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ベトナム縦断記🇻🇳人生を見失ったので、ベトナムに行きます

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海外旅行で友人と決別したぼくは、これまでの生き方を捨てるためにベトナム縦断の旅にでかけた。 7日間で社会主義の国・ベトナム4000kmをまわり、人や街と触れ合ったかんたんな記録。…
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ベトナム縦断記。その1(成田〜ノイバイ空港)〜機内の喧騒とSIMピン

2/24早朝、フライトの3時間半前に成田空港に着いた。まだ外は暗い時間帯の空港は、日本人がほ…

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ベトナム縦断記。その12(ホアロー刑務所)〜思い込みプロパガンダと、デモクラチック遺…

ハノイの中心街の一角。 その昔、“ハノイヒルトン”とよばれ、国籍を問わず多くの人々が苦し…

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ベトナム縦断記。その11(ホセマルティ広場)Entertainment or Ritual. The overlap

社会主義を観にいくためにベトナムに来た。 学術的な意義を求めているのだろうか。 おそらく…

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ベトナム縦断記。その10(ベトナム国立歴史博物館)読めない大人と聞かない子ども

ベトナム歌劇場の裏にはバラックのような小さな民家が並ぶ。外の通りから見ただけでは分からな…

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ベトナム縦断記。その9(〜ハノイ歌劇場)靴直しとゴーカートポリス

ホテルを出た時から、朝食はフランスパンのサンドイッチ・バインミーと決めていた。 店を探すの…

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ベトナム縦断記。その8(ホーチミン廟〜ホアンキム湖)一輪の花とセレブ犬

気づいたら2日目の朝になっていた。昨晩ホテルの時計が日付をまたいだのは覚えている。 2/25土…

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ベトナム縦断記。その7(トレインストリート〜ホーチミン廟)〜よそ行きストリートと敬意の集積地

ベトナムに行く前から、「統一鉄道はスピードが出ない」と聞いていた。それにしてもである。走れば追いつけそうだ。 線路沿いの一部の地域には、自由に立ち入ることのできるエリアがある。通称・トレインストリート。ここでは、線路スレスレに露店が並んでいた。東南アジアではよく見かける光景だというが、生で見ることができたのは初めてだ。 ベトナム統一鉄道は、日に10本ほどしか走らない。余談だが、踏切が人力だった。警察官のような人が、バリケードを持って道路を封鎖していく。列車の本数が少ないか

ベトナム縦断記。その6(タヒエン通り〜トレインストリート)〜スーツの日本人と私服…

タバコ売りの少女は、ハノイ有数の歓楽街・タヒエン通りに消えていった。 タヒエン通りは、現…

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ベトナム縦断記。その5(ディンティンヒエン通り〜タヒエン通り)〜融和な笑顔と少女…

水上人形劇が終わると、時刻は21時前。週末を迎えたホアンキム湖の辺りは歩行者天国で盛り上が…

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ベトナム縦断記。その4(ホアンキム湖の夕食)〜高額紙幣とカオラウ

ベトナムに行く前、ぼくは2つのベトナム料理を食べ尽くそうと決めていた。 一つは麺料理。フ…

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ベトナム縦断記。その3(ハノイ大聖堂〜タンロン水上人形劇場)〜流暢アメリカ人と片…

ハノイ大聖堂は1886年に開かれたカトリック教会で、正しくは聖ヨセフ大聖堂(St Joseph Cathed…

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ベトナム縦断記。その2(ノイバイ空港〜ハノイ市街)〜配車アプリと不意のニケツ

空港から市街地まで、車で30~40分くらいかかる。ホテルへのタクシーを手配しなければならない…

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旅の醍醐味は移動にあるかもしれない(まえがき最終回)

衝動的にベトナム行きを決めた。旅程は7日間。最終日は日付が変わるとともに日本に戻る飛行機…

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観光客様に、ウェイターちゃんは無邪気に笑う(まえがきその5)

ベトナムは社会主義国である。とは言っても、40年近く前のドイモイ政策以降、国際社会との関わりも強い。街並みは次々と近代化されているという。 現在、国家が正式に社会主義国を名乗っているのは、ベトナム・中国・北朝鮮・キューバ・ラオスの5カ国だ。ただし、これらの国以外にも、経済を国家が管理している地域はあるし、民主化に取り組んでいない国家もそれなりにあるという。(調べたら色々出てきたが、長くなるので割愛する) ぼくは、昔から社会主義国というものに興味があった。日本やそれを取り巻