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汚染された想いの行方

音楽blogの転載ばかりなので、たまには職業ネタをば。
して、音楽blogまとめマガジン「音楽のある風景」の方ですが、反響あんまし無いしサビシーなと思っていたら、楽しみにして下さる方はいちおういるみたいなので、ちょっとだけホッとしたりして。はい。
「スキ」が付かないと、結構イジケちゃうもんですww

先日2年ぶりに日光に行ってきました。日光は私には相性の良い土地で、パワーチャージになるところだったりします。
今回は、ちょっと"呼ばれた"ので必要性あって、行くことになったのですね。

観光はもちろんしましたけど、半分は仕事の用事だったので、写真はほとんど撮りませんでした。せいぜいインスタに載せた食べ物くらい。まあ、お天気もイマイチでしたしね。
また、行くことになるでしょうから、その時で。

日光は江戸であった現在の東京にとって、北に位置する風水上で重要な場所になります。この辺りは色んな人が語っているので、今さら説明するまでもありませんが。

とは言うものの、開運なんちゃらのために行ったわけでは無いのでした。お掃除でも無いという事で(謎)。
そうですね、答えを見つけに行った感じかなあ…激謎

ま、ネットでは書けないこと、たくさんありますの。

さて、本題です。

私は「縁結び」的な願掛けのなんちゃらがある場所って、ものすごく苦手です。何故なら、ものすごく汚れているケガレの溜まった場所であることがほぼ100% だから。

恋愛自体は…悪いものでは無いし、恋のエネルギーが汚いものであるわけでは無いのですが…
恋愛に関するお願い(願掛け)となると、何故か気持ち悪いエネルギーに変換がちだったりするのですよね。
好きな人への想い、人を恋い慕う情って、歌や創作的な作品の中ではとても美しいものに語られがちなのですが。

波動レベルのところから視てみた時には、欲望と執着まみれな、相手のことを少しも考えていない自分本位な押し付けの感情の塊で、とっても汚い気色の悪いエネルギーであることが多いのです。

ですので、恋人たちの聖地はともかく、恋愛の願掛けをする場所…縁結び的な石や樹、そのような何か…のある場所は、「おえっ!」ってなってしまい、腰が引けてしまう、近づきたくないと言うところだらけ。

そんなんで、縁結びで有名な神社には、神社好きな私であっても、お正月からしばらくは近づきたくないと思ったりします。

その昔、某氷川神社に行った時にも、
「ぎゃあっー!」と…心の中で悲鳴をあげさせられ、不穏なエネルギーにビビった場所がありますね。

はい、そこはお掃除してもお掃除しても、全然綺麗になる気配が無くて、まるで排泄物と汚物まみれの、一度も掃除をしたことの無い下水道って感じになっちゃってまして。

例えて言うなら、排泄物が古いものか新しいものまで大量に堆積した下水道というのが、そのような場所を例えるのにピッタリかも。

今回もそのような場所にたまたま行ってしまいまして。
ただ、土地のエネルギーの循環が上手くいっているのか、規模が小さいからか‥‥ばっちいエネルギーで充満してはいるものの、まあまあ大丈夫ではありました。
<願いを書いた紙を御神籤のように結んである場所

それで、今まであまり考えたこと無かったのですが…
こうした願掛けをした紙にはやはり、想念としてのエレメンタルが宿るわけで。するってーと、この汚れた場所に放置されている「紙(エレメンタル)」はそれを生み出した創造主たる書き主(願掛けをした当人)と繋がっているわけだから、当然ながら影響を受けてしまうよなあ…と。

※どんなエレメンタルも、創った人とエーテルコードを介して繋がっている。今生はもちろん過去生で作ったもの含めて、これまでの輪廻転生で生きた人生で創造した、すべてのエレメンタルと創造者は切っても切れない糸(エーテルコード)によって繋がっていて、ミイラ化してエネルギーの供給を断ち切らない限り、創造主に影響を及ぼし続けている。
それはネガティブなグループエレメンタルに属するものも…である。

てなわけで、エゴイズム的な醜い執着と欲望のエネルギーが、ケガレとして、たくさんたくさん類友で集まってくるこの場所…ネガティブなグループエレメンタルが出来上がっているわけですが。そこに属しているその人のエレメンタルがあるということで、そのエレメンタルからエーテルコードを伝わって、ネガティブなケガれた波動のエネルギーがやってくるんですね。その人のところに。

そんな恋愛が、上手くいくわけでは無いでわ無いかっ!

と言いますか、その人の中にある願望も、汚染されてケガれていくわけですよ。徐々に醜悪で利己的なエネルギーに蝕まれていくという意味で。
最初は純粋だった恋心が、妄執に変化していくのは、そういうようなこともあるのかも知れませんね。

まあ、そうなんだろうな…と思いつつ。

そんなときは、断ち切ることをするのがいいのかなあ。
ようするに、エーテルコードを斬る…いやさ、それは出来ないので、グループエレメンタルから引き抜いて、エネルギーの供給を断ち切り、エレメンタルをミイラ化する…
これしか方法が無いのですが。

でないと、一番叶えたいその願いが叶う道はないし、それどころか、もっと相性の良い、ベストな人との縁をも邪魔し、本来のご縁との出逢いを遮る障害ともなってしまう。
これが存在するが故に。

なので、恋愛の魔術、呪術ってもっとも難しく、一歩間違えると黒魔術になってしまうので、「祈り方」は慎重にならないといけないのですね。願い方と言いますか、願いの言葉自体を気を付けないといけない。

特定の相手を縛り、限定する物言いではダメとかね。
「あの人が欲しい」と言う言い方はNG。
たいていの恋愛の呪術は相手の自由意志を無視した行為だし、何よりも相手は「もの」じゃないのだから。
相手はその人を満足させるために生きているわけではない。

想いが伝わりますように、とか… 話す機会が得られますように…とかなら、いいですけど。

恋は愛にあらず。
真実の愛でなければ、通じるものはない、ので。

まあ…相手に自分を好きになって欲しいという気持ちは解らんでもないですし、恋人同士になれたらいいなと…
そういうのも解りますけどね。
けれど、存在自体を求めたり、欲するのは、ちょっと違うんですよね。そのような欲望を抱いてしまうこと、仕方ないし、解りますけれども。でも、違うの。

そして、そのような方向性での魔術や願掛けは罪以外の何ものでも無い。人の道に外れているんですね。

ちょっと思っちゃうくらいならいいけど、「おまじない」的な行為をしてしまうのは、すごくよろしくないこと。
それは自分の未来を邪魔することになります。
上記に書いたように、本当のご縁の方と出逢うことを阻害する障壁となる。

だから、「私にベストな出会いをもたらして下さい」
「私に最適な恋人と出逢わせて下さい」とかならOKかな。

ほんの少し角度を変えて、願いをするだけで、結果って違ってくるものです。はい。

だから、何か行動を起こす前には、よくよく十分に考えて、その願いが本当に自分に必要か否か、願い方とか文章を吟味する必要があったりしますよ。

言葉(文章)にするって、「命」を与えて、永遠に生きる「エレメンタル」を創造する行為ですからね。
未来の自分にとって、よくないもの、人生を邪魔するものは創らないのが賢明です。


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