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一万年ぶりくらいに短歌の新作を発表させていただいた話

ほんとうに、気が遠くなるくらい、短歌の世界から離れたまま、日々は過ぎておりました。

詩人の田中庸介さんからご連絡をいただいたのがわたしの誕生日でもある9月16日。「もしよければひさしぶりに読んでみたい」と、WEB詩誌「詩客」への寄稿のお話を持ちかけていただきました。もうわたしが短歌を書いていたことさえ知らない人がほとんどだと思う流れの中で、こうして忘れずにいてくださることが無上にありがたく。

締切までは約2ヶ月。いざ書こうとすると、やっぱり短歌の筋力が衰えていることを自覚せざるを得ません。衰えどころか、どうやってその筋肉を動かしていたかさえ忘れてしまっている体感でした。

サッカーの仕事では、自分に焦点を当てることは皆無です。それはある意味において誤解を恐れずに言えば、「だいぶ楽して生きてる」とも言える。もちろんサッカーの原稿も全力で書いていますが、自我と向きあう必要がないという点では、そういうエネルギーは消耗しないので。

わたしと短歌との関わりについては、こちらの記事を御覧いただければと思います。

短歌の表舞台を離れてからも、送っていただいた歌誌・歌集などは出来るだけきちんと読むようにしていましたが、やはり歌会や批評会、シンポジウムなどで交わされる闊達なやりとりの刺激なくしては、知らず知らずのうちに表現方法へのアグレッシブさが損なわれていくものです。いま歌壇の先端がどういう流れになっているのかも、まったくわかりません。

ただ、そういう場所を離れてみて、しかも結構な長い期間離れてみて、あらためて書こうとしたときに、筋肉の動かしかたを忘れていたからこそ、その方法により注意深く意識を向けることが出来るような気もしました。

かつてどうやって書いていたかを思い出しながら、自己模倣には陥らないように注意深く言葉を組み立ててみる。ある程度、構文にそってみることを繰り返し、その感覚を思い出しはじめてから、それを逸脱してみたり。

そんなふうにして書きあげたものが、二十首からなる連作「揺れる水」になりました。こちらで御覧いただけます。

WEB詩誌「詩客」は、森川雅美さんが代表を務める「詩歌梁山泊〜三詩型交流企画」が企画・運営するコンテンツです。サイトの冒頭にはこう書いてあります。

三詩型の作品や評論を掲載し、それぞれの詩型の特徴や相違点を考え、時には融合するなどし、これからの表現の可能性を探ります。それは戦後の詩歌の時間を問いなおす試みでもあります。

寄せられているのは、さまざまなキャリアの、そうそうたる面々。表現者として骨太なひとたちの濃密なお仕事を、こちらで見ることが出来ます。過去に各所で御一緒していただいた方々のお名前も多く。

そしてわたしの作品を掲載していただいた12月5日号には、わたしを短歌の世界に引き入れてくださり、わたしが永遠の師匠と呼ぶ荻原裕幸さんの連作も掲載されています。目次を見たら荻原さんと穂村弘さんの間に挟まれていて、ひぐらしひなつ、超谷間感。どきどきするー。

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記念にスクショ撮ってやりました(笑)。

山本夏子さんの「インディアンえくぼ」も、すごく抜けのいい、それでいて質量の感じられる連作でした。どの詩型の作品や評論も、そしてトライアスロンも、あわせて是非御覧いただきたく。

荻原さんは今年、第6歌集『リリカル・アンドロイド』を上梓。2001年に刊行された第5歌集『デジタル・ビスケット』以来、どれだけ待ちかねたことか。

「やっぱりおぎーの歌好きだ…」と思いつつ繰り返し読んで、ときどき出張にも連れていく。先日の名古屋戦のときにも。

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ちゃんと感想書きたいなあと思いつつ、日々に追われて遅くなり。でもたくさん付箋を貼ってあるので、そろそろ、どこかのタイミングで。

結社に属していないわたしにとって、“師匠”と呼ぶ歌人の作品をしっかりと読み砕くことは、自身のルーツを確かめることでもあるのです。

…と、ここまで書きかけてJリーグのクライマックスの仕事に追われ下書き状態で放置しておりました。あらためて記事公開します。

シーズンオフのあいだに贈呈いただいた歌集など読み込めればいいなあと思いつつ、今季のオフは例年より短いので、また時間に追われてしまいそうです…。

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