦で孤児になったりなど…家族の愛情に飢餓感を抱く人生がいくつかありまして。
また、クメールルージュでの少年兵としての人生、経験が「同世代の幼い人間の抱く狂気と残酷さ」に対する冷淡な恐怖として内在するなど、その傷はとても根深いものでした。

アフリカでの短い人生では飢餓により亡くなっていましたが…幸いなことに貧しくても、家族や周囲の人々、愛情には恵まれていたようでして。やはり幸福感というのはお金では買えないもので…思うに、原始的な暮らしであっても家族との団らんや平和、周囲の人々との暖かい交流があるか否かなのだな、とつくづく… 教育も大切ではあるのですがね。

まあ、そうですね。このようなケースでは、父と母、母と子、父と子の間にそれぞれの貸し借りと言いますか、与え与えられるべきカルマのレッスンがあるわけですけれども。

「子供というのは生まれるだけで…
 あるいは三歳までに一生分の恩恵(恩返しと恩送り)を
 その両親に与えている」


というような言葉がありますが、まさにその通りだなあと思ったりしました。過去生でどんな関係があったにせよ、その人たちの子供として生まれてきただけで、その生をその親にすでに捧げているわけです。
自分自身を贈りもの、捧げものとして…
その親のために人生を提供しているのですね。

はい、子供は親の業を背負い、
親(先祖)の業を解消するために…
自分の人生を通して、それをすることをし、
その親に捧げてもいるわけですから。
(この辺りの意味、解る人にしか解らないかもですね)

だからこそ、
「生まれてきてくれて、ありがとう」なんですよね。
なので、
「生まれてきて、すみません」
なんて、卑屈に思う必要はないんです。

もちろん「生まれてきてやったんだ」と、
傲慢かつ尊大に偉ぶる必要もないことですけどw

子供側のレッスンの例としては…
まあ、私のことは過去にも書いていますけど、
「人を赦すためのレッスン」なんですよね。

過去に過ちを犯した人(犯罪者や非道な行いをした人)を赦せるか否か… すぐ、その視点でジャッジしちゃいますしね。
はい、過去の行いで他人を裁いてしまう癖があるわけです。
なまじ、そういうのが視えてしまう、解ってしまうが故にね。

それが故の、今生の親ガチャで環境と経験セレクトww

私はとある人生(春秋戦国は末期、東周の時代から秦にかけての時代だったかなあ)で、坤道として仙侠の修行をしていたことがあるらしいのですけど…その時にものすごく人を憎んでしまって、どうにも相手を赦せなくて、激しい慟哭と怒りに身をたぎらせ復讐心を燃え立たせてしまったんですね… 

そのような勉強と修養をしていたのにも関わらず。

この憎悪の気持ちを良くない方面に転嫁させてしまったことで、まあ早い話が、その…闇落ちしてしまったんですよ。

はい。いいとこまで修行を頑張ってたんだけど。
結局、教えから離反してしまったと言うか、「道(タオ)」に背いてしまった。悪の心を持ってしまったことでね。

なので以来、この「誤った正義感」「悪を憎む気持ち」「復讐心」「他人をジャッジする考え」を手放し、克服することが課題です。
もうずっと取り組んでいるんですけどもね。
二千年は経ってるやないけ~ なのに未だ、トホホホ。

それが故の引き寄せ経験をずっと繰り返しパターンで、今生に到るまでしているわけですが。
今の親、家族との問題もモロそれですね~ 困ったことに。

家族とか…とくに親とは縁が切れないし、一生付きまとう問題ですから。克服して解消するまでは…課題を乗り越えるまでは、なかなかどうして、です。
早く手放したいけど、今も「赦せない」人はいるので。

その最後の赦せない人を赦せたら…
その人に対するこの、苦しいほどの憤怒と恨みの感情を手放すことが出来たら、どんなに楽かなって思いますし、そう出来たらいいなと…もし、それが出来たら、闇落ちする前の自分に戻れるのかなあとも思うけど、それは難しいかw

一度堕ちてしまったら、そこから這い上がるのは並大抵のことではありません。

まあ、多少サイキカルな能力が磨かれて育っているのも…
今の仕事が出来ているのも…この時の修行の賜物なんでしょうけどね。

女神なんかなれないから…じゃないけど、むかーし目指した仙人には、いつまで経っても自分はなれないなあ…と痛感しますし、聖人の域になんかホント、達することはムリだなあと…つくづく。

まあ、話は逸れましたけども。

そんな風に家族の問題、親からしての子供と子育ての問題、
子からしての親との間にある問題、兄弟姉妹として生まれた者同士の間の問題、その家に生まれてその先祖の子孫として生まれることになった背景…には、カルマのレッスンたる大いなる愛のレッスン、克服しなければいけない課題が隠れているものなのだという事を改めて…


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