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発酵に上白糖が良い理由

コンブチャを作ってみよう、と考える方の多くは既に食品に気を配っていることと思います。コンブチャ以外の発酵食品でも「菌に食べさせる」という観点で見ると、上白糖が良いと言われることがあるのですが、その理由が分からない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

一般的に、上白糖は健康には"良くない"と言われていますから、少しでもアンテナを張っている方であれば上白糖を警戒しているでしょう。私自身もコンブチャを作り始める前は、上白糖もちろん、黒糖やきび糖そして甜菜糖も家にはありませんでした。しかし、コンブチャ作りにおいて私が選択するのは「上白糖」であり、コンブチャレッスンでもご受講生の方には科学的な仕組みを理論的に説明しますので、皆さま納得の上で迷わず「上白糖」を選択しています。

そもそも、上白糖は悪いのか?

「精製された白いもの」それは、白米や小麦粉、そして上白糖がまず最初に挙げられるのではないでしょうか。世の中は、善と悪の対比構造になりがちですが、完全な善も完全な悪も成立しないのが実際の所でもあります。従って、まず先にそのものの成り立ちや意図を考えなければなりません。

上白糖は、サトウキビから作られるもので、確かに精製されていますが元々は当然ですが自然のものなのです。精製される事によってピュアな糖となりますが、それはビタミンやミネラルが削ぎ落とされた状態です。

しかし、人工甘味料はどうでしょうか?トウモロコシ由来の果糖ブドウ糖液糖・ブドウ糖果糖液糖・異性化糖と呼ばれるものは、そもそも科学的に分子構造を人工的に自然界ではあり得ない形に組み替える処理をしています。大量に安く供給する為にです。また、サッカリン、アスパルテーム、ネオテーム、スクラロース、アセスルファムKも同じです。

上白糖はビタミンやミネラルが削ぎ落とされてしまっている状態ではありますが、あくまでは使い方によっては普通の食品と言えるでしょう。もちろん、精製されていない糖もです。しかし、人工甘味料を摂取しつつ、上白糖だけをやり玉に挙げてしまっている方も多いのではないでしょうか?どんな糖であっても、適量をしかるべき摂取方法で摂取するのなら同じです。しかしながら、人工甘味料はもはや摂取して良いものではないということを大前提として頭にいれておきたい所です。

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上白糖の正しい使い方とは?

私達人間は、雑食です。ベジタリアンやビーガンはあくまでも思想的な問題であって、人間という生き物として生物学的にはあくまでも雑食であるのです。
しかしながら、菌はどうでしょうか。人間にとって必要な五大栄養素や九大栄養素(タンパク質や脂質…)は、全く同様に菌にとってもマストなものかと言えば、それは違います。何故違うのかと言えば、まず第一に大きさが圧倒的に違いますよね。それは身長が150cmの小柄な女性と2mの大男などのレベルの違いではないのです。
それでも面白いことに、生物であるという点(エネルギーを摂取し、それを燃焼しながら活動する)のは同じです。

上白糖の正しい使い方はいくつかありますが、そのうちの一つが「菌に食べて貰う」です。菌はシンプルに「糖」をエネルギー源として、活動するのです。それも、人間のように複雑な栄養素が必要なのではなく、ピュアな糖なのです。そう、ピュアな糖なのです。
例えば、牛糞も人糞も土にとっては大切な栄養素となりますが、牛や人自身は自分の糞は、糞であって栄養素ではありません。何故そのような違いが発生するのかと言えば、大きさが違うというのが一番分かりやすいのではないかと思います。
その他の正しい使い方としては、保存や浸透圧調整、そして非常時にはブドウ糖や果糖は直接糖として素早く吸収されるので命を助けてくれる事もあります。ただし、それはあくまでも栄養失調や低血糖時の摂取や点滴したりに限った事です。

包丁と同じこと

包丁は使い方によっては、人を傷付けることが出来ます。しかしそれはあくまでも誤った使い方、本来想定されていない使い方です。重箱の隅をつつけば、手術ではナイフで患部を切断するので、それはそれで正しい使い方です。
しかし、日常生活では包丁を正しく使えている方がほとんどではないでしょうか?上白糖だけを悪者扱いするのは、包丁の誤った使い方だけに焦点を当て流のと同じでかなりのお門違いではないかと思います。是非ご一考下さい。

ピュアな糖とは

ここまでお読み下さった方はもうお分かりでしょう。ピュアな糖とはどんな糖でしょうか?それは、ほとんど精製されていないミネラル等がたっぷりの糖でしょうか?それとも人工甘味料でしょうか?結論は、一つですね…!?

もしも、あくまでも自然に拘りたいという方がいらっしゃるのなら、精製されていないものをご使用して頂いても良いのですが、何かを作ろうと考えた時に、完全に自然に任せるというのはそもそも作ると言えない作業なのです。何かを作るという事は、一つのものにするという目的があるのです。通常の時間の何倍もかけていつ出来るのか分からないものを作るのは、もはや何も作らないのが最も自然ではないのかなとさえ思ってしまいませんか。

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