winesburg

歴かなで書くんやで。 はてなブログ http://winesburg.hatenabl…

winesburg

歴かなで書くんやで。 はてなブログ http://winesburg.hatenablog.com ブクログ http://booklog.jp/users/winesburg ブックメーター http://bookmeter.com/users/1085273

最近の記事

どこで本を読むか(NOT家)

 自宅で本を読めるひとの住居は、案外部屋が三つも四つもある大豪邸とか、あるいはもう家が図書館になっているとしか想えないのだが、うちの場合はひと部屋で、しかもきたないので、集中がそがれてまともに読書できない。  だから近所の図書館に出かけるのだが、あいにくいま改築中で、ほかの図書館は遠いし、まえまえから言おうとおもっていたのだが、冬の図書館の暖房というのは本を読む温度ではない。あったかくてボーッとしてしまい、妙に暑くていけない。ちょっと寒いぐらいが最適で、と、そういえば最近、米

    • 澱み、澱むまま立て

       右足が痛い。かといってしばらく寝ころがるとなまける。からだの節ぶしが痛くなる。頭も澱んでくる。運動をしないからである。  きのふは私鉄の沿線を歩いた。気が晴れなかった。都心だから駅と駅との間隔はせまい。上京した人に駅から駅にそぞろ歩くといふと、驚かれる。そこで都会だからとつけ足してやると、納得された。  私は出不精だから、つい食べすぎてしまふ。胃が脹らんだまま夜の街に出て、線路に沿ったり離れたり、どっちつかずの住宅街の路をゆくと、団地に囲まれた。空地がぽっかりと、青い草を丈

      • 夏目漱石「坊っちゃん」発禁始末

         日本の五大文藝誌の壊滅は、依然赤字の部数がさらに低下するより先に訪れた。抵抗勢力による大規模な政治展開が、加速的に出版社編集部を萎縮させたのである。一方で漫画の週刊少年スキップと週刊少年ブックはまだ根強かった。週刊少年マンデーは橋高流君と赤森柔昌の強力な擁立によってのみしか成立しえない雑誌であって、いまだ作画だけは別人の橋高原作のスピンオフと、完結しなかった赤森の漫画の、キャラクターだけが永遠に裁きつづけるオリジナルアニメ映画の宣伝のみが毎年連載されていた。  あるテレビ局

        • 癒やす文章

           何度かめの憂鬱な日がやってきた。  近年でいちばん大きいものは新型コロナウイルスが流行した年の数年。あたまのなかを重苦しいものがうずまいている。  もともと気丈者ではなく、自分をうまくコントロールできるとはいえぬ懊悩に取り憑かれると、それに囚われてもだえるようであったのを、時間の経過としてやり過ごしてきた。その実際の経過時間は、まさに陰鬱な気持だ。  ルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、みずから孤立をひしと感じた契機に読もうとして、あとまわしにした本だ。そういう、気分で左右さ

        どこで本を読むか(NOT家)

          大江健三郎追悼をよんでみた

           ノーベル文学賞の大江健三郎が死んで、ミュージシャンのスガシカオや官能マンガ家の山本直樹(卒論が大江だったらしい)やなんか、意想外な人がツイッターで追悼を出したあと、文學界の追悼文をよんだ。  おそらく大江はある時期から文藝春秋と絶交してゐて、後期はもっぱら新潮社と講談社からしか小説を出してゐなかった。『文学賞メッタ斬り!〈2008年版〉たいへんよくできました編』で長嶋優(=ブルボン小林)が、大江は出版社から送られてきたワインなどを丁寧に送りかへすと言ってるのもそれではないか

          大江健三郎追悼をよんでみた

          松尾スズキのおげれつ雑誌「hon-nin」

           地元の図書館が閉鎖した。といふのは改築工事のためであって、今年に入ってから母の茨城の友人をつれて図書館に行ったところ、天井から雫、といふことがあり、しかも三階にはいたるところにバケツ、あるいはビニールで天井を覆って汚ったねえ黄色の水が溜まってゐる、といふことになってゐた。  それで二年後だか三年後だかの開館までわしはあてどもなく図書館求めて徘徊することになるらしいのだが、自転車での徘徊自体は区域全体の図書館巡りを中学生の時に敢行したことがあり、地図を見ながら砧の清掃工場の

          松尾スズキのおげれつ雑誌「hon-nin」

          今さら誰も文学なんて読まないよ

          文学がこの世でもっとも高邁な趣味だと信じてゐる人へ 私はいままで何人か、小説をもっとも崇高な趣味だと思ってゐる人を見たことがある。  ひとりはあるブログでひそかに小説愛を熱辯してゐた。かれは自身の内奥からほとばしる絶え間ない衝動に突き動かされて、多くの小説家とその小説を礼讃してゐた。あふれでる熱意は周囲に共感者を生み出し、あるいはその気のなかった者を読書に踏み出すきっかけをなし、まことに結構なものであったが、ただひとつの巨大な欠点は、かれが小説に関心を持たない者を罵倒し、自分

          今さら誰も文学なんて読まないよ

          荒涼館は名作だけど……岩波文庫の訳が読みづらい

           チャールズ・ディケンズの小説『荒涼館』(Bleak House)は、昨年読了した。大江健三郎や筒井康隆などが口をそろへて名作だと言ってゐて(筒井康隆『読書の極意と掟』講談社文庫)、私も高い期待を寄せてゐた。小谷野敦も名作として挙げてゐる(『「こころ」は本当に名作か』新潮新書)。だから私は地元の本屋で岩波文庫版を買ひ、挑んでやらうと決心した。  しかしはっきり言って難儀、ものすごく読みづらかったのである。これはなんでだらうと思ひ、今度は旧訳のちくま文庫版を読んでみたら、ものす

          荒涼館は名作だけど……岩波文庫の訳が読みづらい

          電子ブックに好意的な大江健三郎

           これを読んで私は思はず笑ってしまった。そのとほりなのだ。管見では、Twitterなどで後藤と小島とを崇拝してゐる文学ファンは、だいたい保坂和志かぶれである。さらにそれらが古本でしか手に入らないことに嘆き(電子版があるのにもかかはらず)、紙の本の品切れや絶版に猛り狂って(電子版があるのにもかかはらず)、世間のためと称して再刊を痛切に願ふ傾向にある(電子版があるのにもかかはらず)。あらゆるところに、HOSAKA、である。  そして、電子書籍に忌避的な文学関係者が多すぎるのだ。

          電子ブックに好意的な大江健三郎

          歴かなで書きたい

          かつて丸谷才一にあこがれた日 最初に歴かなで書きはじめたきっかけは、高校生の頃に読んだ丸谷才一だ。インタヴュー本の『思考のレッスン』や『文学のレッスン』を読んで、筒井康隆が『創作の極意と掟』に書いたやうに、造詣が深くてすごいとあこがれたものだった。それで丸谷が書いた本を読んでみたら歴かなで書いてあり面喰らった(気がする)。しばらくは丸谷のエッセーにぞっこんだった。  そのあとに『完本 日本語のために』を読んで、現代かなづかい批判に初めて触れ、歴史的かなづかひと現代かなづかいの

          歴かなで書きたい

          初代「ふたりはプリキュア」の衝撃

           友人にふたり、プリキュアが好きなオタクがゐるので、トロピカル〜ジュ!プリキュアとデリシャスパーティ♡プリキュアにつづけて、ひろがるスカイ!プリキュアを見てゐる。(ちなみに私は、その3つのなかだとデパプリがおもしろいと思った。)  このまへ、TVerで初代プリキュアの「ふたりはプリキュア」を最初の10話だけ見てみたら、ひえー完成度高いなと思ってしまった。トロプリ、デパプリ、ひろプリよりも、なのだ。  なによりすぐれてゐるのは、自分の言葉でいへば態度のリアリティと人間関係のリア

          初代「ふたりはプリキュア」の衝撃