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会うは別れの始め~去る者追わず

こちらも過去に書いたblogから、駄文ですが、いくつかまとめてみました。ちょうど天秤座にて水星逆行中。人間関係やパートナーシップのことに関して考えるにちょうどいい時期かなって思いまして。それに関するテーマをば。でもって、またしても長いです、ゴメンちゃいっっ汗

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人間関係にもトライアル期間は必要

  "この一か月のうちに
 あなたが逢って時間や空間を共有した人
 もしくはコミュニケーション(会話)を取った人
 最低でも7人
 思い出してリストアップしてごらんなさい
 その7人は未来のあなたを表しています"

過去記事でも、似たような内容について、書いたことがあると思ったけれど...どんな人と付き合うのか、自分が関わる人を選ぶのって大事なこと。

「その人が
 日ごろ付き合っている人(友人仲間)を見れば
 その人がどんな人であるのかよく解る」

とは言われるくらいに…とくに友人と言うのは、自分の評判や信用を良い意味でも悪い意味でも表すものなので。

自分がよく会う人というのは、「好きな人」であり、「なりたい自分」でなければならないのです。

ようするに、相手のような人間になりたいと憧れを抱ける人で、見習いたいところや吸収したいところがたくさんある人(尊敬出来る人)で、影響を受けたいって思える人でないと関わることに意味は無いと言うことになりますでしょうか。

その人が世間一般から受けている「評価」は、
そのまま自分の「評価」になりますから。

実際、関わるということは、相手の世界と自分の世界を交差させる、すなわち相手の人生を自分の人生とする…と言うことでもあるので。

他人を自分の人生に招き入れる行為ですから、そのあたり自分に対してはもちろん、他人に対する責任も伴うものなのです。

とは言うものの、自分から見て上の相手とか下の相手とか…相手に点数やランクを点けて判断して、自分より生活レベルや職業などが上の相手と付き合うべきで、それ以外の相手に対しては付き合い方を変えたり、切り捨てるべきだ…とか、そのような意味ではありません。

相手が無職のニートやホームレスであろうが、どんな職業に就いていようが、自由奔放に生きている世間ずれした人だとか常識人だとか、所得とか学歴とかライフスタイルがどうとか、セレブだとか住んでいる世界がどうとかでは無くて…自分から見て魅力的な人物であるか否か、相手の事を好きという気持ちが持てるかどうか、相手の人間性とその尊厳、生き方に対して畏敬を払い、尊重することを自分が出来る相手であるか否か…そう言うところです。損得勘定では無く。

好意を抱けず、尊重や尊敬の念を感じることも出来ない相手なら、深く関わらない方が、それは当人のためでもあると同時に、相手のためでもあるのです。双方にとっての、健康的な距離を測るためであるとも言いますかね。

ようするに「愛」を抱ける対象であるのか否か。愛ある関係を築けそうな相手であるかどうかって、そういう話でしょうか。

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さてさて私事ですが…
私という人間は滅多に人のことを信用しないし、相手がどんな人かよくよく解るまでは、友達認定を絶対にしません。

少なくとも1年以上、いやさ2.3年は必要でしょうか。その人の言動や行動パターンをきちんと見て、その過程の中で信頼出来る人なのか否か、総合的に見て判断しているって感じです。

それまでは知人なんですよね。知り合って間もない人というポジションで、表面的にフレンドリィな付き合いはしても、自分の中で相手に対する「最終評価」が出るまでは、その人のことを自分の中での友人というカテゴリの枠組みには、決してカウントしないのです。友人とは口で呼んでも。

職業柄、人見知りはしませんし、わりと愛想もよく人当たりもいいほうで、それなりに合わせることも出来るし、まあまあフレンドリィなほうだと思いますが、決して社交的では無かったりします。

電話も嫌いですし、しょっちゅう誰かと連絡取り合って、つるんだりするようなのは性に合いません。年齢も年齢ですから、友人とは適切な距離を持って関わっています。(若い頃は違っていて、昭和な暑苦しい付き合い方をしてたかなー<ホンネをぶつけ合って、腹に溜めず、ケンカも厭わない感じ) 

知り合うことや関わることはさほど難しくないけれど、その先に進めるかどうか、もっと深い付き合いができるか否かっていうのは、友人関係も恋愛と同じなので、相思相愛になれるかどうかだと思うのです。相手が同性であっても異性であっても。

これはあくまで私の場合ですけどね。

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その人と関わっている過程の中で、相手がこちらに見せてくる態度とか、人としての在り方なんかを見させて頂いて、心を開ける相手かどうか…人として信用して信頼に足る人か否か、自分から多くを与えたいと思う人なのか…
友人になりたいと思える人かどうか…時間をかけて観察して、じっくり吟味します。

例えば時間や約束を守る人なのかとか、私以外の他人に対する接し方はどうかとか(お店の人に対してなど)、人の悪口を言う人なのか言わない人なのか、他人を尊重する人なのかしない人なのか、親しき仲にも礼儀ありを実践している人か、常識や公序良俗に対してどうか、尊敬出来るところがあるのかないのか、欠点を補ってあまりある魅力のある人か否か…

完璧な偉人や聖女や聖人君子なんて、世の中にいやしません。人間誰しも欠点や問題の一つや二つ、色々とあるものです。完璧な人はいませんし、欠点やダメダメなところをあげたら、私なんて他人のこと言えたものではありません。お互い様ってところは誰だってあるものです。

でも、これだけはダメだってラインはありますよね。
そこを下回ってしまうと、もうダメ。

私の場合、他人のことを大切に出来ない人はダメだなあ。約束を守れない時間を守らない人ももちろん、他人をバカにしたり差別する人もダメです、お金にだらしない人もダメだけど。

多少はイジワルだったり、ブラックなところがある人の方が人としては面白いって思うけど…意地悪過ぎる人とか、性格の悪過ぎる人はダメですわ。
(底意地悪くて性根が腐ってる人は、たぶん誰しもダメっすね)

そして自分からして、尊敬出来るところのない人とは、友人にはなれないですね。それは肩書とか職業とか立場とか、決してそんなんじゃないんです。

いつも他人に対して気配りがスゴイなあとか、この人は絶対に人の悪口を言わないなあとか、頑張っているところとか、仕事でスゴイなあって認められるところとか…

そういう自分にとって、価値があると認められるところのある人。評価出来るところがある人じゃないと、友人にはなりたくないというか、対等な人間関係を築くのは難しいです。

大好きって言える人でないと、自分の人生の貴重な時間を共有したくないし、互いのことを尊敬しあえて、一人の人として畏敬の念をもって、関われる相手同士でないことには、信頼も信用も生まれようがないです。あと、相手が自分のことをどう思っているかってのも、ありますね。一方的な片思いは嫌だから、相手も自分のことが好きでいてくれて、必要としてくれてないと、それはもう友とは言えない。こちらのことを、暇つぶしの相手だとか、便利な消耗品みたいな考えている人ならば、そういう関係性はノーサンキューです。

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初対面で直観的に「!」って思うことは、実のところよくありますけども。やはりそうした先入観で決めつけはしたくないと考えるし、実際に関わってみてから善いところを見つけようと、そう思ったりはするわけです。でも大体において、初対面にすべてが集約されてたりするかなあ…と思ったりする今日この頃。

そうですね。そんなんで私は友人とても少ないですww 友人認定するまでにも時間が掛かります。親友を選ぶ基準はとても厳しいのかも知れません。

まずは観察。とにかくその人を見ます。その人の一言一句、あの時どうしたか何を言ったか。どうふるまったか。私に対してどんなふるまいをしたか。
他人や見知らぬ第三者に対してどんな反応をしたか…

過去どんな人であったかではなく、今、その人がどうであるか…自分をどのように表現している人なのか。友人になりたい人であるか否か。友人としての付き合いを持ちたい人なのかどうか。

じっくり観察して吟味して、こりゃダメだと思ったら、見切りつけたところでCO、FOもしくは、そのまま知人ポジ。(そんな自分はやっぱり冷たい人間なんだと思ふ)

でもまあ、男友達との付き合いは、相手が独身の時だけですよね。当事者からしたら、まったくそんな心配のない、男とか女とかの過ちが起こり様の無い、男同士のような付き合いだったとしても、彼女さんや配偶者からしたら、女友達ってうざい存在です。やっぱ誤解やトラブルを生む状況を避けるべきだから、立ち消えにはなっちゃいますね。単なるネットの建て前的な繋がりだけにしても、焼きもちやいてマーキング的なマウント取ってくる奥さん、いたもんなあww いやさ、その気持ちも解るので(いちおう腐っても私も女なので)、何かトラブルが起きる前に距離を置いて逃げるが勝ち。そんなんで今は遊んだりする男友達もいないでござる。

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お客さんはあくまでお客さんです。問題解決をサポートする立場からの対象者ですから、何処まで行ってもサポートする目線で関わらせて頂いています。なので当然ながら、友人としてのチェック目線で見ることはしません。
なので、個人的感情を関係性に介在させることはしていません。てか、しないように努力しているというのが正解かな。

ですので、この仕事を通してでない限り、プライベートではまず親しくなったり、人生で関わることは無かったであろう様々な人たちとの出逢いは、とても新鮮なもので、刺激と触発に満ちているのです。

まあ、でも…気を付けていても、トラブルはありますよ。はい。それはこれまでところどころで書いてもいますけど。

追伸:おまけのボヤキですが…横柄なお客さんに関しては、「私よりももっと腕のよい、素晴らしい施療者はいくらでもたくさんいますから、どうぞそちらをお便り下さい」とお断りしているのでありました。

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会うは別れの始め~去る者追わず

ちょっと前のことですが、
「10年位前、駒込に住まわれてなかったですか?」と、当時一度いらしたことのあるお客さんから、問い合わせを頂いたりなんかしました。(奥さんを見て頂きたくてとのことで)

「探したんですよ」と仰って下さいましたが、よく考えたら、転居のとき、サイトアドレスも名称も変えていたんでしたっけね。メールアドレスもプロバイダ変えてますし~。そういえば転居多いです、私。

検索すれば出てくるようにも思うんですが、意外と出てこないものですね。ハハ 手がかりが少ないと無理のようで。

仕事の名前だけはなんだかんだ変えていませんが。(純血の日本人なのに外国人の名前ってヲイ) ※そんなこんなもあって、変えたのであった。昔の名前も使っていますけど。

で、これまでいらしたお客さんの中には、子供の頃占い好きでして~という方もいて、私が原稿書いてた某占い専門誌の読者さんだったとかで、
「あのアルマさんだったんですね!」と驚いて下さったり、その同じ出版社の子供用学習教材の付録でも、おまじないとか占いの連載書いてたことあったんですが、その教材を買ってて読んでましたよって人に出くわしたり。
(小学校低学年向けのだったので歳月と年を感じましたっっっ)

そんな風に雑誌とかネットでのコンテンツを書いてた時代もあったんですが、有料コンテンツのほうは終了しまして(上記の専門誌のネット版)、稚拙な無料配布ツール(ルーンオラクルとタロットの)はまだありまして、
「これ毎日やってましたよ。まさかこれ書いた人と同一人物だとは」なんて出会いも昨年あったりしてっっっ。

今は肩書きが占い師ではないですもんね。ちなみに、占いの原稿って書くのしんどいから嫌いなんです(笑) 締切がプレッシャーになるから私には向いてない仕事。

ていうか、原稿担当の人との相性が大きいですかね。某ヲタ系(アニメのパロディ)の漫画雑誌の時は、編集長さんがのほほんとしたイイ人でやりやすく、
アットホームかつ好きにさせてくれたから楽しめたけども。イラストを描いて下さった漫画家さんも好きな方でしね。

雑誌の対談記事読みましたよ~なんて、一度しかやったことないし、当時の雑誌なんて捨てちゃってるし。自分でも忘れてたこと覚えてる人がいたりするんだな、これが。

掲載した雑誌など、取っておけばいいものを、すべて処分してしまいました。せめて電子化しておけって話ですけどね。ははは

てなわけで、昔の自分を知ってる人に会うと照れます。
(なんで、知ってるんだ! みたいにビビる大木)

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まぁ、お陰様で占い師としてお店に出ていたときは忙しかったです。やはりその手の店は気軽に立ち寄れますものね、価格も安いし。もちろん、超ヒマな場所もありました。都内は大体忙しいケド。

辞めるときは次のとこなんて案内できませんからね。雑誌で紹介して頂いたとき、あの時あの場所の…と連絡頂けたのは気恥ずかしくもあるけど、覚えて下さっていたことがとても嬉しかったものです。

雑誌などメディアで紹介されると確かに反響ってハンパないです。メディアの力って本当にすごいなって思います。でも一時的な忙しさなんですよ。雑誌で見て来られる方で、リピーターさんになる方は一割くらい。だからメディアに紹介されようとPRに余念のない人もいるわけで。

私の場合、掲載のお陰で上記のように、お店辞めてそれきりになってた懐かしいお客さんに出会えたということもあったけれども。こっちのほうの仕事でも何度か紹介して頂いたことはあるんですが、なんか盛った記事になっちゃうし、取材も不愉快な気分になること多くて、(無料で紹介してあげるんだからって態度のとこは多いですね。菓子折り持ってきてくれたのは某国営放送だけだったかしら<ドラマ協力の際)
私はいまいちメディアの人たちとは相性が良くないようです。

今はヒマだなあ…けどそれがいいなって…
あ、お商売としては…経済的にはそれじゃダメなのか(笑)

ええ、無名の人が一番良いのかも。そんな有名になるような器ではないし、実力もないし、隠れてこそこそ、ちまちまやってるのが性に合うみたい。

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で・・・

知り合いのヒーラーさんの中にはお客さんのデータ、何年たってもずっと大切に管理している人もいるのですが(その方は本当にご縁を大切にする方。私と大違い)。

私はお客さんのデータは2年くらいで削除してしまう人。と言うか、一年以上いらしてなかったり、ちょっとしたお知らせメールとか出しても、とくに何も返信も反響もない人に関しては、

「ああ、もうこちらと関わることは望まれてないのだな」と判断して、頂いたメールや個人情報をアウトプットしたものすべて削除しちゃいます。2回出して2回とも返信がなかったら、サクッと・・・

元よりこちらから来訪を促すようなサービスでは無いし、基本的に営業はしない方針でして。(て、言うか~それをしちゃいけない職業・職種だと思うので)

私に会って、セッションを受けてみて、がっかりしたり、違うなと思ったかも知れないし、一度のセッションでもう十分だと思ったかも知れない。問題が解決して必要無くなっていたり、他にもっとその人に合った、いい施療者を見つけたかも…だし。転居したときは連絡をしたりすることもあるけど、直近で利用した人に限ってかなあ。

そういう意味では、SNSでお客さんと繋がることは、いつもスッパリ切れるところに距離を置く自分としては、例外中の例外というかかなーり珍しい現象だと思ったり。(Mixiに関しては辞めちゃいましたから) イレギュラーな新しいやり方もたまにトライしてみるけど、さて、いつまで続くかしら(笑)

でも、そう。ご縁を切りたい人を追うことはしません。
ていうか、関わってこない人はさっくり切る主義ってだけか。

そうですね。相当前ですけど、サイトのリンクのことで、私の職業を考えたときに「貼って欲しくない」というようなことをかなり遠回しな言い方で断れたこともあるので、数年間セッションを受けてくれて長い付き合いのあった方でも、この手のサロンに通ってたことを周囲に知られたくないとか、私みたいな職業の人間と関わりあいを持ってるのはちょっと…みたいに考えたり、憚る方もいるのでしょうから、そういう意味で、先方から来ない限りにはこちらからは関りを持たず、あくまで受け身の立場でスタンバっているだけで、それ以外はフェードアウトの姿勢が一番良いのかなって思っているわけです。

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その昔、友人の旦那さん(某コンサルの会長)に、
「君が付き合う友人にふさわしくない」とバッサリ言われたこともありましたから(ちょっとトラウマ)、生徒さんの旦那さんなんかも同意見かもねーと思いつつ。

ええ。占い師のときにしても、今の肩書にしても、カタギ?の仕事している人たちからしたら、得体の知れない、家族には関わって欲しくない職業の人間なんでしょうね。

ご夫婦や恋人それぞれの紹介でいらっしゃる方もいるし、ご家族の紹介(娘→母、母→子供、兄弟姉妹や親戚)と言うようにいらっしゃる方の場合は、そういう心配はしなくてもいいんでしょうけど、そうでない方の場合は、家族やパートナーが私のような職業の人間のところに出入りしていたり、親しくしているのは、面白くないというか…騙されてるみたいに考えたりして不愉快な人もいるんだろうなと、そこはそれ、遠慮しいに考えますし、偽装工作も必要?な時もあって、あれやこれや考えます。

生徒さんに関しては、月謝を払って通ってきてくれていて、継続的にこちらと関わりを持ちたいという積極的な意思表明を示してくれていると言うことになるから、私からも連絡はするけれど、スクールのOBさんに関してはそうでないので、他のクライアントさんと同じスタンスになりますかね。

その方から関わりを持ちたいという意思表示が無いことには、こちらから積極的に関わることはしないようにしています。多分その方がいいんだと思うし。

本当は在学生の人たちにも、プライベートタイムでの誘いとか、私からはしないほうがいいんではないかなあとも。人間関係の無理強いや強制になってしまったらマズイと思うし、私から誘うとイヤだったとしても断りにくいかなとか、(上司と部下ではないわけですが) あれやこれや考えてしまう今日この頃。

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もとより、プライベートだともっと極端かも知れません。こちらから誘ってばかりの一方的な関係は嫌いです。3回誘ううち向こうから誘ってくることが1度もないと、もうその時点でカットアウト。メールの返信が遅いのは手紙時代の人間だから、あまり気にしませんが、2通送って返信がないなら、サヨウナラ。(多忙だとか連絡取れる状況にないとか、相手の事情が見えていれば別ですよ。そのためのそこに至るまでの普段からのコミュニケーションだし)

コミュニケーションが取れない人とは人間関係を築くことが出来ない…と言うのは(他人の言葉からの拝借になりますが)、本当にそうだと思うのです。友達でもなんでも相思相愛でないと難しいと。

私の場合、こちらから連絡して返信無いってことは、「関わり合いたくない」と思われてると判断します。

用事のあるときはもちろんですが、季節の挨拶でも何でも、年に一回でも継続的な連絡とか、こちらの様子伺いを聞いてくることをまったくしない人とは、関係性を築くことが出来ませんもの。

それをしない関係って単なる知人でしかないですし。友達とも仲間とも、親しい間柄には成り得ません。

相手にとっては、こちらが生きていようが死んでいようが、倒れていようが苦しんでいようが、何も興味がないってことで、自分に無関心な相手と関わっていくほど、虚しいこと、時間の無駄と言えることはなく、人生の浪費とさえ思うので。

だから、私がどうなろうが、この人は興味ないんだなと…そう思った時点で、COしてしまう。自分のことを好きでいてくれない人と向き合っても仕方無いし。

人生の時間は長いようで短い。時は金成り、という言葉もある。

自分の貴重な時間、人生を、誰のために使っていくのか、どんな人と分かち合って生きていくのか、自分の時間を誰に与えていきたいのか・・・

私と一緒にいて楽しいと思ってはいない、私と一緒に楽しい時間をシェアしたいと、こちらと関わりたいと、そうは望んでない人に対して、限られた時間を割くわけには行きません。一方的かつ片思い的に働きかけるのは性に合わないのです。

でもま、それでも会いたい人はいます。天国に召されてしまった愛犬、愛猫、そして親友のゆりあ。亡くなった存在に関してはどうしようもないけど…

また、切ったほうが互いのためかなあ、って、そんな考えでご縁を絶った人もいますけどね。それはそれ。

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帰国子女のクライアントさん(NY育ち)が、

「ニューヨークという街は、
様々な人種の様々な価値観を持った人たちがたくさんいて、
毎日たくさんの人たちとの出会いがある
そのすべての人たちと関わりあいを持つことは不可能
だから最初に会った時にあれこれ話して自分をさらけ出すの

初対面で正直に自分を見せて、その時点で気が合うなら、
もっと知り合いたいからって、明日の自宅のパーティにも呼ぶ
合わないなら、ハイ さようなら って別の人に行く
そしてもう二度と会うことはない

だって、時間をかけてゆっくりお互いを知りましょう、なんて無理
ニューヨーカーは多忙でそんな時間はない
そんなまどろっこしいことしてたらキリがない 
時間の無駄になる

だから最初にまず嘘は見せないで あなた自身を見せて
あなたがどんな人か見せてちょうだい 
見せない人はどんな人か解らないから つき合えない

そんな風にはっきりしているの」

・・・と言うようなことを仰っていました。
私には解り易いというか、賛同できる考えかな。

ただ友情と信頼関係は、時間と年月をかけて築いていくものだと思っているけど。そういうのも、互いの働きかけ、歩み寄りの結果ですものね。

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コミュニケーションて大事だとつくづく思う。言葉のキャッチボール無しに友情も信頼も築くことは出来ない。

もちろん言葉だけですべてを図れるわけではなく、言葉より態度(行動)っていうのも真理だったりしますけども。相手の気持ちに応える、気持ちを伝えることそのものが、たわいのない会話や何気ない言葉だったりするわけで。

だから言葉の無い関係はありえないですね。物理的に会えなくても、詳しい、長たらしい話は出来なくても、たった一言…相手を気遣う、思いやりの言葉のやり取りひとつ存在しない関係なんて、私の人生には要らない。

まあ、とどのつまりが、連絡をするってのは、相手に対する関心度の高さで、好意を伝える手段だったりもするわけで、それ無くして人間関係は築けないってことでしょうか。

(もちろん、誰とも話せなくなる、そのたった一言の発信が出来なくなるような心理状態や状況に置かれてしまうことも、人間にはあるわけで。一人で生きているわけではない以上、家族の事情とか子育てとかは勿論、その他の非日常的な事情により、自分のことに時間を避けず、精神的なゆとりも持てず、誰ともコンタクトが取れない、他人のことを考えたり思ったりすることも出来ないって、そのような時も人生にはありますから。それを考慮しないってことではないのです)

帰ってこないボールを待つほど虚しいことはないので、私は待つことはせず、帰ってこないのならば待つ代わりに、そこに高い壁を立てて、ご縁は切る方向で。すると、それ以上の新しい出会いがあったりします。

実際、ひとつ手放すと新しい出会いが訪れるものです。

最近、色々と流れが変わってきています。
これから何が起こるのか楽しみでもあり・・・

とは言うものの、
もちろん今まで出会ってきた総ての方、あらゆるご縁に感謝しています。
様々な経験を与え、教師となって教えてもくれた、今の私を育てて下さった恩人とも言える方々ですから。今の私があるのも、大小様々長短のこうした出会いありき。皆さんのお陰だと本当に心から感謝していますのよ。きれいごとかも知れないけど。

今生では意見の相違や感情のもつれで途中袂をわかつことになった人のことも、ご縁が切れてしまった方のことも、親しくはなれなかった人のことも…私のことを嫌っていたり、よく思ってないであろう人のことも、時々思い出しては、元気で心安らかであって欲しいと、その人の幸せを祈り、無事を願うばかりです。

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春は別れの季節

春は別れの季節です。
今年はその別れを味わうことが出来なかった人や、突然の不足の別れを味わうことになってしまった人が、大勢いますね。

出会いとは別れの始まりであり、いつか来る日とはわかってはいるけれど…
それでも悲しいと思う気持ちは止められません。

物質的なレベルでの肉体や人生すなわち人の命には限りがあるので、いつか訪れるその日を避けることは、どうあがいても出来ませんが。

先日30年来の友人とサヨナラしました。

死別ではなく物別れ。ご縁が途絶えたと言う話です。

友人は三人の子を持つ母であり、仕事も複数抱えていて、それ以外にここ10年位は、親の介護や看病だのなんだの、いつも忙しくしていましたから、密に会うことは出来なくなっていたんですが。

だからこそ、それがお互いにとって、ちょうど良い距離を保てていられたのでしょう、

思えば、少しずつ価値観とか"合う"ところや共感できる部分が、ズレて行っていたのだと思います。

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ことの発端は彼女が昨年、とある健康食品を薦めてきたことなのですが…
マルチでもネットワークビジネスでも無く、その商品(モノ)が良いのは理解できるのですが(もともと知っている素材ではあったし)。

私としては、「こういうのいいと思うよ~すごくオススメ」と情報を提供した上で軽く薦めてくれる程度ならば、「ありがとう。どれどれ、ちょっと調べてみるよ」と反応して興味が持てれば買って試してみる…で済むのですが(普通はそうですよね)。

わざわざ、そのためだけに呼び出して、熱く語りだしてセミナーに出るべきだと…予定があるのでと断っても食い下がってくる。マルチやネットワークビジネスの話や商品でないのに(定期購入のシステムで販売しているもの)、
やり方がマルチとかネットワークビジネスとか、新興宗教の勧誘そのものなのでその時点で引いちゃうわけです。

あなたが心配だから、あなたのためを思って…の常とう句も、洗脳状態でのセリフと同じですしね。

こちらが断って、このようなやり方は望ましくないと…いくら話しても通じない…というか人の話聞いてないっっ延々と商品の良さを語るわけです。夢遊病者のように。

(コレさえ飲めば病気にならないとか、どんな病気も怪我も治るなんて魔法の薬はありえません。そんな売り方は薬事法違反やないかい!
ガンも直すって紅茶キノコかよっっ そんなんなら医者いらずでノーベル賞も取って、加工業者は特許で莫大な富も築き、万々歳なはず。ソレが人の健康に良いのは事実でしょうが、効果に関して妄信的で過大評価が過ぎるのです。それに私はいくら健康や体に良くても、高いお金払ってマズイものを食べるのはイヤだなって考えるタイプ)

この状態では正面切って正論言ってもダメです。言うことは言ったつもりですが、少し様子を見ることにしました。

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季節の挨拶とか、いつも通りにしていたのですけど…
そのメールにもいちいち、「〇〇のお陰で私は幸せです・・・」と、延々に〇〇の素晴らしさをキャッチコピーとして、どうでもいらん情報をつけてこられてまして。

で、このコロ助騒動です。「やはりあなたはコレを飲むべきだ」と…延々と長いメールをまた送ってくれたわけですね

彼女がその販売業者(代理店業者)を始めて、こんなんあるけど良かったら買って~とか言う話だったら、彼女の売り上げに協力することになるから、まだ考えたかも知れない。それで自分の健康のためになるものなら。

でもそうでは無いし、ただ「買うべきだ 飲んだほうがいい」と、その商品の聞きたくもない素晴らしさを延々と語られるのは正直鬱等しいものです。

ギフトされるのならまだしもね。

なんで「私たちはガンをコレを飲んで治しましたー」って、人々が号泣して自らの人生を語っているセミナーに、出なきゃいけないの?ってのもある。

私の職業からすると、「いや、あなたが病気になったのは、あなたの生き方や自分に対する感情、他人に対する考え方が間違っていたからですよ?」
の一言なんで。

でも私が何をしているのか、私の職業がイマイチわからない彼女に、それを話してもたぶん通じないので(誰に話しても通じないですね)。いやさそれ以前に、このようなやり方自体、人間関係においては間違えているわけです。

早い話がこれは彼女の承認欲求のひとつ。これもコントロール欲求なんですよね。私のため相手の為と言いつつ、彼女が自分のためにしていること。自己満足を得ようとしてして行っていること。

彼女は友人知人の健康を守り、助けられる自分になりたいだけ。
何か出来る自分になりたいだけ。そして、その〇〇を飲んで良かったと、
相手から感謝される状況を欲しているだけ。
自分の周囲の人々が、病気を治して健康になって欲しいと望んで、
その状況に貢献できる自分になりたいだけ。

私がこういうのは気分が悪い。不愉快なことだから止めて欲しいと訴えたことに対して…

不快な気持ちにさせてしまった申し訳ないと、自分の行き過ぎたお節介を反省するよりも、自分の言うことを信じてくれない、私のことを想う気持ちを私が受け入れてくれないと、怒っちゃったわけですから。

どう考えたって私の事より自分自身の事が大事だと言う、自分が私を傷つけてしまったことより、自分が私によって傷つけられたことが、彼女にとって大きな問題で怒りポイントなんだから。

ここに愛の奪い合いが発生しているわけですよ。

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彼女のことは今でも好きです。

共感力も同情心も豊かで、ボランティアとかにも熱心な愛情深い人で、3.11の時にも東北に自腹で救援物資持っていくような人でした。色々と尊敬していたし、敬愛もしていました。

でも、私が不用品をフリマやネットで販売して、売り上げを募金活動しているときに、彼女が色んな人から集めてこちらに持ち込むものは、"廃棄するしかないような衣類"

つまり後進国に寄付しても失礼でしかない衣類とか、値段をつけることにかなり躊躇する、持て余されていた家庭の不用・廃棄品ばかりでした。8割くらいがそうしたもので、分別して捨てる方がかえって大変でした。中には粗大ごみもありました。

そういう意味で、ちょっと解っていないところもあったんです。純粋な親切心と好意から来るものなので、それを追及することを当時はあえてしませんでしたが…今となっては、そういうことを色々話しあえてこなかったことが、悔やまれます。

でも、お互いに込み入った話をする時間を、取れなかったし、取ることも不可能な状況で関係だった(互いがそういう時間を作る努力をしてこなかっただけかも)。それもまた事実です。

もう、これは切れてしまうのなら仕方ない。きっと彼女に必要な経験なのだろうとも思います。痛い目にたくさん合うかも知れませんが。

そして彼女自身が抱える問題、彼女が今回表している態度の中に、私自身の過去の問題を見つけて反省し、愛ではなく怒りで反応してしまった自分にも気づいて、これは私自身の過去の手放しでもあるのだと、そういう象徴的な出来事なのだろうなとも思っています。

サヨナラはしたけれど、彼女の事を好きなのは今も変わりはないし、嫌いになってなんかはいないのです。今はただ彼女の無事と心の平穏と、気付きへの道と今後の幸せを願うばかり。彼女のことはもう神様にお任せして、私は遠くから見守るだけです。

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本当に大切なもの

どんなことも創っては壊し、築いては崩しの繰り返し。そうした繰り返しの作業の中で、良くない点上手くいかなかった点など、失敗から反省と学びを得て、改善・改良を繰り返し、人も技術も進歩していく。
昨日から明日へと 過去から未来へと…

人生全般はもちろんのこと。人間関係もまた然り。

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私自身のことであるが、この人生 それなりに多くの出来事があり、様々な経験をさせて頂いた。その中で色々な人たちとの出逢いと別れがあって、
続いているにせよ、終わってしまったにせよ、これらの多くの人間関係から多くの学びや教訓そして自身の血肉、糧となる経験を得たし、すべての人たちや出来事から育ててもらったと言っても過言ではないと思う。

残念なことに、互いに助け合うことの出来る、友好的で良き関係性を築けなかった人も多いのであるが…それはまた、いつか別の人生で出会えたときに、今生でのことはリセットして、一から新しい友好的な関係を築けたらと願うのみ。

それは本当に仕方ない。
お互いに道の途中であり成長していく過程の中で、互いに痛みを教え合うための(学びの)相手として、出会ってしまったのだから。

そのような相手に対しては…出逢えたことにただ感謝をして、感情的軋轢や遺恨を手放すのみ。そして、相手の学びが進むことを祈るのみ。
心からの平穏と無事、一日も早くその人らしい人生を取り戻すことを、ただただ、祈るのみ。「あなたの魂の願いが叶いますように」

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お陰様で、私はいま多くの友人知人そしてクライアントさんに支えられ、助けてもらって日々を過ごさせて頂いている。

家族こそいないものの、具合が悪いと言えば、心配して駆けつけて、差し入れしたり手助けしようとしてくれる人もいるし、恩返し恩送りをして下さる方もいる。

暖かい心配りに満ちた励ましや便りをくれる旧友や、しょうもない愚痴や泣き言を聞いてくれる人もいる。たわいのない世間話やおしゃべりをし、共に楽しい時間を過ごせる人もいる。長屋の付き合いのようなご近所さんもいる。

私を信頼してお仕事を下さったり、紹介をしてくれる人もいる。
とても有益な知恵や情報、アドバイスをくれる人も…

なんと素晴らしいことだろう
なんとありがたいことだろう

人は独りでは生きていけない。人は人の中でしか生きていけないので。

とてもありがたいことに私は孤独では無く、心の拠り所たる信頼できる人たちに囲まれている。

これを感謝しないで何を感謝すべきと言うのだろう。

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こうした御恩や御縁に報いるために、私自身にいったい何が出来るのか
…と考えたとき。

やはりそれは、今の仕事と真摯に向き合って、
一人でも多くの方のお役に立つことなんだと思う。

他の人ではない私にしか出来ないこと、持って生まれたこの個性・資質・能力、普通ではない変わったところ。非現実的な世界をちょっとばかり見通すことの出来るこの目を使って、過去生から蓄えてきた知識と智慧と技術を、
それらを必要とする人へと伝え、後世へと残していくこと。

そればかりではなく、霊性を磨いて能力を高めて、もっともっと出来ることを増やして…そうした方面からの救いを求めている人のために、役に立つことが出来るように、鍛錬していくことなんだろう。

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話変わって…

小学生のとき、クラスにイジメを受けている同級生がいました。昭和のイジメは昨今のイジメほど酷くはなく、シカトするという仲間外れ程度で。

私はそういうのは好きではなかったので、イジメに賛同せず、その子に対しては、仲良くしようよと接近することもしない代わりに、とりあえず普通に接していて、あからさまでロコツなイジワルに対してだけ、「ちょっとひどくね?」みたいに反論もしていたり。

すると今度は標的がこちらに変わります。

スケープゴート役が別に出来ると、ターゲットだった子は今度は向こう側に回り、今までイジメられてた子は、自分をイジメずにかばった子をイジメるようになるんですね。

何が一番ビックリするかと言うと、昨日まで自分に対してイジワルをして、悪口を言って叩きまくっていた舌の根も乾かぬうちに、今日から仲良くしましょうよとあなたは私のお仲間よ…と白々しいことを言ってくる相手のことを、簡単に人って受け入れるということ。

まあそんなもん。
人って結局自分自身だけがカワイイので、本当に狡くて弱い生き物だから。
でも他人のそんな弱さを責めることなんて、誰にも出来やしない。

私はもともと女子独特の群れるというのが苦手で、幼稚園児以前からの幼馴染も男子だったし、とくに小学生の頃は男子とばかり遊んでいて、本の虫でもあったから休み時間は図書室に入り浸って、教室にはほとんどいなかったし、さらに今と違って昔は子供の社会って学校だけではなく、放課後は近所の子たち(年代の違う遊び仲間)との付き合いというか関わり合いもあったから、それは対して「痛い」出来事ではなかったのが幸い。(中学に入ると事情が変わりますが)

そういうのはどこにでも見かける風景。

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困ったときにはさんざん頼ってきて、甘えてすがりついてきて。でも状況が良くなって、こちらの手を必要としなくなった途端、後ろ足で砂をかけたり恩を仇で返してくる人。自分が何かあった時だけ頼ってきてこちらが何かあった時には知らんぷりな人、口ばっかりの人。

ああこれは自分の甘さだと、非情になり切れなかった部分を、ビジネスライクに割り切って、ちゃんとラインを決めて色々切り捨てていくと、与える必要のない人に、たくさん与えようとしてしまっていたんだと気づかされる。

本当に大切にするべき人たちは誰か…誠実に真摯に向き合って関わっていくべき人が、誰であるのか。どういう人たちを大切にするべきなのか…
勘違いな自己犠牲を捨てて、偽善者だった仮面をも捨てると、曇っていた視界が晴れて色んなことが見えて、ニセモノの魅力が褪せてくる。

本当に輝くホンモノの宝石、人としての優しさや魂の輝きを持った人が見えて、そうした付き合いを大切にするようになる。

自分にとって何が大切か、それが解ると欲しかったものが、身近にあることを知らされる。それは霧が晴れていくように。

そのためには要らないものを手放すだけでいい。人間関係もその一つ。

自分にとって重荷になる人ならサヨナラすればいい。
他人のことを消耗品のように扱う人にはNOと言えばいい。
自分を大切にしてくれない人を大切にする必要はない。
そういう関係は追いかけないで放置していればいい。
何も与えてくれない人には与える必要はない。
自分が心から与えたいと思う人にだけ与えればいい。

歩み寄りをしようとか互いを理解し合おうという試み、与え与えられるというギブ&テイクをしてこない相手とは…今も未来も、生産的な実りは期待出来ず、リセットしたほうが人生の無駄遣いが無くなる。

必要なものはおのずと残るし、空いたスペースにはそこに入るのにふさわしい、新しい関係性も次々にやってくるのだから。

自分を大事にしてくれない人に背中を向けた時、心から自分のことを想い、大切にしてくれる人と巡り合うことが出来る。

言葉のキャッチボールも、心のキャッチボールも出来ない相手には、早く見切りをつけて思い切ったほうがいい。あなたから奪ってばかりで一方通行の関係ならば、打ち止めにしてそれを学びとして次に進むべきです。

自分を苦しめるものから自分を守る決断をしましょう。

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