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言葉にならない声を聴く

仕事柄、コミュニケーションが少し取りにくい方と関わらせてもらうことは少なくありません。
ご相談をいただくケースの中でも、「ひとりでは喋れないんです」とか、前任の方が「話し声を聞いたことがない」とか言われるようなところから対応させてもらうこともあります。
 
 
僕は多分引き出しが多くないんでしょうね。
なんとか話したいと思うんです。本人の声を聴きたいと思うんです。
同席しているご家族の代弁を聞きたいのではなく、同席している支援者の情報共有として聞きたいのではなく、ご本人の声を聴きたいと思ってしまうんです。
 
 
 
これは自分の反省もあるのですが、僕らは仕事をしていたら目の前の業務や作業、スケジュールがついつい立て込んできて、忙しさを理由にして十分に利用者さんの声を聴けていない、ということが起こり得ます。
僕はさらに自事業所のスタッフの声も聴かないといけないんだけれど、やっぱり予定がタイトだとなかなか聴けていないな、と思うことも多々あります。
 
 
自分の思いを声にすることが出来る人だって、聴いてもらえないと分かったらその声を潜めます。正確には自分の思いを声に出すことを諦めます。
これは利用者さんの支援、というだけの話じゃありません。
 
 
僕らは誰だって聴いてもらえない、自分の声は届かないと感じたら声を発しなくなるんです。
 
 
 
みんながみんなそうではなかったんだろうと思いますが、僕のもとに来た「ひとりでは喋れない」方や「話し声を聞いたことがない」方も、もしかしたら自分の声は聴いてもらえない、と諦めてしまって声を発しなくなったんだろうか、といつも思うんです。
 
 
折に触れて言うんですが、僕ら支援者は利用者さんに「この人は自分の支援をしてくれる人だ」と認識されて初めて支援者と名乗れると思っています。信じてもらえるかどうか、ですね。
 
 
だからどんな支援スキルよりもどんな知識よりも、今言葉になっていない声を「聴く」力はきっと、何より大事な関わりづくりの入り口なのかも知れません。
 
 
たった一言でもいい、本人の声を聴くために、それをずっと待つこともあります。
1回会ってすぐに聴けるわけじゃないかも知れません。10分待とうが30分待とうが聴けないこともあるかも知れません。
でも、多分そこには時間を割かなければならなくて、仮にその場面においてはどんなに忙しかったとしても手を止めないといけないんです。

 
 
これは僕自身も本当に度々振り返らないといけないことなんですが、聴く行為自体は難しいものではないんです。難しいのは「いつでも聴ける」態勢でいること。
 
 
皮肉な話ですが、数多の業務や対応を行いながら、それでも「いつでも聴ける」状態でいないといけないという無理ゲーみたいな話ですが、必ず支援者は「聴く」という事に重きを置かないといけないんだろうな、と思います。
 
 
言葉として出てこない声をどれだけ聴くことが出来るのか。
そこにどれだけ心ごと向けることができるのか。
「話してみよう」と思ってもらえるか。
 
 
専門職としてのコミュニケーションテクニックや知識を用いることも大事だと思うんです。
本人が話しやすいように聴くスキルも、話すのを躊躇わないように整理しながら促すスキルも、必要なんです。
話す気持ちになってさえくれてたら。
 
 
 
言葉にならない声を聴くって、きっとスキルではなくて、「気付いて」、「向き合って」、「信じて」、「待つ」みたいな、もはやスキルでも何でもない、なんか信念の塊なのか意地なのか分かりませんがそんな生々しい姿勢なのかなぁ、と思います。
まぁこんな事言ってたらプロ失格なのかもしれませんが。
 
 
ふと、僕自身は今「言葉にならない声」を聴けているんだろうか、と思います。
油断をするとすぐに身体も時間もゆとりがなくなるので、支援者としては反省しなきゃいけないなぁ、と思う話でした。

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