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怨憎会苦~因果は巡る

過去生で縁のあった相手と、今生でも再会する…と言うケースはよくあることで、さほど珍しいことではありません。こちらにUPしているセラピーの記録(個人セッションのケースファイル)の中でも、よく見受けられるケースですよね。

過去の縁ばかりが、必ずしも絶対的なもの…と言うわけでは無いけれど、互いに対する貸し借りがあるので、カルマのレッスン(学びのステージ)の相手として…因果を含む関係性は、運命の糸の中に織り込まれる確率が非常に高いってところです。

それはまあ、助け合いの精神での巡り合わせや、愛情に結ばれた者同士の再会もあるけれど、必ずしもそのようなポジティブなものばかりでは無く
得てして、ネガティブな関係性により生じた貸し借りの清算とか贖罪とか、相手を理解し、赦し合い、一からやり直すために再びの縁を結ぶことになったりとか…そういう関係性がほとんどだったりします。

覚えていれば、「ああ…そうか」って納得するところですけど、過去生の記憶は一般的に覚えてないのが普通なので(慈悲と慈愛の御業です)、ほとんどの人が、知らずしてその"魂が意図した目的"(カルマのレッスンが用意したドリルであり自らが架したテスト)に取り組まなければなりません。

※ある一定の霊性に達していない人は、怒りや憎しみ、怖れをまだまだ捨てられていないので、相手に対して拒絶反応先入観を持ってしまったりするなど弊害と実害を生む源となり、それが学びのレッスンをクリアすることの障壁になってしまうことがありがちだからです<忘れている理由
なるべくニュートラルかつフラットな状態で、相手との関係性を一から築き上げたり、やり直すのが、理想の学び直しなので。

そうですね。例えば、かつて自分を苦しめたり、辛い目に遭わせてくれたりとか、命や貞操を奪った相手が自分の子として生まれてきた時…母として乳を上げたり、抱きしめたり、世話をすることは難しいものでしょう? 
その子を愛しなさいと誰が言えるでしょう? 己が子として生まれてきた、かつての仇…加害者を愛せない被害者(母親)を責めることが出来る人が果たしてこの世の何処にいるでしょうか? その資格を持つものがいるはずはありません。誰が無理強い出来ることでは無いのです。そんなことが出来る人は人の心を持った人とは到底言えないでしょう。

しかし、過去に自分が命を奪った相手、命を奪われた相手…と、縁を結ぶことは実に多いものです。これは本当に一番多いケースで、もっとも見られる再会パターンです。

殺人の罪は何よりも重い… 

追い詰められて、やむなく相手の命を奪ったケースや、事故、過失による殺人でもカルマの貸し借りはもちろん生じてしまいますが…(戦争により、敵味方に分かれてしまって殺せざるを得ない殺人も、ここに含まれる) 下記の罪とはちょっと違ってきます。
実体に罰を架すのはいつだって、その人の本体たる魂になりますが…学びの性質が宿業と呼ばれるものとは異なってくるのです。相手との関係性もそうですね。ケースバイケースではありますが、最悪な関係とまでは行かない、双方向に学びを与え与えられるだけだったり、貸し借りを返すだけの相手になりやすいです。

それより罪がもっとも重いのは、理由なき殺人、自分の私利私欲によって相手を犠牲にすること…八つ当たりや逆恨み、快楽殺人など命を弄ぶ行為もそうですし、自死に他人を巻き込むこと、そして相手を人と見なさない上での非道な殺戮行為など。戦争と言う避けがたい殺人であっても、少しの良心の呵責も痛まず、罪悪感も抱かず、殺しを楽しんでいたのなら、それはそれは大きな罪になります。

そのような殺人による関係性は、相手から手酷い仕打ちを受けることになったり(復讐としか思えないほどの感情的怨恨を伴った)、一方的に理不尽な嫌がらせを受けることになったり、経済的な損失を与えられたり、心身にダメージを与えられ、あげく正義が行われない(自分が被害者的立場であるのに救われない)結果となったり、人生や社会に幻滅、失望させられるような精神的打撃を与えられることになりがちです。
はい、まるで世界中から見捨てられ、自分が生贄の子羊になったような気分にさせられるのです。中には八方七塞がり四面楚歌に置かれるような状況を経験したりとか。

それもまた、禊の形の一つで、罪の償いの方法として遭遇させられることもあったりします。そういう経験、苦渋、辛酸を舐めさせられること、ありがちです。
※とは言うものの、己が霊性を高め精神を鍛えるために、苦行としてそのような経験を自らに与えることを選択された方もいるので、必ずしも過去の悪行の償いとして、そのような目に遭っている方ばかりでは無いのです。
なので、決めつけて考えないで下さいね。

そして、加害者と被害者が親子で生まれてくるケースが多くて…
一つ例を挙げてみると<クライアントさんの過去生

お母さんとの関係性に悩まれている方だったので…覗いてみると、中央アジアのとある遊牧民の女性だった過去生が出てきまして。姿としてはかなりお年を召されてからの、老婆の姿(但し、それ以前の時に若い頃の凛々しい姿も一度視させて頂いてましたが)。何かに怯えてまして。まあ、それはそれとして。
今生でのお母さんとの間で、過去に軋轢(原因)が生じた人生と言う事で視ていましたので…するってーと、今のお母さんはこの老婆だった時の孫で。
「孫のことを愛せない」「孫が自分を見る目が怖い」と仰る。

色んな事、はしょってしまいますけど…
この女性が属する部族は、親戚関係にあった隣の部族を皆殺しにして、その土地や財産を奪った過去があったのね。子供や女性、老人や弱者に到るまで、それはその残虐なことに。親戚関係にもあって、交流もあって、顔も見知っていた者もいると言うのにね…

理由としては、同じ先祖の血を引く子孫なのに、自分たちは貧しい土地(北の痩せた土地)に住んでいて、もう片方は肥沃で豊かな土地に住んでいたからと言う事らしい。それに反発した別の姻戚関係にあった部族もいくつかあったらしいんだけど、女性の居た部族の方が大きな部族で、力のある戦士も多かったので逆らうことも出来ず、黙認したみたい。
ちなみに男性だけでなく、女性も戦闘に参加する部族という事で、結構強かったようです。

で、その時に滅ぼした部族の方の人たちが、彼らを殺した孫世代の中に何人か生まれ変わっていて、その女性のも、その女性(老婆)自身が手に掛けた人の生まれ変わりだったのですよ。

本来なら、可愛い内孫です。目に入れても痛くないくらい、可愛がれるはずの初孫。でも、その孫は「よくも私と家族を殺したな!」と言う目で自分を冷たく見つめている。自分を責めるような顔をいつも向けている。
その事実を知らずとも、何処かで感じられている罪悪感から、その子に近寄ることが恐ろしく、抱きしめてあげることが出来ない。愛することが出来なかったんですね。

で、今生では、母(かつての孫であり自分が殺した相手)とその長女(祖母であり自分を殺した相手)という関係性に生まれ、"赦し"と"理解"と言う、愛を学ぶレッスンの相手として、互いを選んで生まれてきたのです。

何故、血を分けた肉親なのに愛せないのか… 親子なのに、兄弟姉妹なのに何故、憎み合ってしまうのか…仇のように思ってしまうのか…

そのような縁、関係性や感情にも理由(因果)と背景があります。
そして、いつだってそこには、学ぶべきテーマがあります。

お腹を痛めた我が子だから愛せるかも知れない…
自分を生み、育ててくれた人だから恩を感じ、愛せるかも知れない

人はその関係性に期待を寄せるのです

親子だけでは無く、兄弟姉妹、オジとかオバとか、イトコとか、祖父母とか、親戚や近しい関係で生まれてくる場合も勿論多いです。

また、自分がその人の命…人生や金銭を奪ってしまったから、今度は親として惜しみなく愛を与え、金銭的援助を与え養育し、生きることのすべてを支え、その人の行いの全てに責任を負うことで罪を贖おう… 
その人の夢や人生をバックアップし、サポートすることで、自分がかつてしてしまったこと、奪ってしまったもののお返しをしようとして親や保護者、パトロン的な役割の関係性に生まれてくる人もいます

その謝罪を受け入れようと、加害者の元に生まれてくる被害者もいます。
善き関係性を作ろうと努力している人同士の場合、例ですね。

でもまあ、なかなかどうしてで、
上手くいかないことがほとんどなんですけど‥‥

過失を認めれば、償いは半ばすんでいる

これはまあ、一対一の関係性の場合ですけれど、侵略戦争とかでものすごく大量に殺している人の場合は、特定の相手に対する償いの行為だけでは済まされないですよね。

春分点牡羊座時代に表されるような、国土拡張のための戦いの時代(アレクサンダー大王の大遠征みたいな)とか、その前のシュメール文明とか、中近東の血で血を洗う歴史、匈奴の残虐行為、中国の戦国時代とかとか…それ以前も以降も20世紀になってからの産業革命以降の(大量殺戮兵器が世に生れてからの)戦争の時代とか近代にいたるまで。
そうした時代まで遡ってしまうと、それこそ半端ない数の人を手に掛けた人は、大量に存在していますのでね。何万回殺されたって、文句言えないんじゃない? それだけ残酷な方法で人々を大量に殺してきたんだからって…言えてしまうような人、いますよね。ざらに。

たくさんの善きことをしないと返せない借金です。
周囲の人だけでなく、世の中そして社会、人類に対して、たくさんの善行と貢献をしないといけません。仕打ちや復讐的な懲罰もその身に同時に受けないといけないでしょうが。
だから、英雄や有益なことをする人が…偉業を成した偉人と呼ばれるような人たちが、必ずしも最初から素晴らしい人徳者だったわけでは無いと、申しておきます。

良いことをしているフリをして、実はとんでもない罪を犯した大悪人で、今も善人のフリをした悪人だって人もいたりするわけですが。
<過去には奴隷商人として、たくさんの人の命を金に換えることで私腹を肥やし、今も相変わらず同様のことをしている竹●平●氏とか

そうですね。
私の今生の父親は、とある人生で海賊として、たくさんの人の命を奪い、村々を荒らし、他人の財産を奪った人です。今の彼の妻すなわち私の母はその時さらわれて奴隷にされた一人で、下働きとしてこき使われ、病気になったことで無人島に捨てられて、恨みを持ったまま死んだ人
だから、父は夫として母のATMになる必要があったのですね(未払いの給料と慰謝料とか、てんこもりにあるし)。いやさまったく優秀なATMとは言えず、全然贖罪がされてないけど。ダメ夫、マザコン夫として、さらに罪を重ねた、トホホなヤツ。レッスンは見事、落第です。

本当は良き夫、良き父として、妻や家族を大事にしなくてはいけなかったのですが…溜息

でもって、私と言う人間…このような仕事をすることになる子を親として育て、その子を養育することは、やはり罪の償いの一つ。
建築業に就いているのは、たくさんの村を焼いて、人々から生活拠点や物資を奪い、町や建物を壊した過去があるからです。その償いです。人々が生活する家としての建物を破壊するのでは無く、建設・修復と言う仕事をすることで、過去の過ちの償いをしているのです。それだけは正解だけども。

他には、前に書いたように…
ミュージシャンなんかでは、大量の人をその手に掛けた償いのために、音楽の道に進み、人の心を癒し、希望を与える曲を作ることを架せられている人もいます。今度は銃や弓やナイフ、剣ではなく…武器を楽器に持ち替えている人たち。先ごろ呟いたバンドの人たちもそうですね。

心臓を貫く銃の代わりにギターを弾いて、弾ではなく音で人の心を射抜かないといけない人。弓矢の弦では無く、琴の弦を引いて、一曲弾く事に自分が奪った命や傷つけた人たちへの鎮魂をしないといけない人。
流れのジプシーたちのことを馬鹿にし、彼らを襲撃して、彼らの生活の糧たる楽器を焼いて壊したが故に、今度は自分たちがそのかつて壊した楽器で生計を立てないといけない人たち… 今回の感染症で活動場所や仕事を失くしたことも含めて、そのことでもカルマの負債の返済をし続けている人たち…

遊女を憐れみ、その立場の心情をさも理解してますって曲を作りながらも…自らの過去生体験から得た哀しみのように歌いつつも…元はそんな体験することになったのは、娼婦のことを軽蔑して馬鹿にし、足蹴にして、嬲り殺しにしたことがあるから、その因果で自分が売春婦になる経験をしただけなのに、遊女のいったい何を解ったような顔をしていられるのだろう…とも思うけどね。遊女の真似事な恰好をして、それが彼女たちを侮辱していることに気づかず、怒っている霊たちの想いに難て、少しも気づかずに…

武器によって…手にした刀で相手の肉体を切り裂いてきたが故に、今度は外科医となって、切り裂かれた肉体を縫い合わせ修復をする仕事をしている人たち、検視医や監察医になった人たち…などなど。

兵糧攻めをしたり、敵国のライフラインを断ち切ったり、他人から命の水や食料を奪った人たちは、ライフラインを繋ぎ守る仕事に従事することで、かつての贖いをしていたりとかとか…

そうした仕事に導かれるのも理由があってのこと
使命ばかりが天職ではないのです。
贖罪のために、その仕事をさせられている人も少なくないのです。

とりあえず、いったん区切ります。
また続きを書くかも知れないけど、書かないかも知れない。
予定は未定ということでっっ

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