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『なりたい自分を諦めなくても良い』小さな切っ掛けがくれた大きな変化の話。

皆様こんにちは PICOです。

学生時代、毎日の様に『キモイ』『デブ』『ブサイク』…と、そんな言葉を言われ続け、その言葉は何十年経った今でも呪いの様に私の心に残り続け、その言葉を拭い去る事も出来ぬまま、自信を失ったままそれを誤魔化すように生きてきました。

傷付けられたくないから人と距離を取り、他人への攻撃性を強め。
自分へ声を掛けてくるすべての人は「敵」であり、皆私を馬鹿にしてくる者であると信じ込み、差し伸べられる手もすべて嘘偽りだと振り払ってきた。

そうやって何十年も生きてきて、他人を誰も信じず、自分自身も信じられないまま、それでも介護・看護と言う仕事に就いたのは、どこかで人の優しさや人を信じたかったのかもしれないと今になって思う。

そんな私に転機が訪れたのは、去年の話だった。

私は『キモイ』『デブ』『ブサイク』と言われ続けた結果、自分の顔が大嫌いになり、何十年もの間、意識的に鏡を見ない生活をしていた。

『ブサイクなんだから何をやってもどうせ無駄』
『キモイやつが必死になってもみっともないだけ』
『デブがお洒落しても醜いだけ』

呪いの様に染みついた言葉は、いずれそれが当たり前かの様に私の心の中に住み付き、私は私自身に全く価値を感じず、自分自身に全く興味を持っていなかった事にすら気付きもしなかったのだ。

今回はそんな私が少しだけ前に進む切っ掛けになった言葉であり
自分を好きになる切っ掛けになった事を記事にしてみましたので
宜しければ読んで頂ければ幸いです。
私と同じように容姿で悩んだ事がある人、何かに躓いて何年も歩き出せない人のちょっとした切っ掛けになればいいな…と思います。



◆『自分の顔は自分より人が見る』と言う事。

女性友達と何てことの無い話をしていた時に、不意に【容姿】の話になった際、私は自分を卑下するつもりもなく、自然と当り前の様に『私は不細工だから、自分の容姿には興味が無い』と言う話をしたのだが、それに対して彼女から返ってきた言葉は意外な言葉だった。

『自分の容姿って自分で見るには鏡を見るしかないけれど、貴方と一緒に居る人は貴方の顔を一番近くで見る事になるんだよ。』
『自分の顔は自分よりも人が見る時間の方がずっと長いんだよ。』

…そう言われて、私はハッとしたと同時に嫌な汗が出た。

彼女は言葉を続ける。

『自分の容姿が不細工だからと諦めて、自分の容姿に気を使わないのは個人の自由だし構わないと思う。けれど、その容姿に気を使わない人と一緒に出掛ける私や他の人達はそんな貴方の顔や容姿を貴方よりも長く見なきゃいけない訳でね、正直私は少しでも気を使ってくれた方が嬉しいかな。』
『PICOさんだって美人とか可愛いとかは抜きにして、小綺麗にしてる女の子と一緒にお出掛けするのと、小汚い女の子と出掛けるの、どっちが良い?って言われたら少しでも綺麗な方が良いじゃない?』

…彼女はそう言って笑った。

私は大嫌いな自分の顔を、もう何年も直視していない。
けれど、私の事を好きでいてくれて、一緒に出掛けたり遊んでくれている
友人達はそんな私の顔を長年見続けている事。

私は私の事を何とも思っていない私の事を嫌いな人達の言葉ばかりに囚われて、自分の事を心配したり、気遣ってくれたり、好きでいてくれる人達に対して『自分はこのままで良いのだ』と…長年言い続けていたのだと気付いた時、私は私自身がとても恥ずかしく思ったのだ。


◆自分と向き合う時間。


その日の夜、久し振りに鏡の前に立た。
あまりにも酷い顔の肌荒れを長年放置し続けた私の顔は、
もはや見るも無残な程に汚れ、傷だらけで、血だらけになっていた。
正確には何年も前から気付いてはいたが、不細工な自分にはどうでもいい事だと見て見ぬ振りをし続けた結果がコレなのだと思った。

そんな自分の顔を眺めながら、昼間の彼女の言葉を思い出す。

自分の為ではなくとも、自分に自信は持てずとも。
自分を好きでいてくれる人達の為に、少しでも私は私の見た目に
気を使うべきなのではないのかと…そう思った。

しかし、あまりにも酷い有様の自分の顔面をしばらく見つめるも
「スキンケア」など私はこれまでの人生でただの一度もやったことが無い
ので、正直自分にはどうすればいいのか分からない。

今更恥ずかしいだとか、みっともないだとか言っている場合ではない。
そう思い、私はお洒落に詳しそうな女性友達へ連絡を入れた。

『スキンケアを教えて欲しい』

正直、恥ずかしかった。情けなかった。
けれど、今変わらなければ私はずっと変わらないままだと思い
勇気を出して声を掛けてみた。

すると、あまりにもあっさりと
『いいよ! 今度買い物行こう!』と返事をくれた。

後にその子から『声を掛けてくれて凄く嬉しかった』と言われ
涙が出たのはまた別の話である。

◆無知な私の肌改善とスキンケア

肌の汚れを落とす「洗顔」
肌に潤いを与える「化粧水」
潤いを閉じ込めるための「乳液」そして「保湿」

おそらく更に細かく書けばまだまだ色々なモノがあるのだろうが、
最低限その程度の知識は必要である事を覚えた私だが、知識ゼロの私には
それらすべてをすぐに理解するのはあまりにも難易度が高かった。

しかし、そんな私にこそオススメの商品があると提案されたのが
『オールインワン』と言う製品で、簡単に言えば「化粧水・乳液・保湿」が
その商品1つで補えるという初心者向けの理想のアイテムだった。

取り敢えず「洗顔」と「オールインワン」を購入してみる事に。
慣れない手付きで「洗顔フォーム」を手に出し、石鹸の様に擦り顔に塗りたくり洗い流し、今度はオールインワンジェルを顔に塗る。

『ブサイクがそんな事をしても無駄』
『時間と金の無駄だからやめろ』
『お前の顔なんて誰も見ちゃいない』

…頭に響き渡るの声を必死に振り払い、聞こえない振りをして
『私はきっと変われるんだ』…と、その日からスキンケアを始めた。

1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月…。
少しずつ肌の調子が良くなっていくのが分かった。

血だらけだった肌は少しずつ改善され、
カサカサで粉が吹いている様な砂漠のような肌も潤っていくのが分かった。

そんなある日の事…
鏡を見るのが少しずつ嫌ではなくなっていく自分に気付いた時
私はほんの少しだけ自分の事を好きになれた気がしたのだ。

◆「継続は力なり」新しい事への挑戦。

半年ほどスキンケアを続け、随分肌の調子も良くなってくると
不思議なものでこれまで一切興味が無かったスキンケア用品に興味が出てきて「オールインワン」ではなく、それぞれ別の製品を購入して
使ってみたいと思う様になった。

「洗顔」「化粧水」「乳液」「保湿」更に、洗顔には「専用ネット」なるものがあり、その方が肌への負担が少なかったりするなど…
友人から更に様々な知識を貰い購入してみたりYouTubeなどで美容系のチャンネルも検索してみたりもし始める様になった。

会う度に『肌綺麗になってきたね』と言われるのが嬉しかった。

『キモイ』『デブ』『ブサイク』…そんな言葉を言われ続けたのは、
もう20年以上前の話で、もうそんな言葉を言ってくる人は居ない。
そんな当たり前の事に気付くのに20年も使ってしまった。
過ぎた時間は戻らないけれど、私はここから変われるのだと。
『なりたい自分』を馬鹿にしていたのは他でもない、自分自身だったのだと
言う事に、気付けたのは幸運だったと思う。

スキンケアを始めて丁度1年が過ぎる頃には驚くほど肌が綺麗になり
それと同時に今度は自分自身の「体型」や「顔」「髪」などにも興味が出てきたのだ。

お世辞にもイケメンの要素など皆無の顔。
どう考えてもブサイクよりの顔面。
お世辞にもスタイルが良いとは言えない残念な体型。

それらをどうする事も出来ない事は重々承知だが、それでも約1年間継続して綺麗になった肌が自分自身に大きな自信を与えてくれたのだ。

『もしかしたら少し良くなるかもしれない…』

微かな希望かもしれないけれど、やってみる価値はある。
『なりたい自分を諦めなくても良い』のだと自分に言い聞かせ
ここ数ヶ月【顔痩せマッサージ】や【頭皮マッサージ】に加えて
最近は【体幹ストレッチ】なる物を、毎日数十分程度だがやり始めた。

…毎日寝る前に20~30分程度のマッサージやストレッチ。
その程度で効果が出る訳はないと思っていたのだが、コレが思いのほか
しっかりと効果があり、2~3ヶ月で顔は随分シュッとして細くなり、
お腹のお肉も目に見えて減っているのだ…。

もし1年前のあの日、女性友達の一言で何も行動を起こさなければ
今の私は居なかったのだ。

切っ掛けは自分の為ではなく、一緒に居てくれる人の為だった。
けれど、結果としてそれは自分の為になり、あの頃とは比べ物にならない
ほど自分自身とちゃんと向き合えている自分が居るのは私と一緒に居てくれる沢山の友人たちのおかげである。

先日、私にスキンケアを教えてくれた女性と会った際
『お肌凄い綺麗になったし、顔も小さくなったし、全部自分の努力の成果だね!皆ちゃんと頑張ってるの見てるし、応援してる!』と言われて、心底私は幸せ者なのだと言う事を実感した。

『キモイ』『デブ』『ブサイク』…呪いの様に染みついた言葉は今でも
頻繁に表れては私に声を掛けてくる。

それでも、私は私を嫌いな人の言葉よりも
私は私を好きでいてくれる人の言葉を信じたいと今では思う。

「スキンケア」なんて誰でも当たり前にしてる事かもしれない。
当たり前の事を今までしてこなかったなんて信じられない。
そんな年齢になるまでスキンケアもしないで、今更始めてドヤ顔キメて
何だお前は気持ち悪い、恥ずかしい、みっともない。

…そう言う声もあるかもしれない。
いや、多いと思う。

今更かもしれない、気持ち悪いかもしれない、情けないかもしれないし
恥ずかしいし、みっともないかもしれない…。

それでも、私は『なりたい自分を諦めなくてもいい』事に気付けたのだ。
『変わりたい』と思ってもいい事に気付けたのだ。
そして、それを応援してくれる人がいて、喜んでくれる人がいて、
一緒に笑ってくれる人が私には居る事にちゃんと気付けた事。

それは私のこれからの人生に絶対にプラスになる事は間違いないのだ。

◆最後に…。

『なりたい自分』なんて明確なモノが無くてもいい。
小さな切っ掛けで『やってみたい』と思えた事に対して「理由」や「意味」を求めなくてもいい。

『やってみたい』と思った事はやってみたらいい。
『見たいと』と思った景色は見に行ってみたらいい。
『食べたい』と思った物は食べに行ってみたらいい。

思った事、感じたことに理由や意味を探して、それがなければ行動に起こせないという人生を送ってきた私だからこそ、同じような理由で立ち止まっている人へ、この記事を読んで何かが届けばいいなと思う。

あの日の私へ切っ掛けとチャンスをくれた人。
それを応援し続けてくれた人。
一番近くでずっと支えてくれていた人。

自分は沢山の人達に愛されていると言う事。
私は一人なんかじゃなかった事。

自分の為に頑張れない人は誰かの為に頑張ってみたらいい。
それは必ずいつか自分の為にもなって返ってくる。

自分が大好きな人達の笑顔の為に頑張れる貴方は素敵だと思う。
「転んで」「泣いて」「笑って」「悩んで」「起きて」
また一歩ずつ歩き出すのも全部が自分だから。

「頑張ろう」と思う自分を否定しないで。
「やってみよう」と思う自分を否定しないで。
「思う」事は肯定してあげて欲しいと思う。

今はまだ自分を好きになれないあなたへ。
昨日の貴方より、今日の貴方が好きになれますように。


それでは…また次回の記事でお会いしましょう。





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