茜@双極性障害

双極性障害、パニック障害、全般性不安障害を発症したことにより、大きく価値観、環境が変化…

茜@双極性障害

双極性障害、パニック障害、全般性不安障害を発症したことにより、大きく価値観、環境が変化。聴覚情報処理障害、相貌失認(軽度)、聴覚過敏、前述の精神疾患で生きづらさは日々感じている。癌になりそうなものを抱えて恐怖と闘いながら、音楽に助けられて生きている。

最近の記事

大人の嫌がらせ

この歳になっても、女性特有の「嫌がらせ」はある。 それに今、悩まされている。 仲間はずれ、事実を誇張した嘘を広めて私の印象を下げる、徹底した無視。 人と話すのが怖くなった。人に話しかけるのが怖くなった。声が出なくなった。 誰かを信じることが嫌になった。 大好きだった場所が、いつの間にか精神をすり減らす場所へと変わった。 もうそんなところ、捨ててしまえばいい。 逃げるんじゃなくて、自分の心を守る唯一の方法である。 4年前、仕事を手放したくなくて縋り付いていたら、心を壊した

    • フードコートでの話

      少し愚痴のようになってしまうことを許してほしい。 先日、人で溢れかえったフードコートで、空いている席がないか必死に探した。 5周くらいして、やっと空いているところを見つけた。 そこは4人用掛けで、私は1人だったため気が引けたが、もし席を代わって欲しいと声をかけられたら代わるつもりだった。 声はかけられなかったが、私はオムライスを買いに行った。 その場ですぐに出来上がったので、戻ってきて黙々と食べていた。 半分くらい食べたその時。 高校生くらいの年齢の女性が、私が座ってい

      • 春が来た

        人生で初めて、好きな人に面と向かって告白をした。 返事は「お願いします」だった。 それからずっと、幸せな日々が続いている。 元カレは「忙しい」を言い訳に、2ヶ月に1回会ってくれるかどうかだった。 「会いたい」と言えば「重い」と言われた。 「電話したい」も、「好き」も、何もかも「重い」と言われた。 私の好意は重かったらしい。 恋愛ってなんだ? 相手を想うことは重いことなのか? 恋愛ってめんどくさいな。 そう思って、恋愛からは離れていたし、もう自分に縁がないものだと思っていた

        • 私はきっと遅咲き

          バイトの面接に行ったが、またしても落ちて、もうこれで不採用は5回目だ。 就活でもしているのか?という気分になる。 せっかく、働こう!!という気持ちになっているのに、そもそも受からない。 2020年6月に退職してから何もしてないため、空白期間が長すぎるのかもしれない。 悔しくて、辛くて、たくさん泣いた。 そのため、勧めてもらった就労移行に通ってみようと思っている。 収入も何もないが、この先長い目で見て、将来的に安定して収入を得るために、通う必要があると思った。 高校生の頃に

        大人の嫌がらせ

          2024年の抱負

          2023年、長くも短くもない1年が終わった。 とても充実していた。 経験したことがないことを、良くも悪くもたくさん経験した。 年を越して2024年。 頑張りたいことが主に2つある。 1つはアルバイト。 2023年は、4つ受けて全部落ちた。 空白期間が長いからか、私の受け答えが良くなかったのか。 バイトに受かるところから頑張らなければならないが、自分で少しでも稼いで、生活費や趣味、貯金に充てたい。 職種は何も決めてない。合わなかったら辞める。次を探すの繰り返し。働いてる人が

          いつもの私の恋愛パターン

          「良い人、完璧な人」に対しての評価は、いつだって減点方式である。 「印象が悪い人」に対しての評価は、加点方式である。 人として、異性として、好きになる人というのは、もちろん前者だろう。 印象が悪い人をなかなか好きにはならない。 私の恋は、一緒にいて楽しいな〜から始まり、いつも良いところばかり見て「この人は良い人だ!完璧な人だ!私にないものを持っている!」なんて舞い上がるところへと続いていく。 付き合っていても、片想いでも、その人のことが好きでたまらないのだが、結局自分の中

          いつもの私の恋愛パターン

          居場所があるということ

          最近noteを更新できていなかった。 少し忙しかった。 負担ではないが、身体的に疲れてしまい、しばらく動けなくなる、また動く、疲れて動けなくなるの繰り返しで日々を過ごしていた。 あれだけ行きたくて行きたくて仕方がなかったライブも、前に比べると、行く頻度が減った。 ライブでしかストレスを発散できなかったし、生きる意味も理由もなかったのに。 新たな居場所、夢中になれるものができたのだ。 学生の頃まで、どこにも居場所なんてなかった。 社会に出ても居場所はなかった。 退職して、コ

          居場所があるということ

          人はなぜ他人(ヒト)と比べるのか

          最近、他人と比べて自分が嫌になることが多い。 それなら比べなければいいじゃないかと思うが、そう簡単な話ではない。 そもそも、なぜ比べてしまうのか。 私なりに出した答えは「自分の現在地を知りたいから」。 今自分は、周りから見て劣っているのか、優れているのか、それが知りたいのではないかと思う。 劣等感を感じたいわけではない。むしろその逆で、「他人よりこれだけ優れている!」と優越感に浸りたいのかもしれない。 しかし、全てにおいて他人に勝っているわけではい。 だから、落ち込むのだ

          人はなぜ他人(ヒト)と比べるのか

          違和感

          「茜は幸せになるべき人だよ!」と本当に頻繁に言われる。 その時は嬉しい。嬉しいのだけれど、違和感があった。 幸せを願ってくれるのはありがたい。 だけど、なんで、今、私が幸せじゃないことが前提なのか。 精神疾患を抱えてるから?無職だから?身体的な病気もあるから? そんなことで、私を不幸な人だと決めつけないでほしい。 私は今、はっきり言って幸せだ。 行きたいライブに行って、大好きな音楽を生で聴くことができて、ベースを弾いて、重低音に浸って、ご飯を食べて美味しいと思って。 それ

          諦めた理解

          幸せは共有できる むしろ、共感して共有したい つらさは人それぞれであって、簡単に「分かる!」なんて、言われたくないものだ 共感したくもないし、されたくもない ライブのMCで、バンドマンが「自分の人生、誰かに語られてたまるもんかって思うんですよ」って言っていて、その時はその意味が分からなかったが、ようやく理解できたような気がする 私は自身のつらさを誰かに理解して欲しくて泣き叫んでいたけれど、もう理解などされないと諦めることにした そして、「私のつらさを誰かに理解されてたま

          モヤモヤすること

          「ねえ、私(僕)って鬱かな、、?」と聞かれることが増えた。 話を聞いてほしいだけの人、一時的に落ち込んでるだけの人、昔の私に症状が似ていて受診を促した方がいいかもと思う人、さまざまだ。 カウンセラーでもなければ、医者でもない。 経験談でしか寄り添えない。 全員、話を聞いた上で「精神科で診てもらったら?」と言うが、大抵「もうちょっと頑張る」と言われる。 なんだか踏み台にされてるようで、いつもこの手の相談にのるのが嫌である。 私のことを思い出して、連絡をくれるのは嬉しいけれど

          モヤモヤすること

          大丈夫の物差し

          友人A「仕事きつい、大丈夫じゃない」 友人B「しんどいけど、なんとか大丈夫」 友人C「全然大丈夫」 こう並べると、1番元気なのは客観的に見てCだと思うだろう。 だが、「大丈夫」は人によって全然違う。 AやBだけが大変だと言っているわけではないが、きっとCも大変なのだ。 私たちは人の心の奥底の気持ちまで、到底分かるはずもない。 その口から出る言葉を信用するしかないのだ。 「大丈夫なんだね!じゃあもう少し頑張れ!」などとCに声をかけると、壊れてしまいそうだ。 人それぞれ、元

          大丈夫の物差し

          出逢えた音楽

          この一年、もちろん友達や家族にも支えられたが、生きる原動力となったのは、やはり音楽だった。 ずっと好きなバンドのライブに初めて行くことができた。 何年も好きなバンドのライブに何回も行くことができた。 偶然出会ったバンド、それもきっと必然だったんだろう。 コロナ禍で、ライブの形が大幅に変わり、今もまだ、コロナ前には戻ってない。 一部では声出しオッケー、このライブでは声出しNG、そんな曖昧なルールで、正直混乱している。 ダイバーのせいで負傷したこともあった。 スタッフさんに

          出逢えた音楽

          生きたいと死にたい

          今日の診察で、「先生、私、1年前とか2年前とかは"死にたい"しか思わなかったけど、最近、色んな病気が降りかかってきて、あんなに死にたかったはずなのに"死ぬのが怖い"って思うようになったんです。」と私は言った。 先生は私を笑うことなく、「うん、良かった。」と言ってくれた。 死ぬことに恐怖を感じることは"普通"なのかもしれない。 ただ、精神的な病気のせいで、ここ最近感覚がバグっていた、とでも言おうか。 ただ漠然と死にたかった。死にたくて涙が止まらなかった。そんな日々が続いた。私

          生きたいと死にたい

          私の今年の漢字

          自己紹介編を書いているところだが、長くなりそうなので一旦下書きに置いておいて、少し遅くなったけれど私の今年の漢字はなんだろうと考えた。 「生」だと思う。生きた。生き抜いた。まだ今年は終わってないけど、苦しい中で、絶望を感じながらもよく生きたと思う。 たくさんライブにも行って、「生」の音を沢山聴いた。 3月には、3回目のコロナワクチンを打ったせいで、2週間ほど副反応に悩まされた。熱が上がったり下がったり。下痢。吐き気。頭痛。薄めずに打たれたのか?と思うほどで、病院に行った

          私の今年の漢字

          明日

          明日が来るかなんて分からない。 だからこそ今日を必死に生き抜くと決めた。(それは昨日の投稿で書いた) しかし、生き抜いたその先の明日が幸せで満ち溢れているかと聞かれれば、否。 来てほしい明日がある。 来てほしくない明日もある。 ただ私は明日が来るのが怖い。不安だ。 人間に唯一、平等に与えられているものは時間だと思う。 どんなに時間に抗おうとしても無駄だ。 時間を早めることも遅めることもできない。 明日は私にとって「来てほしくない明日」だ。 しかし、明日は楽しみで仕方が