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米津玄師「カナリヤ」が好きなら「ある男」を読んだほうがいい

*注:この記事には平野啓一郎著「ある男」のネタバレが含まれています。

愛にとって過去とは何か?

あなたの思い出話を聞くたび
強く感じているんだよ
僕はその過去ひとつ残らず
すべてと生きていると
(Blue Jasmine)

 これは米津玄師のスイートなラブソング”Blue Jasmine”の冒頭の歌詞だが、この「あなたの思い出話」がすべて嘘だったとしたら…?

 平野啓一郎の「ある男」とはそんな物語だ。心から愛し子供も授かり幸せな結婚生活を共に歩んでいた夫=”ダイスケ”の過去が、まるっきり別人のものだったと知った時、その愛までもが薄汚い偽物として散っていくのだろうか?

愛にとって、過去とはなんだろうか?
(「ある男」より)

 弁護士である主人公”城戸”の自問は、裏返せば「愛にとって、今とはなんだろうか?」と問い直すこともできる。

 相手の過去を100%知っていると思い込んだり、それが確固たる事実だと断言することは難しい。自分自身でさえ、その過去を曖昧に勘違いしている場合もあるのだから。

 しかもそれを伝える時点で、過去は双方にとって頼りない言葉に変換され、当時の心模様や色合いまでをデジタルデータのように正確に再現することなどできない。

 そもそも何を経験しようとも次の瞬間から人は変わっていくものだ。新たな時間が何もかもを上書きしていく。

 ならば、愛にとって”今”だけが信じられる唯一のものとは言えないか?

 夫の”偽りの過去”に困惑し苦しみ抜いた妻が、最後の最後に息子に全ての事実を伝えた時、こう思うのだ。

一体、愛に過去は必要なのだろうか?
(「ある男」より)

 その答えのネタバレは避けよう。

いいよ、あなたじゃなくてもいいよ

 この小説の終盤を読んでいる時、米津玄師の”カナリヤ”がBGMのように脳内に流れた。この曲は何度も何度も「いいよ」という肯定の言葉が繰り返される。

 「いいよ、あなたとなら、いいよ」
 「いいよ、あなただから、いいよ」
(カナリヤ)

 だが、その真意は「あなたじゃなくてもいいよ」なのだ。

お互いにあなたじゃなくても別に私はいいんだっていうか、一緒にいるのはあなたじゃなくてもいいっていうことを確認し合うことがすごく大事なんだろうなって。(2020 Rockin'onインタビューより)

 米津玄師は、人は絶えず変化し、同時に2人の間にある愛もまた変化していく中で、「あなたはこういう人だから好き」と固定してしまうことをキッパリと拒否し、「今」を確認しあうことの重要性を言葉を尽くして語っている。

相手の好きなところに固執してしまうと相手をそこに閉じ込めてしまう。あなたはこういう人だから美しいんだということを押し付けてしまうことなる。絶えずそれを問い直す必要がある。あなたはあなたじゃなくても構わない。(StraySheepRadioより)

 ”カナリヤ”の大サビは「人と人との関係って永遠に続くものではない(Rockin'on Japan インタビューより)」からこそ、”愛し合っている今”を丁寧に積み重ね、赦し、受け入れていく真摯な”メンテナンス”を、”恋をして”と歌っている。

あなたも私も変わってしまうでしょう
時には諍い傷つけ合うでしょう
見失うその度に恋をして
確かめ合いたい
(カナリヤ)

 実は、無邪気に永遠の愛を誓っているような”BlueJasmine”の歌詞も、ラストはこう締め括られており、米津の不器用なまでの誠実さが垣間見える。

いつでも僕は確かめる
君を愛していると
(Blue Jasmine)

 本来、愛には妥協や怠惰の欠片も許さない、こういう厳しさや正直で真っ直ぐなアティチュードが必要なのかもしれない。

 だが、恋人であれ、家族であれ、親友であれ「かつて、そこにあった愛」に甘え、過信し、お互いの変化に気づかないまま「わかりあっている」ような錯覚をなんとなく共有していることは往々にしてあるものだ。

変わらないために絶えず変わり続ける

 生命というものは、それを維持するために全ての細胞が凄まじい勢いで生まれ変わっているそうだ。マクロで見れば何も変わっていないように見える人でも、無意識の間に分子レベルでは全くの別人に置き換えられている。

 当然、生き物である愛もまた刻々と変化し続けている。あの日の誓いや情熱を拠り所に仕舞い込むのではなく、お互いの「今」を確かめ合うことでしか、変わらぬ関係性をキープすることはできないのかもしれない。

  過去を偽っていた”ダイスケ”の素性を調査している弁護士の城戸が、密かに想いを寄せている女性にこう尋ねる。

「僕たちは誰かを好きになる時、その人の何を愛してるんですかね?
出会ってから現在の相手に好感を抱いて、そのあと、過去まで含めてその人を愛するようになる。で、その過去が赤の他人のものだとわかったとして、二人の間の愛は…?」(「ある男」より)

 女性の答えは”カナリヤ”の歌詞にぴったりと符合する。

わかったってところから、また愛し直すんじゃないですか?一回愛したら終わりじゃなくて、長い時間の間に、何度も愛し直すでしょう?

 「今」確かに存在する手触り、温度、匂いの実感を前に、過去はなんとも心許ない。思い出や記憶が人を形成していることは間違いないが、愛する人との関係性においてもっと重視すべきことがあるような気がする。

カナリヤでは「歩いて行こう、最後まで」と歌われているが、この”最後”は明日訪れるかもしれない。「ある男」の最期も突然だったように。

 また1年が過ぎようとしている今、自分と大切な人との現在地を確かめ合ってみたくなる。「ある男」と「カナリヤ」はそんな物語だ。

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”過去”を通じて”自分とは何か?”、”愛とは何か?”を、罪と罰、差別、格差など様々なレイヤーを重ねて問いかけてくる傑作。序章で語られる「他人の傷を生きることで、自分自身を保っているんです」という主人公の言葉が、読み終わった後にじわっと滲みてくる。↓

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