君子は和して同ぜず小人は同じて和せず
こちらも下記のblogからの転載になります。人間関係に関するテーマ、幾つかをまとめました。数年前に書いたもので、書いた時期はバラバラ。そちらご了承下さい。
信頼と評価に義理人情は不要である
人を紹介するのは難しい
単純に「この人は誰々さんです」と、その人がどこの誰であるのか…
名前と自分との関係を説明するくらいなら、とくに難しくもなく、ためらうことなど何も無いが。
「仕事」や「お金が絡む場」を紹介するとなると別だ。そこに信用と責任が生じるから。
ここに義理とか、何かそこに人としての「情」を絡めてしまうと、人の目は曇る。私もこれまで大体それで失敗してきた。
例えば、私と類似の同業者。
友達だから信頼したいし、活動を応援したいと思っても、友人として付き合っている部分と、職業上の評価と人としての信頼はまた別物なので。
少し話変わって。
今はもうお付き合いは絶えてしまった方のこと…まだ占い師であった頃、とあるイベントで若い占い師の子と知り合った。とてもいい子で人としては好きだし、共通の話題もある。そのような付き合いだけなら、楽しくやれた。
お堅い金融業の正社員から占い師に転向した彼女は、「占い師がこんなに儲からない仕事だとは思わなかった」と宣う。だが、彼女がレギュラーで出演している場所は、都心では占いの仕事において、もっともお客さんが集まる若者の街。
※ちなみに関西と関東では関西の方が占いの商売はしやすい。定着していると言うか、占いに費やす予算・単価が関西人はハンパないのだ。関西から関東に来た占い師が言うには、「関東は儲からない」その変わり関東ではスピリチュアル・ビジネスが横行しているという感じ
お商売というのは三か月サイクルで見ないといけないので、出演し始めたばかりなのかと思いきや、もう1年以上経過しているのに、未だリピーターは僅少。
場所が悪い理由では無い…ってことは推察出来る。
では、どのような鑑定をするのかと…それによっては紹介できる仕事もあるかもと、腕を見極めるべくプライベートな相談をもちかけたのだが、結論として、お金を出して見て頂きたいレベルでは無かった(上から目線の物言いでスマソ)。
センスというか語彙力というか、コミュニケーションの問題がまずあるということで、さりげなくそのことを遠回しに伝えるも、彼女から相談を受けたわけではないので、聞く耳のない時に伝えても…であった。
その後いわゆる「すぴ」のジャンルに興味を持ち、結婚を機に旦那さんの応援もあって、ヒーリングの学校に大金払って通って、そちらの道に進んだものの…やはりお客さんが来ないということで「もう、やらない」となってしまったようだ。
ちなみに占いにしても、正社員時代に学校に通って習ったとのこと。(笑えることに、知り合いのMさんが開いている占い学校であった<いや、私とは仲悪い人。つーか、一緒にご飯を食べたときに小指を立てて気取ってワインを飲む姿がめちゃおかしくて、思わず堪えられなくて笑ってしまったら、「失敬な!」って、根に持たれたというか、嫌われちゃったのねん。若気の至り)
なんていうか、お前が言うなと言われそうであるが、正直なところ彼女は社会性に欠けていた。それから占いにしてもヒーラーにしても、その道に進むための明確な動機と確固たる目標が無かった。
もし、動機がしっかりとしてさえいれば、この仕事をするために自分に欠けている要素は何なのか…必要だが欠けている要素を埋め合わせようと学び努力し、身に着けようとしたろうし、習得も可能だったろう。
言葉のキャッチボールが苦手であるならば、とてもダサいおばさんファッション(西松屋コーディネートみたいなっっ)を改めて、セルフプロデュースで自らのイメージを創り、言葉少なでも神秘的な神託を告げるミステリアスな占い師として自己演出したならば、たぶんファンも付いたろう。何ってったって彼女は、顔立ち整った美人さんであったから。あたらもったいない。
しかし、彼女はこうでありたいという自分のこだわりに固執し、周囲の言葉に耳を傾ける柔軟さを持たなかった。
人間としての彼女は誠実で信頼出来るし、好きな友人ではあったが…
仕事の評価に、嘘を挟むことは出来ない。
知り合いだから友達だからと、そのような贔屓目を持ちたいのは山々だが、
「情」で判断することは、やはりしてはならないこと。
別の人の話。
その人はとても教養があって霊的な知識に長けていた。その知識と素養を否定して眠らせておくのはどうよと、多方面から色んな人に言われていたようで、私もそうした知識を教えることは勧めてもいた。
だけども私のような形での一対一の、対面式のカウンセリングのようなことをするには、その人はちょっと問題があると思われた。同調と共感力がもっとも欠けている人であったので、他者の気持ちに寄り添うことが出来ないのは、この仕事において致命的な欠点であるから。
やる気になったのはいいけれど、欠点を表面化させずに持ち前の長所を引き出す形で、すぴ関連の仕事をするのであれば、ちょっとその方向性は違うんじゃないか? 対象とする人たちをうまく篩い分けないと…と思ったりもしたが、それは余計なお節介と言うもの。
求められていないアドバイスは、耳障りな騒音でしかないのだから。
友人だから…知り合いだからと言って、総てを信頼して評価出来るわけでは無いのです。その人たちの仕事を見る時には、欲目は引っ込ませて冷静にその価値を見極めるべきで。
簡単に人を紹介することは出来ないし、紹介するときにはその人の仕事における失敗も評価も、自分がひっかぶる覚悟で紹介しないといけない。
それだけ責任の生じることだと…
自分のWebサイトに、知り合いのサイトのリンクを張ることも同じ。
それは過去の反省からくるものだったりします。
そして、この先はまだまだ自分が甘かった時のお話。
ある人の紹介で、ある場所での瞑想会に参加した時のこと。
その人のことを信頼していたから、誘われて参加し、その人の長年の友達というから信頼して(でも結局自分の目で見極めないとダメですネ)。
紹介された人は悪い人では無いし、基本的に善人で。純粋培養の無垢な人といった感じ。今はもう故人となった、ある神秘思想家に息子のように可愛がられた弟子のような人でもあったから、著作でその先生を知る私としても、魅力的なお誘いでもあったのです。
自分にとって、既に知ってると思う知恵や世界のことであっても、他人から改めて教わることは、自分の知らない新しいことを知る機会にもなるし、それはそれで新鮮で楽しい出来事でもあった。心理的に落ち込んでいるときでもあったので、そこでの出逢いに救われた想いもあった。
ある日、その人がとあるセミナーを開くと言う。是非受けて欲しいと。
聞けば価格は安くはない。断ったが、人数が必要なセミナーと言うこともあるようで、ぜひ受けて欲しいから料金は要らないと言う。そういう訳にはいかないと断っても、逐一お誘いがあり。良くして頂いていると言う想いもあったので、そこまで仰って頂けるならと参加させて頂いた。
(結局のところ、最初は無料でいいから是非参加してくれと言っていたが、いつの間にか「〇〇円でいいよ」になり、それが「もらえるなら。いつでもいい」になり…最終的に苦言を告げたところ、一部返金とはなったのだが)
だが、いざセミナーという時、私は網膜剥離になり、手術を要して入院することになった。と言っても準備などあって、数日後の入院であったが。
それで断ろうとするも「だったら余計に参加した方が良い」と宣う。
普通に考えたら網膜が剥離し失明の危機にさらされ、医師から「家の中でもなるべく動くな、歩くな」と言われている人に、電車を何本も乗り継いでの移動と、朝から晩までのセミナー参加を促すなんてありえない事。もし、その人が本当に常識があって、相手のことを考えてくれる人であったなら、そんなセリフは出てこないだろう。
ここに観切るべき材料が提示されていたのに、バカな私は「義理」と「情」を取ってしまった。だから、これは断れば良いものの、断らなかった私の問題で責任そのものである。
そのセミナーには、地方在住の癌患者の方が参加していた。生きたいと望み、希望があるのなら…どんなことでも試すという想いでの参加。もしかして、これを受ければ自分は治るのかも知れない。そういう気持ちが合間に話す会話や発せられる一言一言、その言葉の節々から、切々と伝わってきた。
新幹線で帰られるとのことで、途中まで一緒になり、私と二人きりになった時。体力も精神もギリギリのところにいる彼女は…
「私はこのセミナーを信じてたのに
書いてあることに僅かな希望を持って参加したのに
東京に出てくるのは本当にしんどくて
それなのに…それなのに…
ひどい」
と絞り出すように小さく、声にならない悲鳴のような声で、大粒の涙を流して嗚咽した。
それに対して私は自分が何を言ったのか、覚えてないのだが…最後の最後に
彼女は「あなたが一緒に参加してくれてよかった」と、手をギュッと握りしめてくれて、何とも言えない目で私を見つめて…
固く握りしめられた手から、彼女のやるせない気持ちと様々な痛みが、たくさん流れ込んできたのを覚えてる。
そして、それが最後だった。
あの時の彼女の失望感と言葉は、今も胸に刺さっている。
※私は主催者の知り合いというだけで、職業について何も伝えてません。
主催者であるその人に悪気は無く、その内容は他の人にとって、とても有益で良いものと信じているし、自分が誰をどうやって傷つけているのか…まったく気付かない人だから難しい。
けれど大人であるならば、ビジネスとしてそれをしていくなら…
まして目に見える形が無い商品やサービスを提供していくのならば…
何よりも顧客たる人を大切にし、お商売としての信頼関係を築いていく必要がある。相手と誠実に向き合っていくという姿勢で示して。
「ここに来て良かった」「このサービスを受けて良かった」と、言ってもらえる体験、そして時間を持ってもらうために気持ちを尽くして、労わりの心を態度に出していかないと、相手はそこに何も価値を見いだせないし、目には見えない「何か」を受け取ることも出来ない。
参加者としての私の感想は、言われていることが何なのかは解るし、内容自体悪くは無いのだが、やり方というか進行の問題と言うか、改善すべき点があるとは感じたし、ともすれば霊感商法っぽい胡散臭い、妙な馴れ合い的な雰囲気を排除して無くしていけば、方向性としてはイイ感じにまとめられるのではと。
さて…そのような「やり方」をしている私よりも年配のその人に、どうやって伝えるべきなのだろうか?と…少し考えてタイミングを待ち、
「霊感商法と間違えられるような商売をしていると、業界全体としてもよろしくないし、他の同業者の人にも迷惑がかかってしまう」などと言うようなニュアンスのことを、他のことも交えて伝えたが…
結果嫌われて終わり(笑)
まあ伝え方も良くなかったのだと思います。でも、きっと正しい伝え方など無かったのかも。
この方を前にして何も言わず、この方のいないところでその人の文句を言う人はたくさんで。どうも、この人はそういう方がお好きらしい。
以来、私はずっと無視されてますけども…
この人のことを陰ではバカにして揶揄する人や、「あたしのお金を返して欲しいわ」と言って、怒っているけれどそれを言わないでいる人たちに、彼が「イイネ」をたくさん付けまくっている姿を遠巻きに冷めた目で眺めつつ。たぶん普通はこうなのだろうなと思ったりする。
みんな物事のよいところしか見たくないものだ。
真実を知りたいという人は、さほど多くはない。
誰もかれも注意されたくは無いのだろう。自分に痛いことを言う人のことはみんな嫌いで、それが口だけのおべっかでも陰口をいかに言われていても、直接的に自分を傷つけなければ人はOKで、そういう表面的な付き合いを大切にするもので。
ふだん霊的成長がどうのこうの語っていても、成長したいと心から望んでいる人は少ないのだ。耳の痛いことは聞きたくないし、お説教や欠点を指摘されることは不愉快以外の何物でもなく…それをお節介に言ってくる人はたぶん「悪」なんだろう。
そして、このような気が付いた点について、他人にあーだこーだ言う人は支配的だ。コントロール欲求が強いと非難されてしまう。(実際、そういう人も多く含まれているけど)
そうですね。やっぱり社会的常識を弁えていること。挨拶がきちんと出来て「ありがとう」「ごめんなさい」を口に出来る人であるか否かって、そこでその人のすべてが解るといっても過言ではなく・・・
基本として、それが出来ない人とは、「すぴ」な業界の人であろうが、会社員や経営者や主婦であろうが、対等な関係性、人間関係を創るのは難しい。
肩書とか能力は関係ないです。
自分が間違えたときに素直に人に謝る事が出来る人なのか…口だけで無くて、きちんと行動で示せる人なのか…感謝の気持ちを態度に表している人であるのか等etc...
眉唾もの見せかけのもの、信頼できる人出来ない人、仕事や自分の大事な人間関係を紹介しても、大丈夫な人かどうかは…多分そこだけ見て考えれば、まず間違いないんだと思います。そこがきちんとしている人は、仕事にも他人にも誠実だから。
君子は和して同ぜず小人は同じて和せず
以前というより何度か書いたことがあると思うのですけど、私には同業の友達がほとんどいません。程よい距離で長くおつ付き合いしているのは、アルファーのローズマリーさんくらいかな(彼女はホント素敵な人でいつも助けて頂いてます。仕事のスタンスや方向性はまったく違いますけどね)。
この世界(業界)、個性的で変わった人が多いので(私を含めて)、趣味や会話の面で共通項目のある人が少ない…と言ったほうが正しいかも知れません。私自身、十分に電波系なのですが、だからといってすべての電波さんと話が合うとは限らず。
と言うのも、私はいわゆる一般的なスピ話というのに興味が無く、プライベートは完全に俗物なんですね。目には見えない世界に関する話は当たり前すぎると言うか、日常生活のことで今更ってことでもありますし。
おそらく私は、スピリチュアルなことを教えてはいるけれど、ジャンル的傾向?としてはスピ系の人よりは、オカルト系とか魔術話とかそっちの方の人との方が、話が盛り上がったり合うことが多かった気がします。
視点も異なっていて、ベースにある知識も違うからなのでしょう。
お互いに視えている世界や視え方や、それに対する解釈やら捉え方、考え方が違うから、会話が噛み合わず、成り立たないのです。それだけのこと。
以前こんなことがありました。
とある、自宅の一室を解放して知人に貸し出し、ワークショップなどを開催している人がいたんですが…室内を思い切ってリフォームするとのこと。
ですが、その部屋では今まで、たくさんの集まりがあったので良いエネルギーの和たる塊。とってもグッドなグループ・エレメンタルがあったんですね。全面改装するとなると、それって壊れてしまったり、不具合が生じる可能性が高いから、そのようなことを説明した上で…
「このグループ・エレメンタルは、4次元の別なとこにいったん移しておいて、リフォーム終わってから戻すといいよね」と言う話をしたんです。
同じ知識のバックボーンがある人たちだから、(私よりも長く学ばれてる先輩たち)それで通じたと思い込んでしまった。
(ちなみに、日本の神社の本殿の改装とか移築とかでも、よく行われている昔ながらのスタンダードな方法です。代表的なのが伊勢神宮での遷宮。一般の神社でも、秋の大祭で神輿を出すときなどにはこの方法が使われます。私がこの時に話したのはダスカロスによるエソテリックティーチングやプロラクティスなどのやり方、西洋の知識の方。西洋と東洋とやり方は違いますが、原理というかやってることは同じなんで。誰もが出来ることでは無いけれど、霊道を上げたり、ずらしたり出来る霊能者さんなら、簡単に出来ることです。あーあれかって解ると思う)
ところが彼…は、室内にある家具は買い替えずに(レンタルルームに)保管して、リフォームが終わってから戻すといいよ…と言う風に理解をしていたのでしたっっ汗
私の説明が悪過ぎたとしか言いようが無いのですが。言葉足らずだった?「あれっ? どうしてそーなった??」と、ちょっとした衝撃だったんです。
同じ知識を同じ場所で学んで(私よりももっと古くから)、当たり前のようにエレメンタルの話をしていたから、エレメンタルのこと解っていると思ってたのに、エレメンタルの話が通じて無かった。
なので同じ知識を学んでいても理解度は異なるもので、相手も同じものが視えているとは限らず、同じ世界に捉えているとは限らないのだと…改めて痛感した出来事でして…言葉もですが、伝え方って難しいなと。
そうしたことも含めて、霊的な信念体系や価値観が異なる同業の人とは、捉えている世界や視ているもの、バックボーンにある知識等にギャップがあるので、話が噛み合わないってことも当然出てきちゃいます。
他者や情報交換に否定的なスタンスを取っているつもりは無いけど、互いを尊重し合える対等な関係を築くには、相手から学ぶ姿勢が双方に必要っていうのかな。自分の意見の押し付けをしないことが前提で、相手を尊重することが出来ないと関われないつーか…まあ、その何か接点や共通点が無いことには始まらないなってのはありますよね。あと、同等の知識や共通認識を持っているか否かで、出来る話と出来ない話、会話が通じる通じないという問題も生じるわけです。
そういう意味も含めて私は日常において外の世界に、スピリチュアルな情報を求めてはいないので(無関心というか触手が伸びないというか)、スピ仲間を求めている人に対しては私はちょっと違います、ごめんなさいという感じがあるかも。
まぁリゾート感覚で瞑想村に行ったり、心身を鍛えるために滝に打たれに行ったり、神社やお寺にも行きますし…そういう場所で知り合った人と、その場限りのおしゃべりや一期一会の出逢いを楽しんだりもしますけど。
何ていうか、積極的に「お仲間」を求めているわけではないのです。
もちろん意気投合して仲良くなれる人がいれば、それに越したことはありませんし、そうした出逢いを拒絶してはいません。なかなか出会えませんが。
話は変わりますが…
私は決して友人は多くないほうですけど、私の友人は私の仕事のことは知っているけど、私が仕事としている分野の助けを必要とはしない人たちばかりって感じです。もちろん友人たちにも悩みはあります。人生に問題が無いわけではないのですが、友達に相談はしても、占いだとかスピリチュアルなことに頼るようなことは考えない人たちですねwww そうした話もほとんどしないし、私がすれば聞いてはくれるけど(愚痴とか)
みんなアクティブで外交的で、人間的に自立しているというのが共通点でしょうか。専業主婦も子無も子持も孫持ちも独身もバツイチも、うんと年下もうんと年上(70代80代)の友人もいますが。協調性があって社交的ではあっても、群れることなくおひとり様も平気な人たちばかり。
だからこそ、適度な距離で長く付き合えているのかな。何かあったら助けてくれるけど、寄りかかりすぎず頼り過ぎず、互いの負担にならないちょうどいい距離で、悪く言えば甘えられない程よい距離感w
ホントにフツーの友達です。家族のこと、人生のこと、仕事のこと、将来の展望や不安、心配ごと。好きなことや興味のあること、昔話やどうでもいいことことから深い話まで、色々話はするけれど…たわいの無いおしゃべりがとても楽しく、素のままの自分、タダのオバサンでいられる時間は、人としてとても大事だと思ったりします。
ただ、普通の人のフリをするのも、疲れるときはあるかなあ…ww
クライアントさんや生徒さんとして出逢った人と仲良くなって、仕事抜きで長いお付き合いになることも稀にあります。ですがそれは、きちんと「わきまえて」くれる人とだけの話です。今のところそれはほんの数人だけですね
仕事の依頼とプライベートを分けて、公私混同せずに関係性を築ける人との間だけ。それ以外の人とは距離は置かせて頂いています。(レイキのレッスンなどで地元を案内がてら、ランチをご一緒することはありますが)
あとは皆さんで、と言う一対一にはならないときなら、ご飯に行ったりしますけども。
お互いに気持ちよく健康的な関係でいるために、必要以上に距離を詰め過ぎないよう、親しくならないように気を付けてはいます。
このような仕事をしていますが、私はプライベートでは漫画を読んだり、ゲームをやったり、一人で映画やカラオケ行っちゃったり、カフェとかでまったりお茶したり、美味しいものを食べるのが好きで、ぼっーとだらだら過ごすのも大好きで…運動音痴ですが、阪神タイガースファンで、モルツドリームマッチに毎年行くのが楽しみで、好きなミュージシャン(主に外タレ)のライブに行ったり、美術館や博物館の展示に行ったり、散歩をしたり神社仏閣にお参りに行ったり…
ネットサーフでまとめサイト読んだり、Youtubeでミュージックビデオ見たり(ハードロックやプログレ、ブリティッシュロック好き)、鉄道系や飛行機系YouTuberの動画見たり、歴史系や史実系、しくじり企業やゆっくりボイス
ナショジオの番組や犯罪や事件記録、シリアルキラーものやプロファイリングものとか色んな動画や資料を読むのが大好きだったりして。
そのように普段は「スピリチュアル❓ なにそれ 美味しいの❓」
みたいな感じの、スピリチュアルとは全く縁のない趣味つーか日常を送っている根っからの俗物でございますのよ。
聴くは一時の恥、聴かぬは一生の恥
いつだったか朝の後楽園駅にてホームを歩いているとき、スカートのファスナーをご開帳しちゃってる若いお嬢さんが前に。それを見たオバサンは、こりゃイカンと、「あの、後ろ、スカートのファスナー開いちゃってますよ」と小声で。
でも、とっても冷めた表情で、「あ、そう」とだけ言って、そのままスタスタ去ってしまった。
「・・・・・・」
ゴメン! もしかしてソレ、わざとちゅーか『趣味』だった??
あっけに取られた私を残して遠く去っていく、
彼女のスカートから覗いているパンティを見ながら、そう思ったりして。
そんな風に、最近はストッキングが伝線していたり、スカートの裾から糸が出ていたり、靴が左右違っていたり、髪の毛にカーラーが巻きついていたり、口紅がはみ出ていたり、洋服が裏返しだったり左右逆だったり、裾がめくれていたり、たぶん間違えちゃったのね、寝起きが悪くてそまま来ちゃったのね、などなど…身だしなみとして、ソレ気づかないとヤバイですぜ、と言う人を見かけて教えたとしても、
「教えてもらった良かった!早く気づけて良かった」な素振りの人は少なく、むしろ、「人前で注意するなんて、恥をかかせてヒドイ!」みたいな、
逆切れというか、失礼だと言わんばかりな対応をする人もいたりして、
『下手な親切大きなお世話』の境界線がどうもよく判らなくなってきた近頃。人情に厚かった昭和生まれには理解不可能つーか。
もう、オバサン着いていけないわ。
さすがに男性の社会の窓のご開帳に関しては、オバサンとは言え、女性から注意するのは難しいでゴンス。職場で見知った人とか、知人友人ならいざ知らず、女性に注意されるのは、やっぱ恥ずかしいだろうし~見ないふり気づかないふりをしてあげたほうがいいのかな、と。(ヘンタイさんは別として。※ヘンタイさんには「Oh!超スモールサ~ィズ!」「ポークピッツ!」と、お褒めの言葉を投げかけるのがヨロシ)
ホント、人に何かを注意するのは難しいです。公序良俗のマナーとか法律的な規範がはっきりしているとこならともかく、常識・非常識っていうのは、所変われば、時代変わればで、国、民族、宗教によっても違うし、世代間でも異なっていたりするから。受け止め方もそれぞれだしねぇ。
それでも、誰の子供であっても子供に注意するのは、社会における大人の役目だと昭和生まれは思うけど。食べ物は粗末にしたらいけません、お残しはダメか、困っている人、お年寄りなどには親切に、とか。それを実践するのが難しい時代になってきたのは事実。
さて、私は20代半ばのバブル膨らみ始めた初期の頃、交通事故にあったことがきっかけで仕事を辞めざるを得ず、借金を抱えて生活もままならなかったのこともあり(加害者に逃げられて治療費をもらえなかったので)、地方のリゾートホテルに住み込みで働いていたことがある。冬はスキー場、春から秋はゴルフ場といった具合に。ずっと同じところではなく、同系列のホテルであちこち転々と。
そのゴルフ場で働いていたときのこと。
仕事はサービスだったのだけれども、そこではコースレストラン(二箇所×2名)勤務と、ホテル内レストラン勤務とがあって、シフトにより交代で、外か中かって勤務が決まる。コースレストランは昼間オンリーだけどホテル内は早番遅番があるわけで。
で、ホテルの中はたくさん人がいて、黒服とか男子とか他女子もたくさん。
コースレストランに行くメンツは基本、社員ではなくシーズンバイトのみ。
(厨房のコックさんは社員、洗い場さんは地元のパートさんだけど)
サービス担当の二名はその時によって、ペアが代わるんだけど、そのうちの一人がちょっとクセがある人で、シフトを見るたびに、皆憂鬱になっていたり。「うわっ、今週彼女と一緒が○回もあるの?ヤダー!」…みたいな。そういう愚痴を言い合って、「ご愁傷様ね」と慰めあうことに。
なんていうかー
プライベート(寮生活)で関わる分には、サッパリしているし、チャキチャキとした感じで、話も出来るし、いわゆる悪い人ではないんだけれども…一緒に仕事をするとなると、ペアを組む人にとって、ストレスの塊となってしまうような人…だったんです。
まあね、プライベートで楽しい人が、仕事上の仲間としても良き同僚とは成りえないのと同じ。
彼女…の場合、仕事となると、仕切り屋の顔が出るらしく、相手が誰であっても、すべて命令口調。何でもかんでも自分の思い通りに進めようとし、自分ルールを押し付け、あーでもないこーでもないと仕切る。
思い通りに行かないと舌打ちしたり、機嫌が悪くなり、そればかりかヒステリックに怒鳴ったり、ペアのやることにダメダしをして、小さなことでも文句をつける。相手が年上だろうが社員だろうがおかまいなし。
キッチンの人に対してもパートのおばさんに対してもそう。但し、さすがにホテルの黒服に対してだけはそれはナシだったかな。
(なんていうかまるで帝国陸軍の軍人か憲兵かってノリで、今思うと、憑依されてたか過去生の影響かなって)
これには、みんな疲れを通り越して、ストレスの限界。実際、ストレスで胃痙攣を起こし、「他の人はいいけど、彼女だけとは無理!」って、倒れた子、チック症みたいになって仕事をリタイアした子もいた。
ホテルのレストラン内では他の人もいるし、そうした面はあまり顔を覗かせないので、気づかない人もいたり。少人数の時だけに豹変するってことで、
コースレストランのメンツだけが知っている事実であった。
当然のことながら、みんなの不満は爆発し、彼女がいない場では、愚痴大会の日に。どんどんストレスがたまって、ため息がだんだん悪口になっていくわけで。彼女の横暴なやり方に傍目で見ていた、コックさんやパート(彼女より年上)さんたちが遠からず注意をしても、強気で自分は正しいと信じる彼女の前では、もともと温厚な彼らはあっさりと玉砕してしまうのであった。
普段の彼女は決して悪い人ではないし、優しい面もあって、仕事熱心というか、一生懸命が過ぎるだけだと思うし~(いやかなり我がままなんだが)
・・・と良い風に考えようとしても無理ってくらい、皆の彼女に対する嫌悪感、悪意は過激にエスカレート。
私も相当ストレスを溜めこんでいた一人ではあったけれど。
なんていうか、それ以前に、陰でこれだけ悪口言われて、彼女を知らない人の間(ホテルの従業員中)にも広まってか、「コースレストラン、大変なんだってね、負けないでね」と見知らぬ人からも声を掛けられるほどに、私たちは被害者の会のごとく同情され、それと対比して彼女の悪評は日ごとに広まって、同室の仲間たちにも、「顔を見るだけで吐きそうになる」とストレスの塊として認識され、当人を抜きにして集まっては悪口の対象になっていること。
なんか、そーゆーのって、どうよ?
・・・と私は思ったり。
彼女が本当に心の底から性根が腐ってて、イヤな人だったら、自分が周囲にどれほど嫌われているか、悪く言われているのか、知っててそういう態度をしているような人であったなら、そうは思わなかったと思う。けどいい面があるのも知ってたからね。
それに本人に直接言えないこと、言わないことを、陰であーだこーだ他人と集まって言い合うのって、基本的に好きではないので。ちょっとした愚痴とか相談とか、それはあって然りですが。さすがにここまで来るとなー…と言うのはあった。もはや、彼女はホテル中で『悪役』のごとく、嘲笑されていたし。
もし、私が彼女だったら、自分が知らず知らず他人にストレスを与えていて、いつの間にか周囲に嫌われて、知らない人の間でも噂になっていて陰口悪口言われ放題なんて、そんなのはイヤだし、知らないままでいるのは…気づかないで、ずっと憎まれ者でいるのはなあ…って思うから。
今だけのことではなくて、彼女のこの性格なら、過去の職場でもそうだったんだろうし、この職場を辞めた、この先の別の職場でも、こうした欠点や問題をずっと持ち続けて、人に嫌われたり、避けられたり、陰口を言われることになるんだろうと、それに気づかないまま、生きていくのって、本人にとってどうなんだろう、惨めなだけじゃないかと。
そこである日、たまたま仕事が終わってから、彼女と2人きりになる機会があったので、思い切って、コースレストランでの仕事のとき、一緒に仕事をする人々がどんだけ彼女に対して、ストレスと不満を抱えているのかを話すことに。
皆の想いとか、まあアレやコレや。
すると、彼女は泣き出して、全然気づいていなかった、そんなつもりはなかったし、そんな風に思われていたなんて!…と。急に弱気に。
で、急遽、寮にてコースレストランの皆と話し合うことになりやしたのよ。
彼女は終始、泣いて「ごめんなさい」…と、そうすると、それまで彼女のことを、陰で文句たらたら、罵詈雑言を叫んでいたり、悪口吹聴し、怒りまくっていた人々、「いや、私たちはそんな風には思ってないよぉ」「そこまで怒ってないし、言ってもないから」と、急に和気藹々な馴れ合いムード。
まるで、私一人が彼女に対してそう思ってるみたいな雰囲気に。
私としては「・・・へ??」でしたけれど。でもまあ、女の集団ってそんなもんか。ああ、そんなもんだったよな、と。改めて思い出しましたし、思い知らされました。
皆、人のことはあーだこーだ言うくせに、自分のことは悪く思われたくないし、彼女をいじめた人みたいにはなりたくないのね。本人には普段から直接言いたいことも言えないのにね。いつだって自分を被害者にする加害者を責めて、相手のせいにして、何一つ言い返せず、戦いもせず、なのに陰で集団になったときには吊るし上げて、被害者ぶるのに。
さんざん陰で言っておいて、本人を前にすると、「私は言ってない」「そんなこと思ってない」になる。そして、泣いた相手に同情して、優しい人のふりをする。
・・・・・・。
まあ、いいですけどねって感じ。
今さら人間不信になるほど世間知らずで無く。はい、皆さんそれで仲良しこよし、めでたしめでたし、で良かったですね、ってホント。
多分それまでは、彼女の悋気の強さのこと。噛み付くような言い方とけんか腰な言い方に恐れをなして、彼女の周囲(これまでの人生)には、誰も彼女に対して正面から注意をする人はいなかったのだろう。どうやら、私は初めて彼女の問題を指摘した人になったらしい。
「言いにくいことを言ってくれて、ありがとう。知らないままでいるよりは良かった」と彼女は言ってくれたものの…。
周囲が思うほどには彼女は強い人ではなく、欠点を指摘されたことに対してショックを受け、仕事中自分が周囲の人に与えている印象や自分という人間がどのように思われているのか知ったことで、かなりのダメージを受け…寝込むことに。
んでもって、彼女は私に対して恐怖心と苦手意識を持っちゃったのね。
とどのつまりが怖がられちゃったの。たぶん、私の言い方は相当きつかったと思われっっ苦笑 つまりトラウマになったってこと。
結果的に私は彼女を「叩きのめした」人になってしまい、皆の間では「何も当人に言わなくても」「そこまで言わなくても」で、 何となく悪者って雰囲気になっちゃいましたわっっww
余談だけれども、その頃、彼女は社員の男性といい感じになり初めていて(お互い地元に恋人がいたんだが)、お陰でその男性社員から、「お前、ひどいヤツだな、彼女はそんな悪い人間じゃないんだ」と喰ってかかられたり。
彼女が精神的ダメージで寝込んで仕事休んだり、周囲の女の子たちがそれに同情して、悪口大会が収まったり、そんなこんなの状況から、それ以前の彼女のワンマン暴走ぶりを、はてさてどうするべきか…と常々考えていたであろう黒服(上司)の一人が誰かから事情を聴いたらしく、そのいきさつから色々なことを察し、私に同情してくれたみたいで、
「しばらくコース行かなくていいぞ、ここで命の洗濯をしてこい」
と、メインダイニングでもコースレストランの仕事でもない、最上階の眺めの良いところで、他の人と顔をあわせないで済む、一人黙々とボッーと出来る仕事を与えてくれたりなんかして。
このときは単なるオジサンでヤな黒服と思ってたその人が、洞察が深くて気配りや配慮が出来る人なんだって知った瞬間でした。
一週間くらい、キレイな景色が見れる特等席で、ひたすらナフキンを折るだけの日々。お陰でなんか私の意図を判ってくれる人がいるだけ、それでまあ十分だって割り切れることが出来ました。ホント、命の洗濯をしたわ。
その後は普通のシフトに戻ったかな。コースに戻ったときはキッチンの人や洗い場のおばちゃんたちが、気遣って良くしてくれたしねー まかないで美味しいもの作ってくれたりとか。
そうさなあ・・・
あのまま、他の人たちに混ざって、彼女の欠点を根掘り葉掘り突付いて、一緒に悪口を言い合う仲間になることも出来たろうし、その仲間に入らなくても、自分の中のストレスと折り合いをつけ、彼女とその場その場で個人的に衝突とケンカを繰り返し、鬱憤を外で発散したり、地元の友達に愚痴を言って済ませて、シーズンが終わってこの仕事が終われば、二度と会うこともない人と、その場だけ耐えて過ごすことも出来たと思う。
友達では無いし、これから先も付き合いたい相手でも無いわけだから。そこまでしてあげる義理も無かった。
でも、まあ…根が生まれつきのお節介なんでしょうね。
確かに私でなくても、誰かが何処がでそれを気づかせることをしたかも知れないし、もっと別の痛い経験をすることで思い知らされること、性格を矯正されるような出来事が起きたかもしれない。
別に私がでしゃばるようなことでは無かったのだろう。
何をどうすればよくて、どれがベストだったのかなんて、今も解らない。ただ、その時の私は、自分が彼女の立場だったらイヤだなって、それだけで。でも、相手が望んでいなかったことであろうことは想像に難くない。
自分の抱えている問題、ネガティブな側面、欠点を指摘されることはとても痛いこと。耳が痛いことって、たくさんある。それを知らないままがいいのか、知ったほうがいいのか。言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのか。今知るべきなのか、当人が気づくまで放っておくべきなのか。
知らないままに、生き恥をさらし続けている状態にさせておいてほうがいいのか、そのほうが親切なのか、それともそれが見守るということなのか。
たくさんの人に迷惑をかけ、人に好かれず嫌われる材料になり、自分の人生を悪いほうに仕向けている己が欠点や問題を、知らないまま生きるほうがその人のためなのか…あの欠点を残したまま、色んな人に嫌われまくって、他人のストレスの原因になっていることに気づかずに、年を重ねていくのがいいことなのか…
恥はかき続けているほうが、人々から嘲笑されているままに…色んな人から小馬鹿にされ、周囲に誤解され続け、他人にストレスや苦痛を与え、敬遠される状態、嫌われるままにしておくことがいいことなのか否か。
知らないでいるほうがいいことなのか、知ったほうがいいことなのか。当人が知りたいと望んでいるとか望んでいないとかに関わらず。その時、その相手にどうすればいいのかどうか、いつも迷うし、何がベストであるのか否か、完璧な答えは見つからない。
ただ今は、友人ではない単なる知人なら…そこまでの思いがない人ならば、
今はもうそういうことは絶対にしないかな。大事な友達、相手に対して真摯に思う友情があるのならば、ホンネも言うし、真正面からぶつかって相手を叱ることはする。
相手のためにそうする必要があるなら、相手に嫌われたって、憎まれたって、悪役にだって喜んでなる覚悟はあるよね。
仕事においては、それが「私の仕事」だから、クライアントさんや生徒さんに嫌われたって、キツイとか残酷な人だとか言われて憎まれたって、自分がどう思われようが、それがお金を貰ってする私の仕事の領分でお役目だから、冷たくて、鬼のような人間だって、そう非難されても、イジワルでキツイこと、たくさんこれからも言い続けるんだろう。
先の記事にも書いたように、エセな優しさで甘やかしたことで、その人にとって、せっかくの気づきの機会であったのに、ダメにしてしまったその後悔もあわせて。
後になってその人の人生がさらに辛く苦しいものになるのなら、今言っておくべきことは、言っちゃうしかないんだろう。ただ、聴く耳を持っているか、どうかのことまでは、そこは私の責任の範疇では無いのだけれど。
そういう意味で、私はどうしても「寄り添い」タイプのセラピストではないのね。気持ちをきちんと解ってあげて、言い分を聞いてあげた上で、優しい慰めとか、癒しとかを与えられるタイプではない。
どちらかというと、ガイドさんがその人に言いたいこと、伝えたいことを代弁して、ダメ出しをいっぱいするタイプ。優しくは無いです。
お尻を叩いて、「これをしないでどうしますかー」みたいに、ぎゃーぎゃーと反省しろ反省しろ、みたいな、口うるさいだけのセラピストなんだろな。お説教タイプ?…か。
抱きしめて、よしよし、みたいなことは、もっとも苦手なのだわぁ。。
うん。私はどうも昔から、その人に対して、周囲がもっとも言いにくいことを言っちゃうポジションにあるみたい。誰もその人に敢えて言わないことを言ってしまう。職場でもそんなことからトラブルメーカーだったし・・・
たぶん役回りなんでしょうね。きっとそういうことをする星の周りに、お役目として生まれてきたんだって、なんかそう思うことにするようにしています。はいな。
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