「指先で送る君へのメッセージ」。YUIの歌は、今も変わらない

私が初めて恋愛小説でハマった作家さん、石田衣良さんの「親指の恋人」を読み終わった。透明で甘く、なんともあっけない恋愛小説だった。残酷なまでに、2人は儚かった。


この物語は、六本木ヒルズで何不自由なく暮らす大学生のスミオと、横浜の外れにある公営住宅で暮らし、派遣社員として薄給で働くジュリアのラブストーリーだ。一見するとまったく接点がない2人は、出会い系サイトをきっかけに知り合い、たった数時間ですら離れがたくなるほどの恋に落ちる。

物語の結末は小説の冒頭に記され、なぜその結末を迎えてしまったかを出会いから時を戻して、物語は進む。

スミオ、ジュリアという名前に気がつく人も多いかもしれないけれど、これは現代版ロミオとジュリエットなのだ。


金銭的な格差、家庭的な格差、暮らしの格差、両親の格差、学歴の格差、キャリアの格差……2人の間には、2人にはどうにもならない外的な格差が小説の節々に出てくる。

例えば、スミオは簡単にタクシーを使ったり、高価格帯の外食レストランを選択したりする。一方でジュリアは、手数料を気にして口座を開設している銀行のATMでしかお金を下さず、工場の派遣と出会い系のサクラのバイトをして生活費を稼いでいる。

弱冠二十歳、やり取りするメールや電話はとても瑞々しく若さに溢れているのに、2人が生きる現実はどこまでも現実で、不平等で、理不尽で、とてつもなく非情なのだ。

出版年から考えるとガラパゴス携帯が主流の、いわゆる平成全盛期のときの小説だ。メールを受信したとき、好きな人専用の音楽が鳴りライトが点滅する。生活費のために働き詰めで時間のないジュリアとは対照的に、大学生の夏休みで時間を持て余しているスミオは、彼女からのメールを知らせるライトの点滅を今か今かと待ちわびている。

メールを待つスミオの描写はあまりにも中学生の私で、メールの欲しさにセンターに問い合わせたことを思い出させた。そして「受信メールは0件です」の文字に、この世の終わりを見た。「Re:」の数が2人の関係値を厚くして、返信を送るときには何十分だって悩んだ。疑問形がいいのか、何気ない感じがいいのか、相槌でいいのか。それが、恋愛だと思っていた。


と、懐かしみながら読んでいたけれど、メッセージのやり取りや返信に悩むのは、別に平成に限ったことではないよなと思う。

好きな人専用の音楽やライトの点滅、「Re:」はなくなってしまったけれど、今だってやり取りの数、時には吹き出しの数が2人の関係を厚くする。それに今の私だって、気になる人と連絡するときには返信に悩む。「これ、重くないか……?」「いきなり突っ込んだら変だよな……」「いや、でも」そんなふうに悩んで、「いけーー!」の気持ちを込めて、紙ヒコーキマークをタップする。送信ボタンを押していたときの気持ちとそれほど変わらない。

「指先で送る君へのメッセージ」。YUIの歌は、今も変わらない。

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