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余命宣告を受けた時、どう向き合うのか?

小林麻央さんの乳癌のニュースに驚いた。旦那の市川海老蔵さんの記者会見も痛々しかった。どうかそっとしておいてほしいと思います。


家族が癌になるということ。それがどういうことか。それは、なった人にしかわからない気持ちだと思う。


僕の父は肺癌で亡くなりました。僕が35歳の時。

正月に帰省した際に、「肺癌で余命半年」という医者からの宣告を僕と弟の2人で受けました。医者からは、既に手の施しようがなく、本人へ告知するかどうか家族の意思にまかせる、みたいな話をされた気がしますが、そのあたりの記憶はあまりありません。母親にはその事実を伝えましたが、本人に伝えるべきか3人で悩みました。

結果、本人には「肺癌だが、末期ではなく中期なので大丈夫」と嘘をつきました。本人は信じたと思う。どこから聞いてきたのか、「アガリクスが癌に効くんだよ」などと得意げに言って、通販で安くはない錠剤を大量に買い込んだりしていた。

そんなもん効かないよ、とは決して言えなかった。


あと半年、どう家族として過ごすか。

そんな話を3人で語りあいました。せめて残された期間、家族としての時間を持とう、なんて話をしましたが、いざ親父と話そうとすると、どうにも駄目で、話をするどころか喧嘩になったりして。もともと父親とは、高校卒業後上京して以降、あまり会話もなく、顔を合わせれば喧嘩するくらいな感じをずっと過ごしていました。頑固で意地っ張りなところは父親譲りで、口を開けばどうしてもそうなってしまう。

「女の子なら違ってただろうなあ」ってよくお袋にも言われた。


実家は離れていたので、「せめて手紙でも」なんて柄にもなく便箋3枚びっしりといろいろ書いて送った。

はじめて書いた親父宛の手紙でした。

他愛のないことしか書けないから、たいした内容じゃなかった。

すぐに他愛のない内容の返事が親父から返って来た。


※この間、半年間にはいろいろありましたが割愛します。


時は流れ、余命宣告期間の半年を一ヶ月ほどすぎた夏の暑い日。父が危篤状態になったと連絡があった。「もうこれが最後だろう」と母は電話の向こうで言った。遂にきたか、と覚悟はしていた。

病院に駆けつけ、ベッドの傍まで行くと、親父は口に管を通したまま苦しそうに呼吸をしてた。

母親が僕が来たことを耳元で告げると、彼はまるで赤ん坊のような笑顔になってこっちを見た。

たまんなくなった。でも、何も言えなかった。

すると親父はまた眠るように目をつむってしまった。


肺癌は自分の痰で喉がつまり、呼吸困難になる。その時の親父は、痰を除去かるための管を喉から入れており、もはや言葉を出せなくなっていた。母親との会話も筆談だ。

もうこのまま目を開けないのか、と思っていたら数時間後、何がどうなったのか、いきなり元気になって。口の管も取り、ベッドの上にあぐらかいて座っていた。お見舞いの果物を食べたり、新聞を読んだりもしていた。

母親もびっくりしてた。


「なあんだ、まだまだ大丈夫じゃん」

その時、つきあってた彼女を次の土日に連れてこようか、なんて考えてたりした。でも、恥ずかしいからそんなこと親父には言えなかった。


親父自身は会話できないから、ベッドの上で僕と弟と母親と親戚の人の会話を穏やかな表情で聞いていた。


夕刻になり1度、家に帰ると言って病院を出た。

「また、来るね」と言ったら、振り返りもせずに、彼はベッドに座ったまま、うんうんとうなづいていた。

結局それが、僕が見た親父の最期の姿になった。


帰京して自宅に戻ったその日の深夜、再び「危篤になった」と弟から電話があった。すぐ車に飛び乗り、高速をすっ飛ばして病院に駆けつけたが、甲斐なくその途中で親父は息を引き取った。


病床にあっても、律儀にほぼ毎日つけていた彼のその日の日記には、もはやミミズがはったような力のない筆跡で「長男、来る」とだけあった。

余命半年がわかっていながら、半年の間になぜもっと何かしてあげられなかったのかと自分が情けなかった。別に特別なことじゃなくてもいい。もっともっと会話くらいできただろうに。最悪、喧嘩になったってよかったじゃないか。

悔みました。



病院のベッド脇の机から、くしゃくしゃになった紙を発見した。それは、僕がはじめて親父に書いたあの手紙だった。

「そんな同じの読んでも何も出てこないよ」と母親はちゃかしたそうだ。それでも、親父は何度も何度もその手紙を、うれしそうに読み返していたという。

親父はこんな手紙と何回も何回も会話してたんだね。


ごめんな…。


伝えたいこと

ちゃんと伝えてないことは悲しいこと。

死んでしまったら、

伝えたくても二度と伝える機会がなくなるんだから。


7月20日。かつて「海の日」として祝日だったその日が父の命日だ。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。