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「自分が望んで、親を・・・
 あなたたちを選んで生まれてきたわけじゃない」
「頼んで産んでもらったわけじゃない」
「こんな家になんか生まれたくなかった」

時々そんなセリフを口にする人がいたりする。
大体が反抗期や思春期の子供。

して、若者の群像劇だの挫折を描いた、ドラマ、映画、漫画、小説etc...にはありがちで、誰もがそんな想いを抱いたことがあるみたいな。

しかし、実際は(とは言っても霊的真理の考え方)、みんな親を…その環境を選んで生まれてくるのである。

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誰でもない自分自身が、魂が、自分の成長にとって必要な環境を、カルマのレッスンをするにふさわしい家そして家族、負債の返済のために最適かつ条件が整った場所を、波動の法則(引き寄せ)によって、自らに与えている。

産まれることは権利でもあり、かつ果たさなければいけない絶対的な義務でもある。

この世(三次元という現実)での現身が、魂と同等に成長するまでは、私たちは何度も生まれ変わって、たくさんの生を生き、死して、カルマを与えたり与えられたりしながら、人生を綴り織って、泣いて笑って苦しんで、元居た場所への帰還、高みを目指していく。

この分離の世界で、母なるワンネスの母胎への回帰を唯一の拠り所として。

すべてを許され、与えられ、受け入れてくれる暖かい場所を夢見、憧れ、恋焦がれながら・・・そこに行き着くためには、愛が欠けている自分を・・・
自分以外の人間を、生命を排除する、排他的で利己的な自分、すべてを愛せない、許せないことの多い自分を、とことん更生して、切り捨てていかねばならないのだが・・・

自分を含め、すべてを愛することの出来る心を持たなければ、転生の旅に終わりが来ることはない

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さて、いつ何処でそれを目にしたのかは忘れたが、仏教では、身内の中から出家者が一人でも出ると、遡って8代(その人物を含めて7代先)までのその家系の因果(罪)や業を浄め、贖うことになるのだという。

その言葉が本当かどうかは知らないが・・・

そういえば中学生の頃、偶然お会いした(すれ違った時に唐突に言われた)とある霊能者の人に、

「あなたは、お家の因縁を断ち切るために、今の家に生まれてきたの。それはとても辛い大変なことだけど、やらないといけないよ」と言われたことがあったりする。当時、中坊だった私からすれば、頭の上は「?」になるし、そんなこと言われても~てなもんで、「ふざけんな、バカヤロー!」でしたけれど・・・

でも、実際問題、生徒さんたちを見ていると、やはりそうだなと思うし、そうなんだなって納得する。

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いやさ、うちの生徒さんたちは出家はしていませんし、私も勿論のこと。うちは宗教とは関係ないです。(私のモットーはLet's多神教!ですけれどネ)

偶然HPやブログを見て当方に訪れてくれたり、紹介からいらして下さった方たちの中から、レイキなどのアチューンメントを受けて下さる方がいて、さらにそうした人の中から、講座で霊的真理を学び、グループレッスンへと進んでくれる人などに至っては、レッスンの場や日常生活において、どうしても家族(身内)をヒーリングすること、家族や家系の問題解決のため、「どげんとせんとイカン!」と、アプローチしていかざるを得なくなるからです。

とどのつまり、自分のことが一段落したならば、身近な人に対するサポートをしないと、と思うに至る。自分以外の人のこと、広い視野で見ることが出来るようになるワケ。

とはいうものの、身内やパートナーに対しては、いまいち客観的になれず、困難もありますが。そこはそれ、第三者である仲間たちとの助け合いです。
ここにグループレッスンの意義、恩恵がある。

全ての人が取り組めているわけではないですがね。
中にはまだ、自分のことで一杯いっぱいな人もいるし。

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家族に対する働きかけとしては、もちろん、相手をコントロールすることであってはならないし、その人のエゴイズムが望むように、自分にとって都合の良いように現実が変わることを欲するようなアプローチであってもいけません。

相手も物事も思い通りにして、自分にとって心配事を減らしたいがための行為などは、もっての他なのです。それはとても罪深いこと。

そういうエゴイズムのないところで、如何にして、身近な人を、家族を、家族の問題や、自分が生まれ落ちた家・・・両親それぞれのルーツ、○○家が背負った業を、先祖が積み重ね、貯めこんだ負の遺産を、それを綺麗に浄化することって、子孫である生徒さんにとって課題のひとつでもあり、自らのカルマのレッスンに、真正面から取り組むことに直結していたりするのです。

家族との間の問題に取り組むことというのは・・・先祖の負の遺産を無くしてまっさらにすることが、過去の自分の生き方と向き合うことになりますので。

とは言っても、お金をかけて先祖供養をすることがその道や方法なのではなく、イコールというではないですよ。

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家族の問題や関係性を自分の問題、自分に与えられた課題として考えること。家族に現れた問題から学びを得ること。そこから自立して自分を成長させようとすること。助けられる家族に対しては、精一杯助け合うこと(毒親の奴隷になれとか、共依存な不健康たる関係のままでいろということではないです)。

負のループを断ち切る勇気を持つことも大切なんです。ネガティブな風習とか、次の世代に伝えない努力とかね。例えば男尊女卑とか長男教とか、悪しき因習や考え方、それを継ぐことになる子孫が苦しむであろう物理的なものを遺さないことも含めて、伝えるべきでない遺伝的要素を断ち切ることなども(遺伝病)。

そのような現実的な問題から眼を逸らさずに取り組むこと、家族と自分との間にある問題、自分自身の問題を解決するべく一生懸命生きること、それこそが現実的な先祖供養とも言えるし、因縁浄化の方法と言える。念仏を唱えたりの供養とかよりもね。それは先祖が子孫に与えた洗脳や刷り込み、他者に与えた痛みや苦しみといった罪、カルマを生産する最も現実的な取り組みだから。

後は自分が一人の人間としてまっとうに生きることで、社会に奉仕する生産的かつ創造的な仕事をして、自分も周囲の人をも幸せに出来る生き方をすること。それだけです。それが肝心。

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何故かっていうと、自分も確実に誰かの先祖なのですよ。

その人生で子を産もうが産まなかろうが、過去に生きた人生分、何れかの何処かの国の、○○家の誰々・・・って、ポジションで生きていた事実があり、霊脈的なエネルギーの一部になっている。

その時のファミリーツリーの一部として、その○○家の先祖としての集合体意識・・・すなわちグループエレメンタルに参加しているのです。

(これは子孫の第一チャクラに、親族の情報として蓄えられ、血族との間にネットワークを作っています。子供を残さなかった人でも、ちゃんと記録されるんですよ)

仮に100回生きたとすると、100の子孫がいて、100個ものファミリーツリー(家系図)に名を連ねているわけ (実際はネズミ算式で枝分かれして増えるからもっと多い)

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つまり過去生の自分・・・その人生で作ってしまった、
あらゆる想念(DNA的エレメンタル)を子孫に残しているんです。

ポジティブな遺産も勿論ありますけどね。下手したら、子孫に返しきれないほどの、ネガティブ想念・・・莫大な借金を未だ押し付けているって可能性もあるわけです。(しかも一か所じゃなくて、あちこちだったりっっっ汗)

他人様から恨みを買っていたりとか(例えば○○家憎し!みたいな)

妻や子、肉親と愛憎の歴史を繰り返していたりとか

子供や孫に借金残して亡くなってたりとか

犯罪者を犯して家族に肩身の狭い思いを与えたとか

そんな風に、子孫たちからしたら、ロクでもない先祖だった可能性も否定できません。逆に自慢できる立派な先祖だったかも知れませんけど。

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今の自分が、先祖や両親の負の遺産で苦しんでいるように、誰かの先祖としての自分もまた、様々な場所に存在している数えきれないほどの子孫に、当時の負債を背負わせているかも知れない、(原因としての)存在なのです。

まさに、他人に与えたことは自分に戻ってくる。

そして見知らぬ垢の他人の誰かは、あなたが残した負債に苦しむ子孫の一人なのかも知れません。

あなたが、「あんな目にあってザマーミロ」と誰かに思うとき、その人のあんな目は、あなたが遠い昔に撒いた種なのかも知れないのです。

今は無関係でも。私たちは繋がっていたりする。

蒔いた種は、形が変わって、時を超えてしまっても、
蒔いた当人が、刈り取らなければならない。

この意味がそこにある。

あなたが好きになれないその人は、あなたのいくつか前の人生の時の、人から嫌われる気質や性格を受け継いだ子孫かも知れない。

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目の前の困っている人を助ける人は、あなたがいくつか前の人生で作った負の遺産(借金)を背負ってくれた、子孫を助けることでもあったりする。

この地球上には、未だ会ったことのない、顔も知らない子孫たちがたくさん存在していて、かつてのあなたの親密な人や家族が、リアルタイムで見知らぬ土地で生きていて、その人たちは今、貧困にあえぎ、食べるものに困っているかも知れないし、病気や戦争や差別で苦しんでいるかも知れない。その逆にとても幸せで豊かな暮らしをしているかも知れない。

彼らの苦しみはあなたの苦しみで、彼らの幸せや喜びはあなたの幸せ、喜びでもある。今は血が繋がっていなくても、あなたはその人たちの親であり、子なのである。民族が違い、肌の色が異なり、言葉や宗教や文化が違っていても。

そういう意味で、この地球上にはたくさんの家族がいる。みんなかつては同族だった人ばかり。縁がなかった人なんていない。他人なんていない。

この世のすべての人は、かつてのあなたの家族であり、これから未来のあなたの家族になる人なのである。この世は霊的な血縁の親族たちで、いつだってあふれかえり、繋がって成り立っている。

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あなたが他人にすることは、あなたの家族にすることなのである。そしてあなたが負の遺産を作ることは、あなただけでなく、あなた以外のすべての人に、地球上に住まうあなたのすべての家族に、負債を負わせることなのである。

さあ、我が子が苦しんでいるときに、親(先祖)であるあなたはどうしたいと思うだろうか?

どうすれば子であり、かつて親であり、愛をかわし、慈しんだ彼らを救うことが出来るだろうか?

あなたが他者に負わせている負債を、どうやって支払うべきだろうか?
肩代わりしている人にどうしたら償えるだろうか?

まずはあなたが今いる場所で、撒いた種を刈り取ることだ。

家族を助けようと思うのなら、見知らぬ人に親切にすることだ。地球に住まう人はすべて自分の家族であり、そこに起きることの責任の一端を、自分も担っているのだと意識して生きることだ。

自分がしたことがいつか、自分だけでなく、多くの人に影響を与えるのだと、それを知って、認識し、命を考え、責任を持って、自分の生を生きることだ。

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それは自分のせいではないとは言わずに、今の自分の居場所を何とかして、自分の問題を、家族の問題を、出来る範囲で片づけたり、解決を図ることだ。

自分が直接創ったものではないと目を背けず、自分が過去に創ったものと同等と知って、心を尽くして、自分の問題としてきちんと向き合うことだ。運命というものは、実によく仕組まれている。見事なまでに周到かつ綿密で、すべてにおいて無駄がない。

人生で起こることは、本当にうまく出来ている。

いま目の前にある家族、自分の生まれた環境やルーツの中に、自分が取り組むべき課題(カルマのレッスン)があり、贖罪の方法や必要な学びが隠されている。

何も、"使命"なんか探す必要はない。

わざわざ過去生なんて知る必要はない。

いま目の前にある現実から目を逸らさなければいいだけのこと。現実に向き合って、身近な問題に取り組んで、そこから学びを得るだけでいい。

確かなものは現実にある。

自分に必要なものはすべて生まれたときに揃っている。

足りないものなんて何もない。

不足があったとしても、それこそが必要なものなのだ。

今いる場所が、すべてを教えてくれている。

あなたの魂が、あなたをそこに導いたのだから。
あなた自身が、自分に必要なものを選んだ結果だから。

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あなた自身が生まれることを望んだ。
あなた自身が、その家、その家族、その環境を選んだ。

すべては求めに応じて。

すでにあなたはこの生に対しての、人生に対する答えを持っている。

すべてはあなたの中にある。

あなたの人生の中に、あなたの環境の中に。

すべて必要なものは用意されているのだ。目の前の現実に。

あなたは答えをすでに持って生まれてきているのだ。

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