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愛の争奪戦~対人関係の問題の根源

さて少し前に憤りを覚えることがあって、いま私は怒りを経験しているわけなのですが、問題はこの怒りのエネルギーをどう処理するか…

こういう時は瞑想に集中出来ませんし(こんな状態では霊的エクササイズなんて出来ん)、しても逆効果だったりするので、別の方法で感情を処理する必要があります。

不快さを抱え、悪くなった自分の機嫌を如何にとって、平常心に戻すか…

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①カラオケに行って
 ハードロックやヘビメタをデス声で歌いまくり
 雄叫びを上げながら絶叫しての発散

②やけ酒とやけ食いに走る

③友人知人に愚痴を言いまくる

④コンフォートでラグジュアリーな空間の中
 肉感的に気持ちイイことを自分に与える(あ~ん♪…じゃないほう)

⑤お金を使って欲しいものを買いまくる

⑥くだらなくて面白くてバカバカしくてお腹を抱えて笑えるものか
 自分が大好きな作品の世界に浸れる映画とか動画を見る

⑦モノを破壊しまくる

⑧家中を掃除しまくる

③は友人知人にネガティブを伝染させる迷惑な行為となり、えんえん不満を言葉にすることにもなるので、邪気の言霊を創って負の連鎖を創ることだからパス
②は身体によくないからパス
⑤は後悔するお金の使い方だからこれもパス
①は今の時間帯はヒトカラ無理だし、夜は金額が高いのでパス
⑦は非生産的というか、壊したほうがいい不用品が今ないのでパス
⑧はこの時間からやるとご近所迷惑なのでまた今度

残るは④か⑥

てなわけで、選択肢としては、お風呂入ってリラックスしてから⑥です。

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怒りを感じること自体は悪いことではないです。大切なのはその感情の処理の仕方。負の感情や怒りの感情との付き合い方でしょうか…

怒りは訪れてはやがて去っていくもの。
いま私は怒りを経験している。怒るということを経験している。
それだけです。

でも胸に石炭を抱えている状態は、誰でもない自分にとって良くない状態だから、なるべく早く立ち去ってもらわないといけない。

そのために何をして、このエネルギーを解消するか…このエネルギーを、どういった別のエネルギーに変化させようか…というだけです。

自分に生じてしまった、感情的反応という化学的反応を(自分の内側で起きているエネルギー的化合反応) どのように解決・処理すべきなのか、このような体内エネルギーを抱えてしまった自分を、どのように扱うべきか。

それだけです。

問題そのものと、自分自身と切り離して考えるのがベスト。

何故なら、前述の企業の対応に関しても、過去のショチョーさんに対しても、相手の対応-立ち振る舞いに対して、反応してしまって怒りを感じているのは、私のエゴイズムだからです。

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起きた出来事に対して反応して、意味付けをしているのは、いつだってその人自身のエゴイズムだったりします。

私自身の外で起こることはいつだって中立で、そこに善も悪もない。

私の感情や思考が何かに反応して、それにより後付けの意味を付けて、どう受け取っているかだけなんですね。

今日起きたことと昔起きたこと、その二つに対して私が不快な思いをしているのは、私自身が相手から尊重されず、ないがしろにされたからって思ってるからです。存在を尊重されるべきなのに尊重されなかった…取るに足らない存在としてあしらわれた、赦せないってそういう気持ちがあるから。

気持ちありきというか~エゴイズムがあるからそういう気持ちになる。

私の中の成分であるエゴイズムが、外の出来事に対して化学的に反応しているわけですw 「キィ~! 許せなぁ~い!」って。
納得(消化)できず事実を受け入れられず、ショートして火事が発生しちゃったってところ。

火災は早めに鎮火しないといけません。

火は人類にとっては必要なもの(元素)ですが、燃やすものを間違えるとエライことになります。ボヤのうちに収めましょう。

まっ、しょうがないです。自分の中にこういうエゴイズムという生き物
(化け物/モンスター)が存在しているのですから。

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このエゴイズムは、私の過去の経験から誕生してしまったものです。生まれてしまったものは仕方ないよ。それだけの経験してるんだからと自己弁護。

完全に撲滅すること。退治は出来ないのだから、対処法を知って、眠った子を宥めすかし、起こさないようにするだけです。

一言で言うなら、エゴイズムとの付き合い方はサーカスの猛獣の調教です。

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さて…人間関係にて生じるほとんどの問題は、
愛の奪い合いによって生じている
というのが、如何せん真実で真理だったりします。

別の言い方で言えば、愛の主導権の奪い合いでしょうか。
正しさの証明での勝利者争いとも言えますけれども。

前述した私のこと(激怒した出来事)で言えば、
「私をもっと尊重しなさいよ~!
 私の言うことの方がアナタ達より正しいのよ~!」

この言葉の裏には、

私を大切にしなさい! 愛しなさい! 
私は愛されるべき人間で 大事にされて然るべき存在なのに
なんで私のことを大切にしないのよっっ!!!!
私に愛を与えないのよぉおおおっっ!!

って言うのがあるのですね。そのようなホンネが隠れているといいますか。

これを自分イズム、すなわちエゴイズムという。

エゴは自我という意味で、エゴとエゴイズムは別の意味です。
エゴ(自我)自体は悪いものではない。ただ、イズムがつくとよろしくない。
エゴイズム=ジャイアニズムになりますでしょうか。

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人間関係でマウント取ってくる人も、自分の意見押しつけてくる人も、  男と女、女同士、親子兄弟姉妹の主導権争いも力関係の構図も、嫉妬もコンプレックスもイジメも、モラハラもDVもケンカや対立の原因も…

あらゆる人間関係は、

「私のほうがあなたより 愛されて(許されて)当然の人間なんだから
 私のことを優先しなさいよ(愛しなさいよ)
 私を愛をくれないあなたが悪いのよ~
 私の方があなたより愛されているんだからねー ふんが~!」

って、愛の欠乏(飢餓状態)による、その愛の取り(奪い)合いが原因。

どうも、より多く愛されている側の方が正しい。

っていう観念があって、

「だから愛されている私の方が正しい。
 正しさは愛されていることの証明。
 愛されていることは正義、より多く愛されている方が勝利する!!
 ふふふン♪(自慢)」

みたいに自分の正当性を主張して、被害者意識が生まれちゃう。

じゃあ一体、誰から愛されているっていうのよさ。
より多くの愛ってどこから来てるのさ。
なんで、愛されないといけないのよさ。

ってのもあるんだけど…

やっぱ根底には、私を愛してくれないアナタが悪いんだもん。
というエゴイズムが発端であり、すべての根源はソコだったりして。

自分を愛してくれない人は、自分を傷つける人だー!
私を傷つけたお前ワルイヤツ、赦すマジ…ってか?

承認欲求と言えばそうで、コントロール欲求でもあるけど…
何故承認されたいのか、物事も周囲の人をも、すべてコントロールしたいかっていうと、結局「愛されたい」「もっともっと愛をよこせ」と言う、世界中人類からの愛をくれという、究極の業突く張りな欲張り欲求があるから。

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世の中の人すべてが、アナタを愛さないとダメなんですね? って、そうでないとイヤなんですね? 自分に愛をくれない人に対しては怒りを感じてしまって、そして憎んだり恨んでしまうのですね?

まぁ、エゴイズムってそんなもん。複雑に見えて実はケッコー単純です。

だが仕方ない・・・・・コイツはそんなヤツだ。

腸に巣くう悪玉菌と同じように、存在するのは仕方ない。悪玉菌が存在している意義も意味もあるし、存在そのものを撲滅しようとしても、それは自然界と体内のバランスを崩すこと。

ようするに主導権を握らさせなければいい。エゴイズムいこーる自分(自我=エゴ)にならず、エゴイズムに支配されて乗っ取られないように、すればよいだけのこと。逆にこのエゴイズムを上手く操って乗りこなして、利用できるようになれば御の字。

エゴイズムによって発生してしまった、着火式あるいは湿気たっぷりのエネルギーをどのように有効活用して、再利用すべきか…別のモノに等価交換すべきかーでゴザイマス。

って、これがまたとても難しいのですけれどもね(地味なトレーニングが必要なので)。自分の中に、どんなエゴイズムがあるのかを、ちゃんと理解していることが大切になってきます。

そのためには自分自身をよく知る必要があります。

自分という器 世界でたった一つの乗り物たる、荒馬をどう乗りこなすかですね。自分のトリセツを創っていくことが大事と言いますか。

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もし、vs人同士の問題。
誰かとの関係でトラブルや、感情的な反応が沸き上がってきた時には…
自分の中にある何らかのエゴイズムが反応しているのだ…
という風に理解することも肝心ですが

そこに自分もしくは相手の、

「私はもっとあなたから愛されたいんだ」
「私の方があなたよりも
 もっと多くの愛を与えられるべき存在なんだ」
「私の方があなたなんかよりも
 色んな人に愛されているンだからねッッ!」

と言う要求が、そこに隠されているのだということを考えて、その角度からその問題を捉えて分析してみると、相手側のことはおいておいて、少なくとも自分に沸き上がった感情の始末をつけたり、整理することはかなり簡単だし、少しはラクになるかと思います。

そして、
「別にこの人に対して、私は私自身の正しさの証明をしても意味がない」
という何が無意味で価値がある事柄なのか…ということにも気づけるかと。

「別にこの人に愛されてもなー」
「なんでこの人に"愛してLove me"と愛をクレクレしないといかんのよ私」

とハッとさせられたりとかね。別にこんなヤツに愛されなくていいじゃん。ていうかー、その人からの愛を欲しがるって段階で、その人よりも自分の方が持っている愛の量が少ない、だからよこせーって、

相手が所持している愛の量より、自分が所持している愛の量の方が
少ないってことを…負けてるってことを認めていて、

だから「お前のぶんをぉぉおぉおおをおよこしぃぃぃぃいいいィッッ~!」な妖怪に、自分がなっちゃってるってことでゲス。

つまりは相手に勝ちたいんですよ<自分

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でもね…

そんなゲーム、無意味なんです。そんなゲームからは降りた方がいい。  愛を奪い合っての取り合いゲーム。より多く愛を勝ち取ろうとしなくても、
他人から愛を奪おうとしなくても…

私たちは存在しているだけでそれだけで、十分この宇宙から愛されているし、姿かたちある人間からわざわざ愛をもらわなくても、あなたがあなた自身のことを愛していれば、他の誰かから愛されなくても、

別に…

なんですから。

愛は誰かからもらうもんじゃないし、誰かから与えてもらわなくても、自分の中にすでに存在しているんですから、それさえ見つけられれば無敵なんですよ。

愛とは他人に愛されることではなく、
他人や自分を愛する心の中に存在してますから。

ニセモノのマガイモノの愛なんて、間に合わせの愛なんて欲しがる必要は
どこにもないのです。

愛は奪い合うものではなく…与えることの中にこそ存在するのですから。

でも、あげたくない人にはあげなくてもいいですけどねw

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