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#9. 日常 【虹の彼方に】

 入籍、結婚式を経て、ボク達は「家族」になった。

結婚したことによって、ボクが他の人に妻の事を話したり紹介したりするときに、「うちの嫁が」とか「うちの嫁はんが」という言葉を絶対に使わないでほしいと最初にお願いされた。

なのでボクは「うちの妻が」とか「うちの奥さんが」という風な言い方をしていた。

それは今も変わらず守っている。

どうしても「嫁」という言葉に良い印象持てないというのが理由だったようだ。

確かに「嫁」より「妻」の方が品があってボクも好きだ。

まぁ、その割には妻がボクの事を誰かに紹介するときは「これうちの旦那です」っと、かなり軽いノリで言っていたような気もする。

ボクの心の中では「旦那」は、もしかして「嫁」と同義語では?

っと、思ったりもしたが、あまり深く気にはしなかった。


 妻はよく、彼女なりの「新説『徳積みの話』」をボクにしてくれた。

彼女の概念では、人生というのはポイント制なのだという。

神様がちゃんと「良い行い」と「悪い行い」を見張っていて、それぞれにポイントがあるのだ。

わかりやすく例えるなら・・・・

ワンキチの散歩をしていて、ワンキチがウンチをしたとする。

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ビニール袋でウンチを回収する。

これは当たり前のことなので0ポイント。

そこに他の犬のウンチも落ちていたから、ついでに取ってあげたとする。

すると神様は「うーん、よし!2ポイント獲得!」とジャッジしてくれるという。

逆にワンキチのウンチをビニール袋で回収せずにそのまま放置したとする。

すると神様は「はい、今のはマイナス4ポイント!」

といった具合に、人生はプラスとマイナスで構成され、最終的にプラスの人は天国へ、逆にマイナスの人は地獄へ、そういうわかりやすいシステムになっているのだという。

この説の面白いところは、ちゃんと逆転の可能性があるということだ。

彼女がいつもボクに言ってくれていた、

「人生はいつでも、何歳からでもやり直しができるのよ。」

まさにこれだ。

悪い事をしたから「はい、地獄行きー!」では、やり直しのチャンスが無くなってしまう。

神様はちゃんと挽回のチャンスを、いつも与えてくれているのだ。

こんな世の中だ、人間誰でも「業」のようなモノを背負って生きているのだから、せめて目についた自分ができる範囲の「善行」くらいはやって、少しでもポイントをプラスにしようよ。

妻はそんな風に、時に面白おかしく、彼女なりの「徳積みの話」をボクに説いてくれていた。

誰かに「親切にする」ことであったり、「良い行い」をするという気持ちに、本来は「損得」が絡むべきではないのかも知れないけれど、きっかけとしてこういう話は明快で面白いし、彼女と出逢ってこういう話を聞くことで、少なくともボクはこれまでの自身の行動と比べて、日頃の行いに変化が現れたのは事実である。


 よく路上で「ビッグイシュー」という雑誌を販売されている方が立っているのをご存知だろうか?

ボクは彼女に出逢うまで、そういう存在があるのを全く知らなかった。

「ビッグイシュー」というのは簡単に説明すると、ホームレス状態にあったり生活が困窮している人が、「ビッグイシュー」という雑誌を路上で販売することで彼らの自立の応援をする事業のことだ。

チャリティーや寄付とは違って、販売した雑誌の売上げのいくらかが販売者に入ることで収入となり、自立への足がかりになるというシステムになっている。

彼女はそんな「ビッグイシュー」の販売者さんがいたら、必ず雑誌を購入していた。

販売員さんと一緒に写真を撮ってはSNSにアップして、その存在を自然とアピールしていたように、今となっては思う。

常連になって仲良しの販売員さんも何人かいたようだ。

何も知らなかったボクは「どうして買うの?」と理由を聞いたことがある。

彼女の答えはいたってシンプルなものだった。

「私は自営業だし、これまでそれなりに地獄も見てきたつもり。だから自分がいつホームレスになってもおかしくないと思っているの。寝て起きたら返せないくらいの借金を抱えていることだってあるんだから・・・。もちろんそうならないための努力はするけどね。でもいつどうなるかなんて誰にもわからないでしょ。いつだって明日は我が身なの。だから私が買える間は買って協力してあげるの。だってもし自分がその立場になったとき、絶対に誰かに買ってもらいたいもん。」

彼女のこういうところを、ボクはとても尊敬できたしたくさん影響を受けた。

それ以来、販売員さんが立っていれば、ボクも「ビッグイシュー」を買っている。


 ずっと都会暮らしだった妻は、いつだって自然を欲していた。

「都会は空が狭い。」

「都会の空気は息苦しい。」

だからボク達は少しでも緑のある場所に好んで出掛けていた。

その自然を欲することを彼女は「緑貯金」と呼んでいた。

週末にボクと一緒に都会の喧騒を忘れて自然に触れることで、また一週間頑張れるのだという。

気持ちのリセットができるのだと言っていた。


車や電車で、心の赴くままに自然溢れるところによく遠出した。

海や川、森林など、本当にいろんなところに行った。

そういうところへ行くと彼女は決まって、

「ここに住みたーい!」

と、言っては何時間もその場から離れようとしなかった。

自然の中でボーッとしていると、急に仕事の良い案が浮かんだり、考えもつかなかった閃きがあったりするのだとか・・・

そうやって自然の中でボーッとしている彼女の隣にいる時間が、ボクは大好きだった。

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予定があったりしてあまり時間のないときは、よく公園に散歩しに行ったりもした。

そんなある日曜日の昼下がり、ボク達はいつものように公園に出掛けていた。

その公園の近くには大きめのショッピングモールがあって、たまたまその日は公園の帰りに寄って買物をしていた。

人集りが出来ていたので何かとのぞいてみたら、大道芸人がこれから大技を披露するというシーンだった。

ボク達も足を止め、何が始まるのかとしばらく様子をうかがっていた。

直径30cmくらいで、長さが50cmくらいの塩ビパイプを転がした上に板を置いて、また塩ビパイプを置き、その上にまた板を置いて・・・と、都合四段重ねの不安定な塩ビパイプと板の上で立ち上がるという。

かなりのバランス感覚だ。

大道芸人は準備をしながら、インカムのマイク越しに真剣に語っていた。

「ボクはこの練習をずっとしてきました。雨の日も風の日も、家の近所の公園にある藤棚を支えにしながら、毎日毎日この練習してきました。何度も何度も失敗しては練習しました。『公園に不審者がいる』と非難されたり、通報されたりもしました。それでも自分を信じて練習を続けました。四段はとても難易度がとても高いんです。でもこれが出来たら、自分の中で何かが変れるはずだと信じて、ずっと練習をしてきました。そして今、ようやくたくさんの人の前で披露できる日がやってきました!自分のやってきたことは無駄じゃなかったと、今から証明してみせます!どうか立ち上がることができたら、大きな拍手をお願いします!」

大道芸人のその言葉に、妻は目に涙を浮かべて「頑張れー!」と何度も大きな声で声援を送った。

ボク達の周囲にいた人達は、そんな彼女に少し驚いた様子だった。

彼女はきっと「誰に何を言われても自分を信じて練習をしてきた。」という大道芸人の努力の背景を自分の過去と照らし合わせ、とても強いシンパシーを感じたのだろうなとボクは思った。

観客のほとんどの人はただ見てるだけで、彼女のように涙を浮かべてるほどの人はいなかった。

周囲の目なんか気にせず、大きな声で「頑張れー!」と言えるところがとても彼女らしいなと思ったし、さすがボクの惚れた自慢の奥さんだなと思って、とても誇らしく感じた。

しばらくの静寂の後、大道芸人は見事立ち上がることに成功した。

大成功に拍手喝采が鳴り止まなかった。

大道芸人の前には、お金を入れるためのハットが逆さまに置いてあって、ボクも妻もそこに何枚かのお札を入れた。

人の熱い気持ちというのは伝わるものだし、伝染するものだと思う。

この大道芸人のスピーチはとても熱い想いが込められていて、ボク達はそれを強く感じた。

帰り道、妻は「今日はええもん見せてもろたー!私ももっと気持ち込めて頑張るからね!」

彼女は涙を浮かべた笑顔でそう言った。

ボクはそんな彼女にまたまた惚れ直していた。


 そういえば一緒に生活していて、いや、出逢ってからボク達はほとんど喧嘩をした記憶がない。

たまに意見の相違があったとしても、お互いの意見をちゃんと聞いて話し合い、その時々の都合の良い方の意見を採用しようと決めていたから、特に激しく感情的になるようなことはなかった。

世間一般的に話題になりがちな、

「男だから女だから論争」

「夫だから妻だから論争」

「家事をどちらがやるのか、家事をどちらがやったのか論争」

このような不毛な論争は、ボク達にはほぼ皆無だった。

どちらも家事が嫌いではなかったし、手が空いた方、気が付いた方がやろうね、というスタイルだった。

妻は毎日ボクにお弁当を作ってくれていたので、週末はボクが手料理を振舞ったり洗物したりして、いい意味でバランスの取れた夫婦生活を送れていたと思っている。

活動する生活の時間帯が少しだけズレているのも、喧嘩になりにくい要因の一つだったのかも知れない。

本当に毎日が平穏で幸せだった。

あんなに「クズ人間」だった自分が、今こんなに幸せで、こんなに穏やかな暮らしをしていいのか?

と疑いたくなるほどに・・・


 妻はボクと出逢う随分と前からフラダンスを習っていた。

本格的なチーム(ハラウ)に所属していた。

そして家やサロンでよく練習をしていた。

ハワイアンのフェスやイベントで踊る事があれば、よく一緒に会場に行ってボクが動画や写真を撮ったりした。

他にも、親友のジャズシンガーさんがヴォーカルレッスンを始めたといえば真っ先に習いにいったり、

キックボクシングを習っていたり、

ホットヨガに行ったり、

仕事のお客さんがやっているイベントがあれば率先して参加したり、

お店をやられてるお客さんがいれば、逆にお客さんとして顔を出してお邪魔をしに行ったり・・・

彼女はそれらを笑顔で心から楽しんでいて、本当に好奇心旺盛で多趣味でアクティブな人だった。

そして彼女はいつも行った先々で、人と人を繋ぐような役割を自然とこなしていたように思う。

まぁ、多少の強引さが目立つ時もあるれけど・・・

彼女がボクと出逢ってからは、ボクも一緒にいろんなイベントやお店にお邪魔しては、たくさんの人達を紹介していただいた。

例えばそれが『女子会』だろうが・・・

例えばそれが『経営者だけの集まり』だろうが・・・

彼女はお構いなしに、『男性でただの雇われサラリーマン』のボクをお構い無しに連れて回っては、

「あ、この人はジョニーさん!」

っと、

通り名だけ勝手に紹介して、そのままその場で放置されるような事も度々あったかな・・・?

正直、どうしていいかわからないシーンもたくさんあったし、相手さんもきっと・・・

(ジョニーて誰やねん!どの面さげてジョニーって名乗っとんねん!)

と、多数の方が思われたことだろう。

まぁボクの第一印象はともかく・・・

そのおかげで、今現在もボクと繋がってくださっている方々もたくさんおられる。

そしてそういう方達に、ボクは今も助けられ、支えられているのもまた事実だ。

こうしてたくさんの人々に会わせていただいて、ボクも様々な影響を受けたり、たくさんの感銘を受けて、視野もかなり広くなったのは、妻がボクと出逢ってくれたからこそだと思う。

本当に今現在も繋がってくださる皆さまには、心から感謝している。


 結婚披露パーティーを終え、年が明けて世間では新型コロナウイルスの話題が出始めた。

令和2年の2月末、店頭からアルコール消毒液やマスクが急に無くなり始めた頃だった。

ボク達は奄美大島にいた。

奄美大島はお互い初めてで、事前に奄美大島出身の彼女の友達に情報を聞いたり、現地の知り合いを紹介していただいたりしては、いろんなところを回った。

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入籍してすぐにボク達は子供が欲しくて、「妊活」を実践していたが、すぐに子供はできなかった。

病院で調べると、子供を産むということに関して彼女の身体には特に問題はないのだが、加齢のせいかボクの精子の量が少なめで、元気もあまり無いとのことだった。

いろんな病院に行ったり、処方された高額なサプリを飲んだり、ボクも妊活に力を入れていた。

 奄美大島の最北端に「夢をかなえるカメさん」というのがあって、そこで子供を授かれるように二人でお祈りをした。

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そしてこれが結果的に、二人で行く最後の旅行となってしまった・・・


 「どうしてもジョニーさんの子供を産みたい。」

それが彼女の次の夢だった。

ようやく「結婚」をして「家族」になったボク達だったが、どうしても新たな「家族」として「子供」を授かりたかったので「妊活」に関してはとても焦っていた。

ほとんど人前で涙を見せない彼女だったが、毎月生理が来るたびに落ち込んでは涙を流して泣いた。

ボクは本当に申し訳ない気持ちがいっぱいで、いつも彼女を抱きしめながら一生懸命に慰めた。

年齢的にもリミットは迫っていて、ボク達夫婦は必死だった。

「ジョニーさんは絶対にいいお父さんになる人だから、立派な父親にしてあげたいの。」

それが彼女の口癖だった。

人工授精や体外受精などの検討もしはじめた頃だった。

新型コロナウイルスの影響で、ボクの仕事も自宅待機の日が増えてくるようになった。

そしてその頃の妻は、夜になると謎の高熱が出て、お腹が張って痛くなるといった日が続いていた。

どうにも体調が優れないようだが、元々病院が嫌いな上に「病は気から」と、仕事を休むようなことは絶対にしない人なので、深夜に帰ってきた彼女に頼まれて、ボクはよく彼女のお腹をさすってあげていた。

それまで良いバランスで生活していたのだが、ボクが自宅待機で家にいる時間が長くなった分、無意識に彼女にストレスを与えてしまっていたようで、やがて彼女は帯状疱疹を発症してしまった。

ボクはボクで、彼女に負担をかけたくない一心で、本業が自宅待機の日は朝からUber Eatsをしたりしていたが、新型コロナウイルスの影響がモロに出だし、配達員の数が激増したせいで、Uber Eatsではほとんど稼げなくなってしまっていた。

妻を襲う帯状疱疹は激痛で、彼女が言うには・・・

「身体の内側から4秒に一回、刀で刺されてるような痛さ。」

・・・らしい。

想像を絶する激痛だ。

痛みに強い彼女が、さすがに苦悶の表情を浮かべていた。

「私は痛みに強いからなんとか耐えてるけど、ジョニーさんやったらたぶんこの痛みは死ぬで・・・」

そう言ってボクの手を強く握って耐えていた。

申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、ボクにはどうすることもできなかった。

とにかく帯状疱疹の症状をどうにかしてあげたくて、ペインクリニックに送迎したりしていた。


 そんな状況下の中なのだが、ありがたいことにボクは同業他社から声をかけてもらっていた。

元々同じ会社に所属していた一つ年下の先輩が、声をかけてくださったその会社に既に移籍していた。

その彼がボクのこれまでの仕事ぶりから、

「あなたなら安心して紹介できるから、こちらの会社に移籍しませんか?」

と、誘ってもらっていたのだ。

かなり好待遇ということもあって、これからの妻との生活をよりよく過ごすため、ボクは再び転職する方向で水面下で動きだしていた。

面接やテスト、そして健康診断を経て、有難いことにすぐに内定をいただくことができた。

そして所属していた会社をどうにか円満に退職するタイミングを探っていたのだが・・・

同じ頃、妻の体調は日に日に悪くなっていく一方だった・・・





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