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私たちの指輪物語

「どんな結婚指輪がいいか、リクエストある?」
ある晩、彼氏が言った。

真っ先に浮かんだのは、値段のことだった。
たとえ失くしたとしても、自分で買い直せる価格がいい。
どんなに大事にしていても、失くさない自信はないから。

現に私は学生時代に初めて彼氏がプレゼントしてくれた高級ボールペンを、もらった一か月後に失くした。
お揃いで持っている彼氏にさりげなくペンを借りてメーカーをメモし、こっそり買い直しにいったものの結局罪悪感から失くしたことを告白して「まぁそういうこともあるよ」と慰められてその懐の深さに感激したことを、いまだに鮮明に覚えている。

だからどうか、失くしても気持ち的にもお財布的にもそれほど痛まないものを。

そう言うと彼は、「あんたってほんと、ロマンに欠けてるよね……」と眉をひそめて言った。
いや、プロポーズしてない人に言われたくないよ!?

次に浮かんだのは、外しやすさだった。
いつもぬか床を混ぜるとき、私は利き手である左手で混ぜているからだ。

ぬか床を混ぜるときって、指輪はつけたままなんだろうか。
それとも、外してから混ぜるのだろうか。

いつかダイヤがぬか床のなかで外れてダイヤのぬか漬けができてしまったらつらいので、できれば指輪は外して混ぜたい。
あるいはダイヤの付いていない鉄製の指輪を選んだら、野菜の発色をよくするぬか床用鉄球と同じように使えたりするだろうか。
それはちょっといいかも。

夢中になって話していたら彼氏がどんどん呆れ顔になっていったので、それ以上考えるのはやめた。
でも、ぬか漬け部の部長としてはとても気になる。
日ごろ結婚指輪をはめている左利きの人は、ぬか床を混ぜるときにどうしているのかを。
もしよかったら、ぜひコメント欄で聞かせていただきたい。

さて、とりあえず私たちは指輪店に予約を入れ、休日に見に行くことにした。
一店目はショッピングモール内の、静かなお店。
事前にゼクシィで目星をつけておいた指輪の写真を見せて、「やっぱりこう、うねうねっとしてる方が外しやすかったりします?」と店員さんに聞く。
「いや、外しやすさに関しては指のサイズと指輪のサイズの差が大きいですかね……むしろ指なじみのよさとかデザインを見て選んでいただいた方がいいかと」と遠慮がちに軌道修正を図られた。

まあ、そうですよね……。
そうそうにこだわりを捨てた私たちに、店員さんは指輪選びのための二択を繰り出していった。
「指に対してストレートな指輪がいいか、斜めやV字形の方がいいか」
「ダイヤの数、大きさはどれくらいが好みか」
「ダイヤの入り方は正面で華やかな印象か、側面や脇などのさりげない印象かどちらが好きか」
そんな話をしながら、二つの指輪を出して「よかったらはめてみてください。好きなデザインと似合うデザインも違ったりするし」と彼女は勧めてくれた。

たしかにそういうこともあるよね……と指輪をはめようとして、怯んだ。
指の毛が、フッサフサだったのである。

日ごろ指輪もほとんどつけず、マニキュアなども塗らない私は、これまで自分の指をまじまじと見る機会を逸してきた。
それゆえ、指の毛はひっそりと気配を消していた。

でも、今日は違う。
指が、主役だ。

目の前に座る店員さんはいかにも綺麗な、清潔感のあるお姉さんである。
彼女の前でこのフッサフサな指に、指輪をはめていいのだろうか。
そこで、私は言った。

「私の指には、ちょっとこの指輪小さいかも……」

半分は事実だった。
私の手は、全体的にでかい。
ピアノを弾く友人からはよく、「るるるくらい手が大きかったらもっと演奏が楽なのに……」と羨ましがられてきた。
そして手の大きさに比例してか、私の指は肉付きがよく、骨も太い。
だからこの、ギリ関節を越えられそうだけど越えたら最後、抜けなくなりそうな指輪は正直はめるのが怖いのである。

これはいい言い訳だぜ、と心の中でほくそえんでいたら、お姉さんは「いけそうに見えますけどねえ。お手伝いしていいですか?」とにこやかに言った。

 断れない!!!


「……じゃあ、お願いします」
しぶしぶ前に進み出た私の指をそっと手に取った彼女は、薬指を包み込むように第二関節を押した。
すると指輪と指の間に、いまだかつて観測されなかった隙間が誕生した。
まるで、指が自分の意思でお腹を引っ込めたみたいに。
そしてその隙間をするっと通って、指輪は見事に私の指に収まった。

いきなり隣に指輪が入ってきて、戸惑っている小指

えー、すごい!ミラクル!!

はしゃいだ声でお礼を言いつつも、私の意識は指の毛に駆け戻っていった。
今このお姉さん絶対「こいつ指の毛長えな、サウロン(『指輪物語』の冥王)かよ」って思ったでしょ……。いや、サウロンの指の毛の長さなんて知らないけれど。

とはいえ指輪が自分の指でキラキラしているのは、やっぱり気分がいい。
きらめく私の指輪と、私の指輪と同じ形をしたダイヤのない彼の指輪を見せあってふへへと笑い合う。
とはいえ一店舗目で決めるのは早い。
抜くときももちろん彼女の助けを借りて、お気に入りの一本の名前だけ控えた私たちは次の店へと向かった。

ビルの一階にある次のお店は、ディズニーストアのようなかわいらしい雰囲気の店だった。
入った瞬間からなんとなく感じていたけれど、かわいすぎて居心地が悪い。
お店にはまったく罪はないのだけれど、私たちみたいなゴツめなカップルは不似合いすぎる。

ムキムキな彼氏がシンデレラに出てくるようなファンシーな鏡の前で指輪をはめる光景はめちゃめちゃおもしろかったものの、ここはギャップを狙いにいくところではないだろう。

ファンシーな鏡の前で指輪をはめる彼氏

私もいくつかはめてみたものの、関節に届く前に指が「いや無理、マジで無理っす」と悲鳴を上げていたので諦めた。
お店に置かれている指輪は、大半が10号らしい。
 せっかくだからと指のサイズを測ってもらったら、私の指は13号と判明した。
そりゃ指が拒むわけだわ。
ちなみに彼の指は14号。私とワンサイズしか違わないらしい。
 
とりあえず検討しますと後ずさるように店を出て、カフェでお茶を飲みながら指輪の感想を言い合う。
正直、どちらの店で買っても変わらない気がする。
形やダイヤの数、大きさや指輪の名前は違っても好みの指輪は似ているし、どちらを選んでも後悔することはないだろう。

「ていうかさあ、私の指の毛すごくない?超恥ずかしかったんだけど」
と彼に両手を広げたら、
「ほんまやん!でも俺の方が生えてるよ!
と、なぜか競ってきた。
 たしかに彼の指もフッサフサだった。

互いの指輪に対するこだわりのなさを再確認し、日を改めて三店舗目。
駅直結のデパート内の指輪店を選んだ。
一店舗目、二店舗目との大きな違いは、駅直結という点だ。
これから何度かサイズ直しやクリーニング等で通うなら、行きやすいところがいいよねという話になったのだ。
デザインとかブランド以上に、利便性を優先させたところがなんとも私たちらしい。
今度はきちんと指の毛を剃って、いざ。

店員さんにこれまで見てきた指輪の好みを伝えると、彼女は手際よく似たデザインの指輪を何本も持ってきてくれた。
そして「指輪選びっていうのはトーナメント戦ですから!とにかく二択で“これとこれならこっちが好き”って比べて勝ち抜いた指輪が、お二人にぴったりの一本ですから!」と目をギラギラさせて言った。

お姉さんの勢いに気圧されて、私たちは結婚指輪トーナメント戦を開始した。
が、そもそも私たちは指輪に特別な思い入れがない者同士。
トーナメントは、泥試合になった。

たしかにこっちはずいぶん捩じれてんなーとか、そっちはダイヤがびっちり付いてんなーとかいう違いはわかるのだ。
けれど、「このくらいの捩れ感が私の指にぴったりよ!」とか「この輝きの広がり、気に入ったわ!」みたいに自分の指に引きつけて考えるのは難しい。
ちゃんと薬指にはまっていないからだろうか。
指の毛という懸念事項は剃り落とせても、指が太いのは一朝一夕には変えられない。

いきなり結婚指輪をはめられて恐れおののく小指

それでもなんとかトーナメントを繰り返して、やっと決勝までたどり着いた。
やや細身の波のようなデザインの指輪vs両サイドにダイヤがあしらわれた上品な指輪。

「どっちがいい?」と彼に聞かれて、「デザインとしてはどっちも好きだから悩むなぁ」と保留にする。
「あなたは?」と何気なく聞き返そうとして、ぐっと喉にブレーキがかかった。
 
「あなた」なんていかにも妻ぶってるみたいな呼び方、ここでしていいんか?
「この人、妻を先取りしてやがる!」って、店員さんに思われない?
だからといってあだ名で呼ぶのは、会社で「うちのおばあちゃんは〜」と言ってしまうのと雰囲気的に近いヤバさがある。
焦りと葛藤をくぐり抜けて口から滑り出てきたのは「おまえさん」だった。

えーーー!?!?


 自分で言っておいて、私がたぶん一番驚いていた。
そんな呼びかけ方、したことないんですが!
どんだけ自意識過剰だよ!
時代劇かよ!

「おまえさん(笑)」
いや彼氏、復唱しなくていいから!!!

ところが店員さんは、プロだった。
顔色一つ変えず、「ささ、新郎さまはどちらがお好きなんですか?」と迫った。
「いや、私も正直ペアで付けられるものであればなんでもいいんですけど……」
決めかねてむにゃむにゃ言う私たちにしびれを切らしたのか、店員さんは「お二人とも指が長くてしっかりした手なので、ちょっと存在感のある指輪の方がお似合いだと思います。この二つなら、この後者の方です」と決勝で火花を散らしている片方を指さした。
プロが言うなら、そうなんだろう。
一瞬顔を見合わせて、私たちは「じゃあ、それで」と頷いた。

「彼氏さん、ずいぶん熱心に選んでくれてましたよね。実はかなり珍しいと思います」
彼がトイレに立っている間に、店員さんが言った。
そういえば私のダイヤが入っている位置に自分はマット加工を入れたいとか、こっちの方が年を重ねても違和感のないデザインなんじゃないかとか、けっこういろいろ考えてくれていたっけ。
さらにいえば指輪店への予約、当日の道案内、気になる指輪のスクリーンショット、全部彼がやってくれていたような。
私はただ「リーズナボゥで外しやすい指輪がいいわ」とリクエストして、当日はのこのこ彼についていっただけだ。
ひょっとして私の彼氏って、相当いいやつなのでは……?

照れ隠しに店員さんに、「私は左利きでぬか床持ちなんですけど、右手の薬指に結婚指輪って変ですか?」と聞いてみた。
「うーん、意味合いが変わっちゃうからこだわりがなければ左手薬指が無難ですかね。それにダイヤもプラチナも強いから、ぬかの匂いは移らないと思いますよ」
そう断言されて、それなら左薬指にしておくかぁと納得する。

トイレから戻ってきた彼氏とその後いくつかの手続きを経て、約一か月後に指輪を引き取りに行くことになった。
家に帰る途中、電車に揺られながら彼が言った。

「三店舗目のよかったところは、ドリンクメニューにコーヒーと紅茶があるところだな」

あんた、そこチェックしてたんかい!
そういやドリンクの選択肢は、一店舗目ではミニペットボトルの水か紙パックのリンゴジュースかおーいお茶、二店舗目では常温の水か冷たい水だった。
たしかに三店舗目はコーヒー、紅茶、水があって、あったかいものと冷たいものが選べる超手厚いメニューだったけれど!

正直どこのお店にもなんとなく気に入った指輪はあって、どこで買っても十分だったと思う。
結局購入の決め手になったのは、「やたら記憶に残る思い出ができたお店だから」「店員さんの押しがひときわ強かったから」「ドリンクメニューにコーヒー、紅茶があったから」そんな指輪本体とはあまり関係のない理由だった。
けれど、そこそこに長い旅を経て手にした指輪だ。
ぬか床にダイヤを落とすことがないよう、大事にしようと思う。

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