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ベトナム縦断記。その5(ディンティンヒエン通り〜タヒエン通り)〜融和な笑顔と少女の悲壮

水上人形劇が終わると、時刻は21時前。週末を迎えたホアンキム湖の辺りは歩行者天国で盛り上がっていた。
屋台が並び、各々が楽しんでいる。お風呂場で使われるような低い座椅子で鍋をつつくのが、ベトナム流だ。

そこそこ遅い時間ではあるのだが、5歳前後らしい子どもたちが結構いる。子どもだけで遊ぶというよりは、一人の子どもの周りに複数の大人たちが集まっている風景が印象的。近所のお兄ちゃんみたいな人で溢れている。

広場に集まっている人たちは、昼間何をしているんだろうか。子どもたちは学校に行けているんだろうか。通りに集まる人たちはみんな笑顔だった。
日本の屋外でこんなに笑っている人たちを見ることはなかなかない。

誰かが笑っているのを側から見る時、ぼくはその笑顔に排他的なものを感じてしまう。

ーこの喜びの感情はお前に向けてるんじゃないぞ

笑顔で目が細まった人の視界に、おそらく僕は入っていない。もちろん部外者に向けて笑顔を振り撒く必要なんてないのだが、周りの人が笑顔になった時、大抵僕はその輪の中にもう入れない。誰かが笑顔になった時点で、その空間は完成している。最高潮に達している。そういうものだと思っていた。
けれども、その広場の人たちの笑顔はぼくを受け入れた。

縄跳びを楽しんでいた青年たちが、ぼくに話しかけてきたのだ。その大縄は、片っ端から通りをゆく人を飲み込み、どんどん大きくなっていた。
あまりにも突然で、思わず断ってしまったけれど、それでも青年たちはじゃあ近くで見ていけよと言わんばかりに、こちらに笑いかけた。
それまで仲間たちと縄を飛んでいたのと全く変わらない笑顔で。

ひとつひとつの集団は決して大きくない。けれども、それぞれに一体感があり、新たな人との出会いを歓迎しているようだった。

歩いて少し離れた歓楽街に足を運ぶ。流石に年齢層は高くなる。社会主義国のイメージに反して、ビールの広告看板がネオンに着飾られていた。

通りの真ん中の小さな交差点に、200人ほどの人だかりができている。
中を覗くと、ギターやドラムといった立派なバンドセットの真ん中で、若いボーカルが熱唱していた。交差点は雑踏で埋まり、横切ることもできない。
意味もわからない曲ではあったけれど、心が躍った。どこからともなく集まった大人たちが、笑顔でボーカルを見つめている。音を楽しんでいる。
1曲終わるたびに歓声が上がり、どんどん聴衆は増えていった。

その時、音に足を止める大人たちの間を、一人の少女が駆けていった。
タバコで埋まったカゴを抱え、静かに通りをすり抜けていく。あっという間に、バーの並ぶ賑やかな通りへ消えていった。

時刻は11時前。その少女に、笑顔はなかった。

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