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コミュニケーションの「場」とコミュニティ(本当に後編)

なぜこんなことになったのか分かりませんが、3部作になってしまいました。ごめんなさい。
仰々しいですよね。
今回で終わります。終わらせます。


前編 

中編


ということで続きです。




障害福祉の分野にこだわらずいろんな社会課題を解決しようとしている法人さんや人と繋がっていく中で、思い知らされました。
分かっているつもりでしたが、どれだけ制度では賄いきれない社会課題が、実は僕ら障害福祉という分野に微妙に密接して存在しているのか。
そこで活動をしている人達がいるのに、自分達はいかに彼らとコミュニケーションが不足していたか。
僕自身ももちろんですが、障害福祉の分野にいたって出来ることが山程あることも
そしてコミュニケーションが生まれることで、どれだけいろんなものが生み出せるか。



昨年下半期からやや意識的に、障害福祉以外の分野の方との繋がりが増えていってその中でいろんな活動のお手伝いができればと思いながら首を突っ込みまくっていったんです。
まぁ、自分が環境としてのコミュニティを創ろうと思うんだったら待ってないで自分から行かないと、相手してもらえるわけねーじゃん!というドブ板の売名行為ですが笑。


そんな中で一般企業さんと新たなお仕事を始めることになったり、微妙に違う分野の方と一緒に支援のプログラムを創ることになったりもしたんですが、実は一番驚いたのが「コミュニケーションの機会」自体が価値を持つ活動になったことでした。



僕らの分野では「相談支援」という表現をされることが多いですが、そんなかしこまったものではない、ただ話し、ただ聴き、その場では解決も結論も出ないことなのに、その時間が、そのモラトリアムな余白のような機会が、少しだけ気持ちを緩められたり考えるきっかけをもたらしたり、同じ思いや価値観を持つ仲間との出会いになったり、息抜きになったりする機会。


全然違う分野同士なのに、そういう垣根を越えて、お互いの価値観が交わるところで新しい何かを生み出そう、って話が始まる、そんな機会になったり。




何かしら生きづらさを抱える方を対象にした分野には元々「コミュニケーションの機会」という価値が存在していたが、今まで僕はそれに気付かず、垣根を越えた時にたまたま気づいただけなのかも知れません。コロナの猛威によって分断された人との繋がりが、より多くの人の孤独感を大きく膨らませた結果、今まで目立たなかったその価値にスポットがより当たるようになったために、僕らの領域でもそれが反映されたのかも知れません。
でも確かに自分の仕事を振り返ってみても、僕自身利用者さんの支援の中で一番大事にしているのは間違いなくコミュニケーションで、スタッフと利用者さん、利用者さんと利用者さん、いろんな人が事業所の中でコミュニケーションをふくらませることで事業所自体が小さなコミュニティのようになってそこが居場所になる、というプロセスをずっと踏んでいます。


どうやら今まで当たり前過ぎていた「コミュニケーションの機会」はいろんな要素の掛け合わせによって、時に人と人の繋がりをつくってコミュニティを形成するトリガーになったり、いろんな分野の人が集い新しい動きを生み出す着火剤みたいなものになったり、どうしようもない孤独感を癒やす毛布のようになったりする結構な価値のあるものだったみたいです。
そして、個人的にはずっとひっかかっている福祉制度が対応しきれていないスキマを埋めることができそうなのも、コミュニケーションの機会から始まるのかも知れない、ということも、ですね。




こんな時代だからこそ、なのかも知れませんし僕らのような領域だから、なのかも知れませんが、思いや価値観みたいなものを「キー」として人が繋がってコミュニティが生まれること、その手前にある「キー」に集い語り合い繋がるためのコミュニケーションの機会の創出、っておそらくもっともっと重要性が高まるんだろうな、とひしひしと思っています。
「何をして過ごすか」よりも「誰と過ごすか」だったり、「何をするか」よりも「誰とするか」の方に意味が大きくなっていくんだろうと思っています。
 
 


おこがましいですが、そんな時に「誰と」に選ばれるような支援者でありたいし、社会資源でありたいと思っています。



長々と目新しくもない話にお付き合いいただいてありがとうございました。

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