見出し画像

世界一周中に「人生のコンパス」についてドイツ人と考えた話 ~やりがいではなく、生き甲斐を~

前置き:今までの常識に違和感を覚える僕ら

30代・40代の誰もが気になっている(と思っている)話。
皆さんの中で、「将来のビジョンはばっちり決まっています!」という人はどのくらいいるだろうか?

ほとんどいないのではないだろうか?
僕も何も決まっていない人のうちの一人。
(正直決まっていたら一年間も世界をフラフラしない笑)

実は、「自分探しの旅に出たつもりはなかったけれど、世界一周に家族で出たら結果的に自分探しの旅」になってしまったのだ。
2,3カ月目を過ぎた辺りから既にそうなっていて、最近それが確信に変わった。
僕は今猛烈に人生に迷っている笑

現状:僕には人生のコンパスが新たに必要

「人生のコンパス」とは?

まさに今僕は、「人生のコンパスが新たに必要」な状態である。

「人生のコンパス」ってなに?

そう思われても仕方がない。
勝手に響きがかっこよくてそう言ったが、今の僕は「指針」や「価値観」というものがなくなってしまったのだ。
正確には、「世界一周に出たことで自分の中の指針や価値観が変わったことは分かったが、どう変わったかが分からない」という状態だ。

別にネガティブなことではない。
路頭に迷っているとかではなく、変わったからどうしよ?って状態だ。

今までの価値観

今までの価値観はこうだ。

いい学校に入る → いい会社に入る → ある程度いい金をもらう

ほとんどのみなさんもそうではないだろうか?
そしてこれが、今の僕にはこれにこの一文が入る。

「日本で」

すなわち、正確にはこうだ。

(日本で)いい学校に入る → (日本で)いい会社に入る → (日本で)ある程度いい金をもらう

海外っていいなーって思っていたが、ここまで身近に・現実的なものに思えたのは今が初めてだ。

この時点で既に大きく違っていて、「え、俺ぶれないコンパス持ってるで!」という方は是非そのコンパスと見付け方を教えて欲しい。
勉強したい。

壊れた価値観①:日本で?

ここで一つ価値観が壊れている。
僕らは「日本で」過ごすことだけが選択肢なのだろうか。

息子にとって

グローバル・ダイバーシティといった言葉が叫ばれる中、息子にとって最適な住環境はどこなのだろう。
英語が話せることは最低限なうえで、文化理解が重要なことも強く感じる。

そのためには、日本という世界でも特別な場所にいることが本当に最適なのだろうか。

日本に帰るとしても、「外国人が沢山いる街」や「観光地で人の流動性が高い街」などが理想なのかもしれない。

僕ら大人にとって

息子にとってだけでなく、僕ら大人にとってもそうだ。

今まであまり関心が無かったが、「地方」「観光」「街づくり」「自然」といったキーワードは世界一周をする中で強い関心事になっている。
特に、南米に来てから圧倒的な自然・地球を感じる機会が多い。

そして何よりも気になっているのが、昔から大好きだった「サッカー」だ。
僕は息子との時間が増える中で、「息子に素敵に育って欲しいからこそ、親が素敵に楽しんでいる姿を見せたいという想い」が強くなってきている気がする。
その考えを元にすると、サッカーを仕事にするのもいいかもしれない。

地方の街作りの楽しさと難しさはどこにあるんだろう?
サッカーを仕事にするとはなんだろう?
これを日本でするんだろうか?
日本でするとしても、世界と関わることで楽しさは増えるのではないだろうか?

今まで考えもしなかったキャリアのイメージが膨らむ。
勝手に諦めていたのかもしれないと感じ始める。

壊れた価値観②:正社員だけが全てか?

前職をやめる際、業務委託という形で「営業コンサル」のお仕事をくれた方がいる。

その方には今後もちゃんと恩返しをするが、僕は一社に勤めなくても、日本にいなくても、お金を稼ぎ続けることができるのかもしれない。
方法さえちゃんと整えられれば生活できるかもしれない。

営業コンサルという業務も楽しい。
自分の知識やノウハウで誰かに価値提供できることは楽しい。

加えて、実際に世界一周中に「旅をしながら仕事をしている同世代の人」に何人も会った。
みんな楽しそうにしていた。

一方で、本当にこれだけを続けたい、増やしたいんだろうか。
世界を旅しながら仕事がしたいんだろうか。
今まで考えもしなかったことがぐるぐると頭をめぐる。

まだまだ迷い続けているが、猶予は半年ある

この話はチリのアタカマという街にあるおしゃれなカフェで話す中で少しずつ整理された話である。
話したドイツ人とはウユニからアタカマに向かう2泊3日のバスツアーで出会った。

本当に気さくな人たちで、3歳の息子に満面の笑みと外国人特有の素敵なテンションで話しかけてくれるサイコーの友人だ。
ドイツ人ということだが、親の出生や育った街はばらばらで、その育ち方もダイバーシティが当たり前になっている価値観を築いたのかもしれない。

この考えがギリギリ文章にできたのは、彼らと話したからだ。
彼らも同じように、「これからのことは分からないし、今までと常識が変わっている」という話をしていた。
そして、これはもちろん仕事の話ではなく家族や子育て、要は「生き方に関する変化」の話だ。

みんな同じ。日本だけではなく、世界中みんな同じ。
そしてその状態を彼らは楽しんでいるように見えた。

難しい時代・エキサイティングな時代に生きている。
色んな事を選択できる令和の時代を30代で迎えられた僕らは幸せなのかもしれない。

半年後には、何をするか決めないといけない。

「仕事のやりがいではなく、生きがいを見つけたい」のかもしれない。

世界一周の途中でこんなことを考えていたんだと後で振り返えられるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?