澱み、澱むまま立て

 右足が痛い。かといってしばらく寝ころがるとなまける。からだの節ぶしが痛くなる。頭も澱んでくる。運動をしないからである。
 きのふは私鉄の沿線を歩いた。気が晴れなかった。都心だから駅と駅との間隔はせまい。上京した人に駅から駅にそぞろ歩くといふと、驚かれる。そこで都会だからとつけ足してやると、納得された。
 私は出不精だから、つい食べすぎてしまふ。胃が脹らんだまま夜の街に出て、線路に沿ったり離れたり、どっちつかずの住宅街の路をゆくと、団地に囲まれた。空地がぽっかりと、青い草を丈の短く生やしてゐて、それを囲んだ鉄網に白い看板がかかってゐた。

団地建設計画

 すると鉄網の途切れた前方に、路を右から自転車で、壮年の女性が漕がずに来た。前の籠に大きなタブレットを乗せて
「すみません。ちょっと道をお伺ひしたいのですけど……」
「申し訳ありませんが、(このへんの住人ではないので)存じ上げません……」
答へて、あ、存じ上げませんとは人物について言ふ敬語だったなと、どうでもいいことに気が向いて、タブレットを覗くと、ゼンリンの詳細な住宅地図が拡大されてゐた。現在地がない。
「団地に伺ひたいんです……」
 一瞬ガスの集金人かとおもったが、機転を利かせて
「自分の携帯で調べませうか」
とポケットから取り出した。女性は小声で、さうか……私も携帯を使へばいいのかと言った。
 しかしよくわからなかった。携帯の現在地とゼンリンの地図をつきあはせてみても、このあたりは入り組んで、似たやうな形状で、地図も片方は色がついて、他方は白くて、よくわからなかった。焦ってゐても仕方ないが見つからずにスマホの指がウロウロしてゐると、奥の暗がりから親子連れがあらはれて、あきらかに自分より適切なのだった。
「ぢゃああのかたがたに聞いてみたほうがよささうですね」
「さうしたほうがいいですね」
「ありがたうございます」
 うなづいて、しばらく新しい先導者たちを見守ってわきに立った。子供は、どこへ行くのかと甲高く尋ねた。
 用のない人間は立ち去る。
 そのまま私は家から八キロ離れた本屋で本を買った。『鬱の本』(点滅社)と『オリンピア』(北烏山編集室)と『商店街のあゆみ』(白泉社)だ。向かうでお金をおろした。最後の本はもういいやっておもってゐたのを、まあいいかとおもって買った。
 私鉄に乗って帰ると、すでに九時をすぎてゐた。あの団地の青草は、夜にしか見ることができない。昼は別の青草になるだらうとおもふ。


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