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【都市計画家列伝】第1回 イルデフォンソ・セルダは現代バルセロナに何をもたらしたか ③考察編

都市計画家列伝の第1回としてバルセロナの都市拡張事業を担ったイルデフォンソ・セルダを取りあげている。第1部ではバルセロナの歴史とセルダの生きた時代を、第2部ではセルダの都市計画理論とその結果について取り上げてきた。最後に、セルダは現代バルセロナに、そして現代都市計画に何をもたらしたのか。彼が都市に対して抱いた理想の意味を問う。


5. 科学としての都市計画を問い直す

3aで紹介した吉村氏の主張の通り、セルダは科学としての都市計画の手法を初めて編み出した人物だと言える。そして吉村氏は、膨張する都市の制御や衛生的な居住環境の実現を目指して「社会技術」に偏重してきた近代都市計画が、現代においてこれまで計測できなかったものがデータとして収集可能になってきたことで、再び「科学」の要素を取り入れるべきなのではないかと論じている[5]。実際に欧州、特にバルセロナではまちづくりにおいてデータを用いて説得力を高める手法が定着してきており[6]、また優れたデータビジュアライゼーションの技術がより効果的な住民参加などの新しい価値を生んでいるとしている[7][8]。

日本的な文脈で言えば、都市計画の科学に真正面から取り組んできたのは高山英華だろう。密度→配置→動きという一連の流れを初めて実践した大同都市計画や、住宅地の密度や公共空間についてさらに細かく分析した「庶民住宅の技術的研究」は、統計学的な厳密さはないものの、小さなスケールで経験的に妥当性が判断できる数字を設定し、それを大きなスケールに丁寧に積みあげていくことで、空間の提案に落とし込んでいる。そして都市計画という学問は、そのような高山の科学的な検討を基に出発したにもかかわらず、都市計画技術の確立を優先するべく高山自身がその範囲を「技術」に限定したことで、新たな科学的検討がなされないまま今日までほとんど同じ技術的基盤を受け継いできたと言える。また都市計画には直接関与していないが、西山夘三らも科学的な知見から都市空間に大きな影響を与えたと言える。最後に、新宿副都心建設の際に建築容積と自動車交通需要のバランスを科学的に検討し、容積率という新たな概念を導入した山田正男もまた、そういった人物として捉えることができるだろう。

高山英華の大同都市計画
現在の新宿西口。当初山田が設定していた容積率規制が緩められ、想定よりもはるかに高層の建物が並ぶエリアとなった。

データサイエンティストに都市を作るビジョンはない。私達都市や建築を学ぶ人間がデータを扱うからこそ、都市を鋭い視点から切り取り、効果的に活用できるはずだ。セルダが労働者階級のための平等で健康的な住環境を創り出すためにデータを用いたのと同様に、あくまでデータはツールであって、それを活用する私達の都市へのまなざしこそが問われている。

6. 都市の理想をつないでいくこと

私は都市計画には多くの人間の生活を豊かにする力があると思い、この学科に入った。しかし2年半学ぶ中で分かったことは、都市を計画するという壮大な問題の前に、人間は無力だということだった。都市計画に力はあるかもしれないが、交錯し合うあまたのアクターの利害を調停し、都市の物的環境よりもはるかに速い科学技術と社会情勢の変化を織り込んだデザインができるほど、人間は賢くない。コルビュジェのようにどんなに優れた仕事をしたとしても、新しい都市像を提案することがこれまで存在してきた生活様式を壊すことと不可分に結びついているならば、それが真に人間の生活を豊かにしたかなど分からない。そしていくら同時代の人々に賞賛されるものであっても、その都市像は変わりゆく時代の中で当然のごとく否定されていく。例えば30年単位で実現を目指すコンパクトシティ政策が、モビリティやエネルギー供給の仕組みが変化した未来においても妥当性を保っているかなど、誰にもわからない。建築の敷地の中で、限られたアクターと条件の下で最適解を出すことはできても、都市スケールでそれをすることはできないのではないか。加えて、都市計画が本質的に政治的であるとすれば、(そもそも妥当なのかわからない)自身の理想を実現させることさえ難しい。あまたいる都市計画家の中で、自身のプランを完璧に実現できた経験を持つ計画家が何人いるだろうか。そして、全体のパイが減る一方であるこれからの社会において、何かを作ることが何かを壊すことと同義であり、かつ価値観や生き方がより多様化していくとするならば、本源的に単一でしかありえない「空間」を「作る/作り変える」という行為は、ますます力を失っていくだろう。正しいかわからない、いずれ時代に否定される、実現もできないならば、都市に対して大きな理想を持つことに消極的・悲観的にならざるを得ない。未来の私達は、より小さな単位で、できる限り既存の資産を使いながら、半歩ずつ進んでいくような取り組みを繰り返すことしかできないだろうし、それが正しい姿だと思う。

コルビジェによる『輝ける都市』は近代都市の教典として世界中に影響を与えた。
富山市のコンパクトシティ政策は50年後にどう評価されるだろうか。

しかし今回、イルデフォンソ・セルダの仕事と思想が現代バルセロナに何をもたらしたのかを考える中で、理想を持つことにそこまで悲観的にならなくてもよいのかもしれないと感じた。セルダがグリッドの都市構造により目指した「効率的な交通網」、「平等な都市空間」、「低密で良好な居住環境」のうち、実現されたものは効率的な交通網だけで、他の2つはセルダが都市拡張事業に関わっていた期間から既に失敗が見えていた。それでも、その後の歴史と現代のバルセロナを見れば、セルダが意図してか意図せずか残した資産をもとに、後代の人々が少しずつ理想をつないでいき、意図通りの/意図しない資産を残しながら、現代の魅力あふれるバルセロナが形成されていったことが分かる。

具体的に見ていこう。セルダの最大の成功は「広幅員で効率的な街路網を残したこと」と「平等性を志向したことでミクストユースの街区を形成したこと」である。広幅員化は鉄道の導入が前提にあり、また平等性は実現しなかったため、必ずしもセルダの意図通りではない。しかし、バルセロナをバルセロナたらしめているスーパーブロック政策は大量の交通量をさばくことができる街路網が前提にあるし、広い幅員のもたらすゆとりとミクストユースによってストリートで多様なアクティビティが生まれている。一方でセルダが意図しなかった街区の高密化は、現代において高い生活利便性と活気あふれるコンパクトな市街地を実現している。中世からの文脈を無視した面白みのない都市空間という批判は、公共空間化したストリートでの多様なアクティビティ、ファサードに表出する住民の住みこなし、そして何よりモデルニスモやノウサンティズマの時代の建築家達が生んだ創意工夫あふれる建築群により、全く説得力を持たなくなっている。そしてもしかしたら、科学としての都市計画を確立しようと奮闘したセルダの存在が、スマートシティ政策で最先端をゆく現代のバルセロナに、何かしらの影響を与えてきたのかもしれない。

セルダは意図しない形でバルセロナに多くの資産を残し、後代の人々はその資産をもとにして魅力的な建築や公共空間化といったセルダ案の欠点を補うようなプロジェクトを実現させてきた。魅力あふれる都市はひとりの都市計画家によって実現されることはない。むしろ都市計画家の理想などほとんど実現されないだろう。それでも、理想を実現させるための苦闘は、その街の物的環境や文化という形で資産を残したはずであり、その資産が次代の計画家の仕事を支える。つまり、哲学を基に作られた街が、次の都市を作る人間を育む。人が都市を作り、そしてその都市が人をつくる[9]。そのために、たとえどんな時代になろうとも、私達は都市の哲学を必要とし続けるだろう。

<終>


[5] 岡部, 吉村(2022)「データが導く都市デザイン 新たな理論の構築に向けて」新建築.ONLINE. <https://shinkenchiku.online/column/4389/>
[6] 吉村(2020)「第3回:CityScope まちづくりの評価システム」新建築.ONLINE. <https://shinkenchiku.online/column/1628/>
[7] 吉村(2020)「第2回:CityScope 集団的意思決定のためのデジタルツール」新建築.ONLINE. <https://shinkenchiku.online/column/858/>
[8] 吉村(2020)「第4回:300.000Km/s まちづくりにおけるビジュアライゼーションの可能性」新建築.ONLINE. <https://shinkenchiku.online/column/860/>
[9] 中島, 一般社団法人アーバニスト(2021)『アーバニスト: 魅力ある都市の創生者たち』ちくま新書.


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