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「前提条件」から疑問をもってみる

僕は普段は「障害者総合支援法」という法律に位置づけられている事業をメインにお仕事をしています。
その前は「介護保険法」に基づいて位置づけられている事業に携わっていました。
 
 
その中では「指定基準」としての人員配置や記録物、設備もそうだし僕らの仕事の範囲についても示されています。
毎日サービスの提供記録をつけて、支援の計画書やモニタリングをして、支援会議を行えば議事録を保管して、みたいな業務は気がつけば仕事のルーティンとしてしっかりと根付いていて、それらの事柄をいかにきちんとしているか、ということが事業所の評価に繋がったりする事が当たり前になっています。
 
 
介護、とか障害福祉、とかいうと大体ほとんどの場合がこういった事業所で働くことを指していて、特に福祉を学ばれている学生さんなどになったらもしかしたら入った時点からそういうもんだと思われているかも知れません。
 
 
そしてそこで働き出してしばらく経つと、どんどんとそれが当たり前になっていきます。
「福祉の仕事はこういうものなんだ」と。
 
 
ちなみに僕は結構長い間その感覚でいました。
その中でいかにいい支援ができるか、って考えてその中ではどうしてもできないことに不満を抱えてみたり「でも仕方ない」と自分を納得させてみたり。
 
 
会社とかもそうですよね。
それぞれの会社ごとに仕組みや役割があって、その中である程度決められた業務があったり仕事があったりして、その枠の中で仕事をする事が当たり前になっていく。
 
 
その中でいかに結果を出すか、に勤しんだり、時には会社に不満を抱えてはどこかで自分を納得させてみたり妥協してみたり。
 
 
 
ただ、ここ数年は少しだけ考え方が変わりました。
 
 
 
すごく乱暴な発想なんだと思うんですが、「あれ?僕は他の事をしちゃいけないんだっけ?」という思いが巡るようになりました。
 
 
 
制度の仕事をしているから、制度以外のことをしちゃいけないんだっけ?
今就労支援をしているからって、就労支援以外のことをしちゃいけないんだっけ?
今の仕組みをただただ鵜呑みにしてそこから外れることって考えちゃいけないんだっけ?
 
 
 
制度の仕事をしていても、制度では足りないものがあるのであれば制度外の仕組みを作ることをしちゃいけない、とは実は誰も言ってなくて、就労支援をしている人間だからって就労支援以外のことをしちゃいけないなんてことはなくて、今ある仕組みに何か改善提案を投げかけてみたり新しい仕組みを考えて見ることも、誰もしちゃいけないなんて言ってないんです。
 
 
もう少し言うと、例えば所属している会社なり法人なりで「新しいこと」をしようとした際にいわゆる決裁として承認が降りない、ということはあると思います。
僕も以前会社の人事評価制度というものの新しい手法を提案して何度もプレゼンをしましたが、結局僕の案が採用されることはなく、評価制度を見直そうという部分だけ切り取られて、違う方がプロジェクトリーダーになって全く違う話が進められていった事もあるので、そういう事はあると思います。
 
 
 
でも、考えても動いてみてもダメだなんて実は誰も言っていないし言う権利は多分ないんですよね。
 
 
 
 
つまり何が言いたいかというと、
 
 
出来上がっている枠組みの中仕組みの中だけで思考停止してしまったり、その中で不足感や不満感を感じる前に、まず「前提条件」から疑問を持ってみると実はもう少し思考も行動も自由になるんじゃないか、という話です。
 
 
よく福祉の仕事をしていると、「制度では対応しきれない」ジレンマだったり所属している会社や法人の現状の方針が自分の思いや考えと乖離している事でモヤモヤしたりする事があると思うんですが、それはあくまで決められた枠の中にいる、という前提の中で起こるわけで。
 
 
そもそもの前提条件を変えて考えてみるとどうでしょうか?
 
 
制度外のサービスを具体的に考えてみる。
既存の仕組みが対応していない事があるのであれば、そもそも対応する仕組みを考えてみる。
今従事していること以外のことに触れにいってみる。
 
 
特に誰にも止められはしないはずです。考えるのも触れてみるのも、それは自分の時間で行うのであれば誰にも止める権利があるものではないからです。
 
 
意外と前提条件に縛られてしまっているのは自分自身だったりすることが少なくありません。
 
 
 
仕組みや制度、システムというのは利便性があったり標準化されていたり、定義がきちんと明示されているが故に、物事の判断の一つの基準になったり行動の基準になったり、というところでとてもありがたいものだと思っています。
 
 
ただその反面その仕組みに組み込まれること、制度の中で稼働すること、システムを運用することが「当たり前」になればなるほどそれが気付かぬうちに自分の前提条件として染み込んでしまって、思考を殺している部分もあると思うし、決められた枠の中でしか行動ができなくなる、という側面もあるんです。
 
 
そして今の時代はその前提条件になるものが固定的であればあるほどもしかしたら進歩することの足を引っ張るものになってしまっているのかも知れません。
 
 
だから、前提条件から疑ってみる、というのは僕は悪いことだとは思いません。
疑って考えてみるからこそ、逆説的ですが今の仕組みや制度やシステムというものがなぜ必要なのか、ということも知れるからです。
 
 
なんとなく閉塞感や窮屈感を感じる時、ちょっと自分の前提条件、というものから見直してみると視野が広がるんじゃないかな、という話でした。

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