不倫・浮気の問題は、別の人に目を向けることではない
最近、少しだけ哲学に関する本を読んでいて、「ああ、確かに」と思ったことがあったのでシェアしたいと思う。
読んだ本はこちら、『100の思考実験』。
有名な「トロッコ問題」をはじめ、何を持って同じ船だとするのかを問う「テセウスの船」、コンピュータに政治ができるのかを問う「自動政府」、動物の尊厳について問われる「わたしを食べてとブタに言われたら」など、100の思考実験が収録されている本著。
その中で私が「ああ、確かに」と思ったのは、不倫はなぜいけないのか? を問う「仮想浮気サービス」を読んだときだった。
問いはこんな感じ。
もし、ほんとうにこんなサービスがあって、自分のパートナーが使っていたら私はなんと言うのだろう……。
これは不倫? でも、糾弾するような相手は、現実にはいない。いるけど、いない。ん? これって不倫なのか? と私は悶々としてしまった。世界には一夫多妻制の国もあれば、以前何かのドラマで見たけどポリアモリーという考え方もある。
この問題、けっこうムズイ。
しかし、この問題の解説で、こんなことが書かれていた。
つまり、Aは妻との問題をどうにかしようとせず、すでに妻を性的対象として見ることを辞めている。人との浮気であれ、仮想の浮気であれ、それは目をそらす1つの手段でしかない。
それを読んで私は50回ほどブン頷いて、「確かに」を100回ぐらい連発した。
それと同時に、もしかしたら私も、「目をそらす」ことで誰かを傷つけてしまっていたかもしれないと思って怖くなった。それもAのように、私が無意識のうちに目を向けてしまったことで。自分意思で、たとえば「こっちのほうが良さそうだから」「今はこの気分だから」という気持ちで選んだ裏には、何かから目をそらした、という事実が隠れているのかもしれないと思ってゾッとした。
そのとき、かつて読んだ本の一文がリフレインした。
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