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28年前の猛暑の臨月。


臨月の一歩一歩や大暑の日


我がつぶやき俳句、実景である。

     ・・・・・

「狭いなあ」

主治医がつぶやいた。
何がって? 私の骨盤。
1994年初め、私の第一子の妊娠確認後の主治医の言葉である。
もともとお尻は小さめだとは思っていたが、そうか、骨盤が小さいというのは「安産からは遠い」ということなんだな、と初めて具体的に理解した。


「大きいなあ」

その数か月後、腹部エコーをしつつ、主治医がつぶやいた。
お腹の子は、普通の子より成長がいいらしい。
え?私の子が「でかい」とな? 信じられない。


「多いなあ」

今度は何?
へえ、羊水の量が、これまた普通の人より多いらしい。
羊水多いといけないのかなあ?と漫然と思う。

(ここまで、ちょっと吉田さんの作品の真似っこしました笑)


ということで、骨盤が狭く、胎児は大きく、羊水の多い、私の妊婦姿は、日が経つにつれ、お腹が前面に驚くほど突き出ていった。
私はそんなお腹を抱え、東京・駒込の実家の近くのマンションから、港区の東京慈恵医大の本院まで診察に通っていた。

前年の1993年、日本は冷夏であったのに、1994年の夏は記録的猛暑。


出産予定日は8月10日。
私は、過酷な臨月を過ごしたのである。

臨月となれば、多くの方に、例えば自分の足の爪が切れない、などの不自由はあるとは思うけれど、私の場合は、履く靴さえ見えない?状態で、下方はほとんど、感頼り(笑)
当時は、32歳で、決して早い初産ではなかったけれど、それでも、まあまあ若いから乗り越えられたのかなあ、と今となっては思ったりである。


臨月の一歩一歩や大暑の日

まさに、これだ。


結局、それこそ大暑を過ぎた7月最終週の診察日、主治医が学会か何かで不在で、代理の先生による内診。それが妙に痛くて、帰りの電車の中でも下半身に違和感。そのまま夜を迎え、日が変わるころ、私は盛大に破水した。

その瞬間は、破水と気づかず、へ?っと思ったら、床が水浸しになった。
どうする? とりあえず、病院に電話をしたら、うまい具合に主治医が当直の日であり、

「あ~、それ、間違いなく破水だね。タクシーですぐに来て」と。

病院に着くや否や、車椅子に乗せられ、主治医に迎えられる。

「お腹、相当楽になったでしょう」

とニヤニヤ笑いながら、私のお腹はちらっと押される。

あ、確かに!!!!
あんなにカッチカチだったお腹が、心なしかゆるりと感じられる。

「え?何で?」
「そりゃあ、羊水そんなに出たんですから。まあ、羊水過多だったし心配してたんですけれどね」

はあ。。。そういうことかあ。

その後、私は、分娩室の隣の予備室(名前あったと思うけれど忘れた)で、延々と約45時間くらいを過ごした。
何せ、予定日より2週間くらい早かったので、子宮口はほとんど開かず、促進剤やら、バルーンと呼ばれていた恐ろしく痛い何やらを何度も繰り返されても、ほぼ効果は得られず、結局、タイムリミットの48時間間近に、

「切りますね」

ということに。
何人もの他の妊婦さんを、分娩室に行くのを見送った私が向かったのは、手術室だった。

      ・・・・・

あれから、28年。
この7月31日に、娘は28歳の誕生日を迎える。

そうですそうです、あのぬか漬け部長の、つる・るるるちゃんと同い年なの。

るるちゃんといえば!
ご結婚間近!
めでたい、めでたい✨


そして、娘は一年前には、note では、ツンと呼ばれていた(笑)


え~っと、昨年、娘と一緒にいた彼氏と、今の彼氏は(当然)違う。
だが!
ツンにもとうとう将来をともにしてもいいかも、という相手が現れたようで、るるちゃんに先がけ、この4月から同棲生活を始めたのだ。
幸せそうであるし、どうか、このまま安泰で、と私は密かに願っている。

(彼氏は、カメラマン。やはりツンは、計り知れない笑)


     ・・・・・

ということで、とても久しぶりに自分のことを書いた。
昨年の7月を振り返ってみたら、私、色々とやっていたんだなあ、とびっくりした。(既に忘れていた)

少し、創作、戻ってみようかな、などと思ったりでもある。
(俳句漬けすぎるかな笑)


トップ画像は、初孫と猫のシャル君。
いつも一緒にいるらしく、立てるようになった孫は、シャル君とよく外を眺めているらしい。
9月の初めに1歳になる。

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