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小さくてもいいから種を蒔く

福祉の経営って「福祉」の理念と「お金」の問題をどういう形で解決していくのか、というのがひとつの大きな課題だな、といつも考えています。

 
就労支援の領域では、就労継続支援A型やB型で実業を生み出して、そこで利用者さんが立派な生産者として活躍している事例もたくさん見受けています。一般就労の場面でも、特にIT系の業態などは当事者の方が中心になって運営がなされていたりという形で、福祉としての理念とお金の問題が事業の経営の中でうまく昇華しながら進化しているなぁ、といつも思いながら見ています。
 
 
でも「支援」自体のマネタイズって実はあまり進んでいないような気がします。
「福祉(支援)は無償もしくはごくごく低額のもの」という概念が通念になってしまっているからなのか、支援は福祉制度の中で行うものだということが固定概念になってしまっているからなのか分かりませんが、本来僕ら福祉業にとって一番の「商品」のはずの支援はなかなかプロダクトとして成立しにくいのは変わっていないなぁ、と思います。
 
 

福祉制度報酬というのはあくまで社会保障費であって、本質的には「支援」の対価としての評価ではないと僕は思っています。
ある意味寄付なんかは支援自体に対しての対価かも知れませんが、「知られない」とそもそも価値が気づかれにくい、という意味では宣伝や発信力も問われるので、支援そのものの価値以外のものの要素がおおあまり一般的な価値評価の概念にはならないんだろうなぁと思います。
 
 
ということは「支援」はプロダクトにはなりえないんでしょうか。
 
 
福祉という業態では、確かに支える対象者の中には経済的に困窮していたり生産能力を有していない方もいます。そしてそもそも社会保障としての福祉、というのはセーフティネットなので、その役割を担っている事に対して給付費が降りるという仕組みは理にかなってはいるんですが、そこに支援の価値を全て集約する、というのはやっぱり違和感があって。
 
 
 
支援、そして支援者というものの価値をきちんと確立したくて、という理由も多分あると思います。それも込みで福祉の理念とその理念を叶えていくために立ちはだかるお金の問題を給付金や助成金というものだけでなく折り合いをつけていくことってできないのか、という問いを解きたくてポロポロと福祉制度外の事業などを始めています。
 
 
 
どれもこれも規模はちっぽけです。現状では本当に数名の方に向けたような支援で、それ自体はとてもじゃないですが「事業」なんて呼べるレベルではないのかも知れません。
多分ニーズ自体もニッチで、そもそもそんなに大きな需要があるものでもないんだと思います。
 
 
それでもそこでマネタイズしているものは紛れもなく「支援」そのものに対しての価値で、インフラとしての需要ももちろんあるのでしょうが、支払っていただいているのは支援に対しての対価です。
 
 
僕がまだまだ不勉強なのでスマートな方法ではないのですが、今そこで蒔いている小さな種はそれでも確実に自分達の支援の選択肢を増やしていますし、支援者がいろんな支援を行うための原資になっています。つまり国からの給付費に全て包括されてどこかでシャドーワークになってしまいがちな支援者の活動に、僅かかも知れませんが対価を発生させることはどうにか出来ています。
 
 
 
僕が偉そうに言えることではないんだと思うんですが、福祉や支援ってたしかにある一定の部分については本当に「セーフティネット」、つまりこれは国で支えないと人が最低限生きていくことができなくなる、という所はありがたく恩恵を受けながら僕ら支援者が支援活動を続けていくための活動費というカタチで受け取っていけばいいものだと思います。
 
 
でも、セーフティネットではない福祉、ライフラインではない支援、つまり人生の質を上げるための支援や人生をより前にすすめるための支援というのは、線引は難しいかも知れませんがおそらく僕ら福祉業自体が自発的に進化してそれを創り上げていかないといけないんじゃないかと思うんです。
 
 
採算がとれないからやらない、何とか今の制度の中でやりくりする、国がもっと福祉のことを考えてくれたら、というのはどうしても思考停止に近いとしか思えなくて。
採算がとれないなら採算が合うやり方を模索しないと、結局支えるべき人のところには何も届かないじゃないですか。今の制度の中でやりくりする、ってその中で現場の支援者の負担だけを増やしていたらそりゃ仕組みとしては破綻しています。国が動かないのならまず自分達に何が出来るか、から考えるほうがよっぽど建設的です。
 
 
 
僕は「支援」そのものにきちんと価値がみなされるような文化が根付くほうが、ある意味福祉というものがもっと社会の中に一般化していくことに繋がるし、何でもかんでもひとからげに「福祉は無償、もしくはごく低額のもの」という概念も変えていきたいな、と思いますし、何より支援者自体が制度があるから生業が成立する、じゃなくて高い水準の支援が行えるのならそれだけの市場価値や社会的価値が支援者に生まれることのほうが産業としても健全なんだと思うので、そんなカタチを作っていきたいと思っています。
 
 
採算は大きな利益に結びつくわけじゃないかも知れないけど、制度の枠にとらわれずに本当に必要な支援を行うことが出来る環境がそこに生まれること、そして国に依存せずに必要だと思うことを自分たちの意思で生み出せること。
福祉といえどもお金の問題を全く考えないでいい、なんてことはありません。ここの根本のスキルや実践を自分達でコントロールできるようになるのか、どこまでもなにかに依存しながらじゃないと動かせないままでいるのか。
 
 
小さくても、色んな可能性の種を蒔いておくことは大事なんじゃないかな、と思うんです。
それは直接的な採算以上の価値があると思います。マネタイズをしていくということは、ちょっと乱暴な言い換えをすると、自分達で考えながら前に進む術をもつということでもあると思います。
 
 
そういうチャレンジがもっともっと福祉の世界の中で生まれたらいいな、と願っています。
僕は僕なりにこれからも小さな種を蒔きながら、福祉の理念とお金の問題という問いを解き続けたいな、と思っています。
 

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