哲学から仏教へ

ブッダは弟子に、「人は死んだらどうなるのか」と聞かれ、「死んだことがないのでわからない。それよりも目の前の苦しみをどうすれば取り除けるかを考えた方がいい」と答えたらしい。
すなわち、考えてもわからないことを考えるより、考えて役に立つことを考えた方がいいということだ。
俺は最近仏教の本を読んで、この教えを知った。頭をハンマーで殴られて、中身が全部出たんじゃないかと思った。

たとえば料理をする時、どれくらい塩を入れたらちょうどいいかな?と考えるけど、なぜ塩を入れたらしょっぱくなるのかは考えない。なぜ塩を入れたらしょっぱくなるのかを知らなくても、料理はできる。当たり前やんか!

俺はず~っと「生きる意味とは何か」を考えてきた。それはなぜか?俺は哲学の本をたくさん読んできた。特に、哲学者の中島義道さんの本をたくさん読んできた。中島さんはこのようなことを本に書いていたと思う。
「生きる意味を考えてもわからない。しかし、死ぬまで生きる意味を考え続けることが自分の使命である」
俺もなぜかその通りだと思った。しかし、なぜその通りだと思ったのかが考えてもわからない。

「生きる意味を考える」
「生きる意味を考えない」

という選択肢があって、「生きる意味を考える」を選ぶんじゃない。

俺は最近仏教の本を読むまで、「生きる意味を考えない」という選択肢があることにすら、気が付かなかった。
生きていると、苦しいことがたくさんある。日々その原因を考え、原因を取り除き、苦しみを乗り越えて行けばいいと思う。
一つ波を乗り越えれば次の波が来て、それを乗り越えればまた次の波が来て…というのを繰り返しているうちに気が付けば年を取る。それが人生だと思う。
生きる意味なんて考えてどうすんの?ホラ!次の波がもうそばまで迫って来ているよ!!
生きる意味なんて考えているヒマがあったら、次の波への対処をしろよお前!目を覚ませよ!!

最近仏教の本を読んで、今までずっと寝てて、今日起きた感じがしたんだ。
ブッダさんありがとう!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?