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東京ポップカルチャー50年史⑨~女子高生とコギャルの90年代

【連載第⑨回】女子高生とコギャルの90年代~TOKYOポップカルチャーの到達点

1、“女子高生”を作ったのは誰なのか?

バブル80’sでリッチな青春を過ごした世代が湾岸の大型ディスコで「最後のパーティ」に明け暮れていた1991~1994年、TOKYOの若者社会ではひっそりと地殻変動が起きていた。

“高校生の半分”である彼女たちは、女たちのアカデミーアワードの常連だった女子大生やOLを蹴落とすだけでなく、高校生の主役の座も男子から奪い取り、同時に若者社会の主導権を「女子高生」として握ってしまう。

「幻影の時代」(1991~1994年)で20代の社会人が過ぎ去った時代の退廃に溺れ、OLが減額したボーナス、女子大生が就職難というバブルの代償(ツケ)に嘆き、チームの少年たちが新聞沙汰やトラブルに巻き込まれていた頃、「女子高生」だけは確実に進んでいた新しい時代と向き合い、自分たちの世界観を凄まじい勢いでTOKYOに描き始めた。

「女子高生」は何も突発的に生まれたのではない。

例えば1988年~89年は、制服のモデルチェンジ(*1)がSI(スクール・アイデンティティ)のもとに都内の多くの女子校で実施。従来の古臭いイメージのセーラー服から、タータンチェック柄スカートやブレザーへと装いが変わる。彼女たちにとって制服とは=毎日着ていく洋服に他ならず、学校側が生徒数や人気確保のために「女子高生」のニーズを取り入れた結果と言えた。

また、高校生と言えば「アメカジ・渋カジ・キレカジ」といった男女共有カジュアルファッションがお決まりだったが、1991年~92年には「パラギャル」(*2)というファッションが浸透。これは「女子高生」が男子を切り離して自ら作り出した最初のスタイルだった。

こうした過程で「女子高生」は形成されていくが、それまで高校生文化を主導してきた男子高校生の“最後の創造物”が皮肉にも彼女たちだったという見方もできる。

特にパーティ券をさばく際の売り文句「カワイイ子が来る」、そんな女の子にチケットを売ってもらう手段などは、高校生という一つの集合体を分離させるのに十分だった。要するに彼女たちは気づいてしまったのだ。

2、“女子高生”が駆使したクチコミという魔法

何もかもあっという間の出来事だった。その最大の要因は、本人たちに「私は女子高生」という意識が強くあったこと。放課後の渋谷に集まる高感度な彼女たちは、自分たちに十分な商品価値があることを知っていた。

彼女たちには学校のクラスメイトや先輩後輩、都心の他校の友達や地元の小中時代の友達、バイト仲間や塾や予備校の知り合いなど、1日で接触して会話する人数がとにかく多い。クチコミ(*3)が3年間期間限定のプレミアのような高校生活の中で、魔法のような力を持つのは必然だった。

さらに、マイナーなモノやカルチャーを自分たちの領域に取り込んでいくような、80年代には許されなかった若者社会の「ボーダーレス感覚」、既存のものを自分たち好みに変えていくDJ のような「リミックス感覚」、メディアの情報や芸能人(*4)よりも街にいる同世代に信頼と憧憬を寄せる「ネイバーフッド感覚」、欧米のエンタメやカルチャー(*5)を後追いするのではなく、同時進行の動きとして捉える「リアルタイム感覚」、そして何よりも自己表現や美容意識に長けた「セルフプロデュース感覚」を持ち合わせていた。

「これいい!」「面白い!」「カワイイ!」「カッコイイ!」「楽しい!」「使える!」「美味しい!」など、彼女たちの琴線に触れるものは世の中にどんどん知れ渡っていく。こうして都心の「女子高生」たちは、独自の流行や現象を“約束の地”である渋谷を舞台に次々と生み出していった。

3、“女子高生”たちの完璧なライフスタイル

制服の足元の基準をソニープラザ(*6)で購入したルーズソックス(*7)に変え(これを受けて靴下留めのソックタッチも生産再開)、キャラクター(*8)がぶら下がったスクール鞄は片掛け。腕にはプロミスリングと首にはバーバリーのマフラーを巻き、放課後はメイクや制服のアレンジに勤しむ。TVドラマの『高校教師』が話題になった。

日焼けサロンや夏休みに湘南に行ったりするちょっと派手な子や、クラブ(*9)やパーティで遊んでいるような子たちが「コギャル」(*10)と呼ばれ始めた。みんな「超○○」「ウチら」とか「パねぇ」「なくね?」のような言葉遣い(*11)をし始めた。

ビジネスマン向けだった名刺やポケベル(*12)や使い切りカメラ(*13)も自分たちのコミュニケーションツールにした。ファミレスに行くとナタデココやパンナコッタを注文した。カラオケボックス(*14)では飲み会をしたり、CDやMDでいつも聴いている「小室サウンド」(*15)など自分たちのためのサウンドトラックを友達と一緒に歌った。

『東京ストリートニュース』『Cawaii!』『egg』といった「友達の友達が出てる」ようなスナップ/ファッション雑誌の創刊や番組(*16)が相次いで、「カリスマ/スーパー高校生」「読者モデル」ブーム(*17)や「高校生サークル」(*18)ブームが起こったり、ミージェーンやアルバローザやラブボートなどの「マルキュー(109)系ファッション/ブランド」(*19)が定番化した。

90年代前半はまだまだポップだった見た目(*20)も、半ば頃になると、安室奈美恵がコギャルのカリスマになって「アムラー」(*21)ファッションが流行したり、シャネルやプラダを「何か高校生っぽい」と言ってスーパーモデル(*22)系ヴィジュアルに走った。

茶髪のシャギー、細眉のモード系メイク、パンツスーツやストレッチブーツなど、着こなしによってはOLやコマダム(*23)とほとんど見分けがつかなくなった。

なのにスクール鞄の中には、プリクラ(*24)やたまごっち(*25)、ヘンな名前のドラッグストア(*26)や100円ショップで買った小物が入っているし、お菓子の隠れキャラや都市伝説にも敏感に反応する。

部屋にいる時はPHS(*27)で友達と喋ったりショートメッセージを入れたり、恋愛占いやダイエットのページも欠かせない。歌番組もお笑いもドラマ(*28)も楽しむし、オタク向けのマンガもアニメもゲームにも共感できる。

阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件で日本の安全神話が崩壊した中、他世代が大きなムーヴメントを掴めないのを横目に、怖いもの知らずの彼女たちの世界だけは極められていった。

ファッション、ビューティ、音楽、夜遊び、コミュニケーション、メディア活用……調和のとれた“完璧なティーンのライフスタイル”がそこにはあった。

4、“女子高生”たちの空しい心を救った歌姫

だが一方では、制服を着て街を歩いているだけで、援助交際やブルセラやデートクラブといった質の悪い“売り”のレッテルを貼られ、大学生になったとしても就職氷河期が待っているだけの近い将来が、「女子高生」であることの特権をより意識させてしまう。

街の大人たちや学校の教師、企業の商品開発やマーケッター、週刊誌や深夜番組の報道や討論といった、毎日あらゆる方向から浴びせられるただならぬ視線(*29)の中で、世間が描いた架空の「女子高生」像に行き詰まる16歳、それを演じて歪んだ日々を余儀なくされる17歳のコギャル、団塊世代の親との素敵な家族を演じつつも、誰も知らない空しい夜を過ごす18歳の少女たちの量産。

「カッコ良く大人っぽく見られたい」願望は日増しに高まるけれど、心の中では「高校生の女の子」であることの現実を消すことはできない。

1996年にリリースされた安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』(*30)の最後を飾るタイトル曲は、そんな彼女たちの心境を歌い上げて多くの幼い心を救った。

5、TOKYOポップカルチャーの完成形

思えば、1983~86年の「最初の80年代(アーリー・エイティーズ)」における有名付属校に通う都心の男子高校生から始まったハイスクール・スピリット(*31)は、1987~1991年の「バブル80’s(バブル・エイティーズ)」でのカジュアル・ニヒリズムやセンター街チーム現象を経て、1991~1994年の「幻影の90年代」で女子高生/コギャルを誕生させた。

その流れは、総中流化から総劇場化へ、さらには総低年齢化への世相とシンクロする。

そして、彼女たちの研ぎすまされた感覚によって、1994~1998年の「完全な90年代」(*32)で描かれた事象の数々は、紛れもなく世界に通用するTOKYOポップカルチャーの到達点/完成形だった。

しかし、物語はまだ終わらない。

「ガングロ」「ヤマンバ」(*33)と呼ばれる次世代、「109カリスマ店員」(*34)や第2のカリスマ・浜崎あゆみ(*35)、「第3次パラパラブーム」(*36)などが台頭して、「コギャル」から「ギャル」へと移行した1999年

世の中には「世紀末」「ミレニアム」といった言葉が飛び交い、携帯電話にインターネット機能(*37)が加わり、若きIT起業家たちがビジネスの拠点を渋谷に置き始めて映画『マトリックス』が公開された頃、東京には“TOKYO”と並ぶ新たなパラレルワールドが出現しようとしていた──“ネット空間”が本格的に産声を上げたのだ。

(第⑩回へ続く) *2022年冬頃より再開予定。

*第①〜⑨回目までは、Webマガジン<TOKYOWISE>で『Tokyo Pop Culture Graffiti~TOKYOに描かれた時代と世代の物語 1983-2015』として掲載された作品をもとに一部加筆したものです。第⑩回目以降はnoteを拠点に発表していく予定です。

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*写真提供 : SHIP

【注釈】

(*1) 制服のモデルチェンジ 1985年に刊行して定期的に改訂された森伸之氏の『東京女子高制服図鑑』に詳しい。

(*2) パラギャル パラダイスギャルの略。当初は「LA」「エルカジ」などと呼ばれた。文字通りアメリカ西海岸スタイルだったが、次第に夜遊び着としてのボディコン/リゾートテイストが加えられ、その名になった。アルバローザのハイビスカス柄のフレアミニスカート、シープスキンブーツ、LAギアのスニーカー、ウエスタンブーツ、エスプリやゲスのバッグなどがお約束アイテム。

(*3) クチコミ 渋谷/都心→東京→関東→全国といった法則(Aという流行が関東に浸透するかしない頃、すでにBという新しい流行が都心では起きている)。1989年に設立されたティーンマーティングの草分けである株式会社シップの松並卓郎代表は「現在のソーシャルメディアのように簡単に情報拡散できないぶん、広まる情報にはリアリティと人づての温かさがあった」と指摘する。

(*4) 芸能人 年上の頼れるお姉さん的存在でW飯島と称された、飯島直子と飯島愛は例外だった。

(*5) 欧米エンタメ/カルチャー 海外ドラマ『ビバリーヒルズ高校(青春)白書』、映画『クルーレス』、ブランディやモニカやTLCなどのR&B、英国アイドルのシャンプーやスパイス・ガールズなど。「黒いアメリカ」がクールになり、ヒップホップ/ギャングスタラップは男子に支持された。

(*6) ソニープラザ 109の地下にあった通称ソニプラがアメリカ商品をメイン化して売り上げを急増させたのが1988年。三穴バインダー、フェルトペン、ミセス・グロスマンのシールなどは女子高生に大ヒット。ルーズソックスもここから。

(*7) ルーズソックス ラルフ・ローレンのワンポイントが刺繍された三つ折りソックスに代わって浸透した制服の足元。発祥はアメリカンスクール説や地方説などあり。当初は「くしゅくしゅソックス」と呼ばれていた。

E.G.スミス社のものが特に売れ、1995年頃からはスーパールーズが登場。足が可愛く細く見えたことから大ヒットした。校則で禁止されている場合は、街で履き替えた。一時、紺色のラルフ・ローレンのハイソックスを履くことも流行。

(*8) キャラクター 女子高生とキャラクターの関係は密接で、80年代はセサミストリートやタンタン、オサムグッズなどが人気。90年代はハローキティ、くまのプーさんが定番化。

(*9) クラブ ディスコの時代が終わりを告げ、小箱クラブが乱立した90年代前半。それまでクラブと言えば『ゴールド』に代表される音楽が欠かせないヒップな連中の溜まり場だったが、この頃になると『リング』『ラバー』『ソウルソニックブギ』『ミューズ』『アポロ』などサラリーマンやOLでも仕事帰りに立ち寄れるハコが登場。『エロス・ラブネスト』『R?ホール』『パイロン』などは特にティーンに人気だった。

(*10) コギャル もともとはディスコの黒服用語で、ボディコンのイケイケギャルになるには早かった高校生のことを、「高ギャル」「小ギャル」「子ギャル」といったニュアンスで使っていたのが始まりとされている。

ちなみにコギャルが浸透した後、中学生のことを「マゴギャル」と名づけた時期もあった。派手な子、オシャレな子、遊んでる子、普通の子、次第にみんなが「コギャル」と思われた。

(*11) 言葉遣い 「鬼」「激」なども多用。他に冗談使用として「チョベリバ(超ベリーバッド)」が最も有名。「ジベタリアン」は流行用語の一つ。言葉だけでなく、書く字体にも特徴があり「ヘタウマ文字」と呼ばれた。なお、1994年の小沢健二とスチャダラパーの「今夜はブギーバック」、EAST END×YURIの「DA.YO.NE」は女子高生フレーズを取り入れた最初のヒット曲。

(*12) ポケベル 通称ベル。1992年秋から突如として女子高生の間で広まったといわれる。数字で428(シブヤ)、0840(オハヨウ)、14106(アイシテル)などを打った。暗号本も売れた。

(*13) 使い切りカメラ レンズ付きフィルムとも呼ばれ、『写ルンです』がよく売れた。また、その場で写真ができあがるインスタントカメラも愛され、『チェキ』が有名に。女子高生は写真が大好きだ。

(*14) カラオケボックス 中でもリーズナブルな『歌広場』に行った。女子高生はお金にシビアだ。

(*15) 小室サウンド 空前のCDバブル期とシンクロしながら、1994~98年頃に奏でられた小室哲哉プロデュース楽曲群。それまでのビーイング系に代わって音楽シーンの台風の目になった。

trfやH Jungle with tなどは20代向けの感があったが、1994年の篠原涼子「恋しさとせつなさと心強さと」に始まり、1995年の安室奈美恵や華原朋美の登場で10代のサウンドトラックを完全確立。鈴木あみ、hitomi、dos、globe、観月ありさ、内田有紀らを含めて「小室ファミリー」とも呼ばれた。

1997年の「CAN YOU CELEBRATE?」はティーンエイジ・シンフォニーの金字塔。同時期はSPEEDやMISIAも人気があった。

(*16) スナップ/ファッション雑誌の創刊や番組 1994年『東京ストリートニュース』、1995年『Cawaii!』『egg』、1996年『Popteen』(リニューアル創刊)、1997年『Happie』、および1994年~95年『anpon(アンポン)』や1995~96年『東京Jr.JUNK土曜は放課後』などの番組。

それまではプチセブン、セブンティーン、mcシスター、オリーブ、ファインなどが女子高生向けだった。ファッションページに登場するモデルは現役高校生がほとんどだったので、年度毎にメンツの入れ替わりがあることも特徴。eggポーズ、ヘン顔、イケメンなどを生み出したり、卒業アルバム的機能やプロムイベントも行われた。

一方、男子はラッパー、クラバー、ダンサー、サーファー、ボーダー、ギャング、チーマーといったファッションスタイルに細分化される中、1998年に『BOYS RUSH』『men’s egg』が創刊されて、ロン毛にVネックに腰パンのギャル男ブームが起きた。SMAPの木村拓哉人気ともリンク。

(*17) カリスマ/スーパー高校生、読者モデル 主に有名付属校や顔面偏差値の高い私立校に通うオシャレかつ何かに秀でた才能を持つ高校生が誌面を飾った。

その元祖的な存在であるヒップホップDJの門田祥穂氏をはじめ、卒業生には後に俳優やミュージシャン、アナウンサーやモデルやタレントとして活躍する者が多数いた(押切もえや妻夫木聡などが有名)。彼らが在籍する学校の文化祭は大人気で、女子の間では人気男子校のスクールバッグを持つことも流行した。

別の意味で『全国高等学校クイズ選手権』の優勝者や1998年の甲子園で春夏連覇した松坂大輔も「スーパー高校生」だった。

(*18) 高校生サークル 90年代半ばにチームやパーティのイメージが悪化する中、1998頃に結成されるようになった新たな動き。らんげーじ、クリーム、ユニオンなどの男女混成サークル、ココナッツ、アロマ、ドリームなどのギャルサークルが多数あり、定期的にミーティングを行ってイベントを企画した。

(*19) マルキュー(109)系ファッション/ブランド それまでは各世代向けのテナントが入っていたが、1996年のリニューアル以降、徐々にティーン向けのテナントで占められていった。

女子高生/コギャルから愛されたブランド/ショップ(以下50音順・一部109外)は、アルバローザ、エゴイスト、エスペランサ、カパルア、キスキス、ココルル、セシルマクビー、ジャイロ、ソードフィッシュ、バハマパーティ、ピンクフラミンゴ、ミージェーン、ラストシーンガール、ラブボート、ロキシー、ロコネイルズ、ロッキーアメリカンマーケットなど。

バーゲン時期は最大の盛り上がり。ミージェーンなどのショップバッグは体操着を入れるのに重宝した。

(*20) まだまだポップだった見た目 レッグウォーマーやシープスキンブーツ、ナマ足など。

(*21) アムラー 茶髪と細眉メイクは基本。安室奈美恵が身につけた白の厚底ブーツやバーバリー・ブルーレーベルのチェック柄ミニスカートなどはバカ売れした。また、同時期の華原朋美のファッションも「カハラー」として人気が高かった。

(*22) スーパーモデル ケイト・モス、シンディ・クロフォード、クラウディア・シファー、リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベル、クリスティー・ターリントンなど。また、JJなどの赤文字系雑誌のモデルもお手本とされ、梅宮アンナ、梨花、長谷川理恵、李梨などが支持された。

(*23) コマダム 雑誌『VERY』に出てくるようなブランド品好きで美意識かつ玉の輿確率の高い30代既婚女性の揶揄。1998年の流行語「シロガネーゼ」も同じ流れ。真逆の世界観に「ヤンママ」があった。

90年代の20代OLは巻き髪にしてレザー・ロングブーツを履いたり、オープンカフェでお茶したり、TVドラマ『29歳のクリスマス』『ロング・バケーション』『ビーチ・ボーイズ』『ラブ・ジェネレーション』などを視聴した以外に果たして特筆すべきことがあるだろうか?

(*24) プリクラ 1995年7月に登場したアトラス社のプリント倶楽部。シール写真は交換したり、手帳に貼ったりする。その後、様々な機能が加わって進化していく。

(*25) たまごっち 1996年11月にバンダイ社から発売されたキャラ育成ミニゲーム。

(*26) ヘンな名前のドラッグストア マツモトキヨシのこと。火付け役は間違いなく女子高生だった。100円ショップやドン・キホーテも愛された。

(*27) PHS 通称ピッチ。1995年~1998年。翌年には携帯電話に移行した。

(*28) TVドラマ 1994年/『若者のすべて』『17才』、1995年/『未成年』、1996年/『白線流し』、1998年『GTO』『神様、もう少しだけ』などは女子高生向けだった。

(*29) ただならぬ視線 報道や討論番組では大学教授や法律関係者や風俗ライターたちが分析で「女子高生」を熱く語り、メーカーや広告代理店は「女子高生」の市場消費力や流行感覚を利用して莫大な利益を得る。そして一部の狂った連中は「女子高生」を金で買えるものと思い込む。

世の中は「女子高生」を「高校生」に戻す機会を失った。かつてチームの少年たちが暴力的なイメージへと祭り上げられたのと同様に、彼女たちには売りのイメージがまとわりついた。

なお、雑誌『SPA!』は1993年にコギャルの生態を掲載、深夜番組『トゥナイト』も同年よりコギャル取材を開始。

(*30) SWEET 19 BLUES プロデューサーは時代がどの世代の手の中にあるのか知っていたに違いない。結果的に300万枚以上をセールス。

(*31) ハイスクール・スピリット メディアが発信する情報や大人たちが提供する場所に踊らされるのではなく、自分たちの手によって流行や現象を起こそうとする動き。連載②に詳しい。

(*32) 完全な90年代 1994~1998年に高校生層を構成したのは1976~1982年生まれ。皮肉にも高校生人口は1989年をピークに減少し続けていた。

(*33) ガングロ、ヤマンバ 1998~2000年頃に見られた動き。コギャルからギャルへと変わっていくきっかけともなった第2世代の序章であり、当初は「ロコガール」と呼ばれた。ギャルのコスプレ化の始まりでもあった。

渋谷で目立って雑誌に掲載されることを競っていた背景が要因といわれる。ガンガンの「ガン」と黒の「グロ」(あるいは「顔黒」)というニュアンスで、日サロやファンデーションで肌をより黒くした。パレオ、キャミソール、花アクセ、白いメイク、脱色した髪、厚底サンダル/ブーツなどが特徴。

1999年8月号の『egg』にはさらに黒い「ゴングロ3兄弟」が登場して人気者に。「ヤマンバ」という呼び名も浸透したが、翌年には『egg』の一時休刊もあって失速した。

(*34) 109カリスマ店員 接客や着こなしだけでなく、商品企画や店舗内装まで携わる仕事や姿勢に憧れるギャルが続出。少し年上のギャルメイクのお姉さんという点にも親近感が沸いた。80年代のハウスマヌカンのカッコ良さとカジュアルショップの男店員の気さくさを引き継いだ空気感が漂っていた。

エゴイストの森本容子氏や中根麗子氏などは雑誌の表紙を飾るまでになり、ギャルのアパレル業界への進出にも貢献した。ボンバーヘアー、エクステも流行。2000年の『S Cawaii!』創刊と「お姉ギャル」にも影響大。

(*35) 浜崎あゆみ 安室奈美恵の産休や「小室サウンド」の終焉と入れ替わるように、1999年にブレイクした女子高生の新たなカリスマ/ファッションリーダー。11月に同時リリースしたアルバム/シングルで肌の色が対照的な「白あゆ」「黒あゆ」ジャケットが話題に。

同年には宇多田ヒカル、海外ではブリトニー・スピアーズも登場した。タレントでは安西ひろこが憧れの的に。

(*36) 第3次パラパラブーム ギャルサークルやガングロブームとも連動した動き。『9LOVE J』や『パイロン』といったクラブでは講習会も行われた。avexからは1999年に読者モデル上がりのメンバーを含んだパラパラ・オールスターズがデビュー。コギャル雑誌には振り付けページが毎号のように掲載された。

(*37) 携帯電話にインターネット機能 1999年2月、NTTドコモがiモードのサービスを開始。EZwebやJ-Skyも追従した。メールやコンテンツは当然のようにギャル世代に受け入れられ、絵文字、着メロ、待ち受け、占い、ゲームなどが定番化。ストラップも売れた。翌年には液晶画面のカラー化やカメラ機能も加わった。


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中野充浩(文筆家/コンテンツ制作者)

最後までありがとうございました。最初は誰かの脳に衝撃が走り、左胸をワクワクさせ、やがてそれが何人かに伝わって周囲を巻き込み、みんなで動き出しているうちに同じ血と汗と涙となり、最後には目に見えるカタチとなって現れる。そんなことをやり続けます。応援よろしくお願いいたします。