not 1/2 but rather ONE
一時期、流行になった言葉を使うと、私は、"リケジョ"なのだろう。
私の通う大学でも、リケジョを増やす活動をする団体もある。
決して、これらの言葉や活動が良くないと言うつもりはない。
だけど、私は、常日頃から、この現実に疑問を抱く。
学問に対して、
ヒトの生物学的区分を当てはめることは、
正しいのだろうか。
確かに、統計上、
いわゆる、理系分野には、女性が少ない。
私の周りにも、男性が多い。
時々、学生の男女比を問われるが、
それを問うことに、
それを知ることに、
一体、何の意味があるのだろうか。
そして、学問を理系と文系に、
二分することさえ、不毛なことだ、
とまで、考えが拡張する。
こちらは、今日は、一旦、横に置いておこう。
何かを区分けすることは、
生活する上で、必要なこと。
分けることでわかりやすくなることもある。
だけど、その区分けが、
本当に正しいのか、
適用できるのか、を常に考えたほうがいい。
特に、性別、生物学的区分は、難しい。
やはり、生物学上、
男性と女性では、身体構造が異なるのは否めない。
だから、スポーツでは、
男性、女性と分かれて行うことが多いのだろう。
もしかしたら、
脳の構造、思考過程が異なるかもしれないから、
学問にも、適用できるのかもしれない。
だけど、
人間の思考というのは、性差なく同じだ、
と、学問の世界に、つま先を浸すだけの私でも感じる。
性別の"2分の1"は、大きな区分け。
だけど、どんどん他の区分けが掛け算される。
1/196 × 1/47 × 1/20 × 1/100……
1は、0に近づく。
でも、そこに確固たる1があるなら、
決して、0にはならない。
そこまでなると、
性別の区分けなど、
ほぼ1に等しいのではないだろうか。
分ける前も1だったはず。
何を1と見るか、なのかな。
趣旨に沿わないことかもしれないが、
こんなことを10数年、考えている。
答えは出ないのだけど。
結論、何かをするにあたって、
性別をはじめとした、
区分けは、必要ないと、私は思う。
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