1月を振り返り、今気になっていること

なんなんでしょう。僕はやっぱりよく分からないというか、なんで生きてるのか分からない気持ちになりますね。何を目標にしたらいいのか…といった感じです。

去年ほどではないけど鬱屈した気分になる時もあれば、ならない時もある。

これを書いている今はなっていない。

気分が落ち込んでも落ち込まなくてもたぶんその気持ちは変わらない。

というわけで、1月の振り返りとしてこの記事を書いていますが、相変わらず僕は僕で変わったところもあれば変わらないものもあります。

今思い返せる限り、1月は東京タワーに初日の出を見に行って、2019年の問題が一区切りついた気がして、演劇のワークショップに行って、劇団四季のシアターに行って、最後のゼミがあって、殺陣をやって。バイトもいくつかやった。

そこそこやってはいる。全くやっていないのではない。

だがこの物足りなさはどこから来るのだろう。

わからないことがあります。

バイトの面接の帰り道でした。

僕は新たなバイトを探して都心へ面接に赴いたのでした。オフィス街。お昼休み。30代くらいの人50代くらいの人。スーツ着て歩いてる。サラリーマンって感じ。全員がつまらなさそうに道を歩いているわけではない。

この世界で生きていくにはお金が必要だ。>ーいやそれは嘘だ。自給自足すればお金はいらん!農家になろう。でも農家も農作物売り買いしてるよ。お金使ってるじゃん。本当にお金を使わない生活がしたならそういう生活してる場所に行くしかないのでは?それって隠者?それは勘弁。じゃあ言い換えてみると…ー<僕にはお金のある生活が必要だ。


僕は派遣バイトをいくつかやった。そこで思ったのは、職場にも悪くない人いるじゃんってことだった。僕は働くことが本当に嫌だったんだけど、それはバイト先での嫌な経験や過労死や満員電車のギスギスした空気だった。ずっと嫌な経験に囚われ続けていたけど、最近変わってきていて色々がんばれていると思う。派遣をしている理由はシフト管理が楽であることと、時給が良いこと、といろんな場所を知れることの3つだ。派遣だからどの現場も初めてで適応すべきことはそれなりにあったんだけど、自分の適応力と職場の人のおかげでなんとか職務をこなすことができた。つまり、あの忌まわしき職場体験が全てではないと知ったのだった。

だから、たぶん僕は働くことは普通にできるのだと思う。職務を選ばなくても周りがそこそこいい人であれば。逆にこれまでの職場での体験が悪かったのだ(僕のマイナス思考のせいも大いにあるだろう)。

こうして働くことへの怖さが幾分か減って、お金をもらうためだけだったら僕は普通に働けるんだろうなって思った。生きるのにはお金が必要だからさ。働くってことへの至極まっとうな理由だ。それ以上も以下もない。まあそれ以上はあるかもだけど。ともかくお金には仕事が必要で、今回僕はお金のために働いた。普通に働けることが分かった。普通に就職しても働けそうだなって思った。もちろんバイトで基本できるのはブルーカラーオレンジカラーの職だけだからホワイトカラーと比較しても仕方ない。でも僕は頭を使うほうが好きだしその分向上心もあるので逆にブルーのほうが職務的に苦手だと思う。苦手な職でもそこそこできた経験を積めたから予めできそうなホワイトカラーの職はできそうだなって思った。もちろん未経験の僕にとってホワイトカラー職ができる保証なんてどこにもないけど。

ともかく、働くことが嫌だった僕は、まず多くの人にとって働くことの第一目標である「お金」のためにに働くことはできるんだって思った。

と同時に、それだけでいいのか?と疑問が湧いた。経済的自立は人として生まれた以上大人への成長を遂げる上で絶対に必要な事柄の1つだ。でもお金だけもらえてればそれだけでいいのだろうか?僕は言葉にしたくないけど、それを嫌というか物足りないというか悲しいというか、ともかくそれじゃたぶん嫌だった。なんで言葉にしたくないかって言うと、僕には仕事にお金以上の何かを求めたいと叫ぶ自信がまだないからだ。だから僕は仕事にお金以上のなにかが欲しいとは言えない。正直言いたくない。でも、僕はお金のためだけに仕事をするのは物足りないと、それだけは今自信を持って言う。

もう1つ仕事とお金について疑問が湧くエピソードがある。それは一人暮らしを始めようとしたことだ。一人暮らし。家賃5万円代の物件でするとしたら最低15万は必要らしい。家賃は収入の三分の一と言われているからだ。僕は最低ユニットバスが必要だったのでその条件で探したところ家賃は5万円周辺となった。初期費用は15万~でその後も家賃食費生活費交際費などのやりくりが必要だ。

15万を捻出しなければならない。時給1,000円でフルタイムで働いたとしておよそ16万だろうか。それってもう普通に正社員としてそこそこ自分で考えて決めた会社で働いたほうが良くないか?つまり、普通に就活して働いたほうが良くね?キャリア的にもお金的にも。って思った。

正社員にならないメリットは自由ということだ。正社員なら拘束時間が毎日ありまとまった休みも取れないが、バイトなら休めるってか辞めれる。

正社員になることは大学生であることをやめるということでもある。そう考えたとき、僕はどう思うか。僕はまだ大学生でいたいのだろうか。正直僕はまだ大学生でいたい。周りは休学は最低1年と言う。休学2年は多すぎるだろうか。うーん。

というわけで、もろもろ考えた結果が僕が前から興味のあった会社でのインターンだ。

一人暮らしする場合→お金が15万以上必要。でもお金のためだけのアルバイトで15万はきつい。→お金をキャリアを両立できるインターンだ!

正社員になればお金もキャリアも両立できるのでは?→まだ大学生でいたい。

そもそも一人暮らししなければいいのでは?→うーん、お金もきついし気持ちはわかる。でも一人でいたいんだ。それに一人暮らしは全く未知の経験だから何か得るものがあるんじゃないかって思うよ。それにずっと言ってきたじゃないか一人暮らししたいって。ずっと行動に移せなかっただろう?いい機会だよ。

家にいたくなくなったらどうする?誰かに貸すよ。あては2人いるよ。

2年間。5,5万で132万、5万で120万円だぞ。ええのか?車買えるぞ?欲しかっただろMT車?家にいたらそれだけのお金が浮く。家にいながら働くって選択肢はないのか?無い気がする。なんか、家にいたら何もかも始まらない気がするから。一人暮らしと仕事はセットであり、120万失ったとしても、僕は一人暮らしと自分で決めた仕事がしたいのだろう。それに君はお金だけじゃない仕事を見つけに行くんだろう?もし一人暮らししなかったらお金だけじゃないなにかも得られなくなるかもしれないよ。120万は無駄だろうか?君の命を君の住を保つための120万だ。君が生きるための値段だ。(なんかこれ海辺のカフカのカラスとの会話みたい)

家借りるだけで1日1600円の出費だ。それに食費。少なくて1,000円。多くて1,500円。大丈夫か?一日3,000の出費だ。生きているだけで(笑)生きているだけなのにお金がかかる(笑)生きる意味も大して感じられない世界で生きているだけで3,000円(笑)。自分を生かすために3,000円分働かなくてはいけない働きたくないのに(笑)まあ働きたくないのは嘘で、もし全ての仕事が人のためにあるのなら僕はすすんで僕ができるものを与えていきたいと思う。ただ今の最も大きな原因は自分の価値が自分でわからないことだろうな。自分で測るすべを知らないとも言える。

人を養えるだけのお金を耐え貯めてきた親はそれはそれですごい。僕の生き方とは違うけど。でも正直に言えば尊敬と感謝をせざるを得ない。

ともかくお金がかかるのは事実だ。この世界を生きるに値するものに自分でしなくてはならない。さもなくば自分は死んでみたらいいと思う。いつだって死は許されている。だって自殺を強制的に止めさせる法もロボットも人もいないでしょ。

だからって簡単には死にたくないよ。なんかまだやれると思う。そこまで諦めてはいないしそもそも死は怖そうだし。

だから、働き方について本当に考えなくちゃいけない。

時給1,000円ではだめだ。

お金とは人に与えた価値の量だと言っている人がいる。もしそうなら僕はたくさん与えたい。それはお金がほしいってわけじゃなくて人のためになりたいって意味なんだけどでもうーなんと言うか、そう考えれば人に雇われるだけに縛られず自分の意志で生きていけそうなんだよ。


偉業をなした人はなぜ偉業をなせたのだろうか。誰か大切な人がいたのかな。まあ偉業なんかなしてなくても関係ない。家族のためでも恋人のためでも友人のためでも推しのためでもペットのためでも趣味のためでもなんでもいい。でも何かを成した人はどうやってあんなにがんばれたんだろう。誰か大切な人がいたんじゃないだろうか。もし何か望めるならそう思える人が欲しい。それって推しのために生きるとほぼ同義じゃん。はは。僕が思い浮かべる人はアイドルとかではないんだけども。

最後に、どんな働き方がしたいのかちょっと言ってみる。

やはり表現かもしれない。ただ、それも違う。

一番正確に言うなら、僕は世界を感じて世界を伝える。伝えるだけじゃなくてより良いものにしていく。創る?うーん。僕はどんな世界にコミットしたくて僕はどんな作業が得意なんだろう。何をしたいと思うんだろう。

アニメ関連で話が飛ぶと、最近やっと気づいたことは、理想と幸せと現実は違う。理想と現実は対局にいるかもしれないが、理想の中に幸せは含まれていない。理想通り生きても幸せにはなれない。言い換えるならアニメのように生きることを望んでも必ずしも幸せにはなれない。なぜならアニメは理想だから。どんなにリアリティーがあっても筋書き通りのある物語なら理想だ。現実ではない。でも人の心の中にも物語がある。人の認知方法としての物語だ。人は因果関係をつけたがるんだって。心がネガティブになると全てをネガティブと結びつけちゃうから苦しくなるって。過去と今と未来は必ずしも全てつながらない。筋書きはない。あったとしても確実に報われる筋書きはないし、間違ったことをしてたらもちろん成果は得られない。(間違ったことが悪いわけではないし、なんなら後に生きるだろう。)男がどんなにピュアな心を持って女を思いつづけても能力がなければ能力のある男には負ける。だから能力があって思いの強い男にならねばならん。(別に最近失恋したわけじゃないよ!)

物語は人を救うべきだとは思うけど理想に毒されて現実に絶望するのは違うと思う。アニメと比較してたら話にならない。自分の場合はね。でもアニメのように意志を強く生きることができたらいいなと思う。でもそれは結局自分の善の心に従って生きるということで、アニメは関係ない。恋愛アニメにたいていセックスは映されない。生きるということは映されない。伝えたいメッセージに不必要な部分は映されない。生きるとはあまりにもかけ離れている。

僕はこの世界で何を感じていたいんだろう。この世界は何だってある。なければ作ればいい。作れるかどうかは置いておいて。腹が減りすぎて死ぬ人だっているし殺されて死ぬ人もいる。自殺する人もいる。望まれて生まれる人もいれば望まれずに生まれてくる人もいる。虐待されて死ぬ人もいれば虐待されて生き残って今を生きている人もいる。世界がつまらないと思っている人もいれば世界が楽しくて仕方ない人だっている。聖者だって悪者だって同じように飯を食う。死だって千差万別で生き方だって千差万別だ。考えを絵に描いた餅のままにする人もいるしね!自分はこの世界のどこにいたいんだろう。どういう人と関わっていたいんだろう。どのような世界を摂取していたいんだろう。僕はそういったものを目の前にしてどんな行動をしていたいんだろう。

きっと世界は自分の想像以上に広いのにきっとどんな瞬間もあっけなく進む。自分の頭だけは多少自由が効く。まあそうじゃない人もいるけど。昔の自分がそうだったけど。

僕はどんな世界を見ていたいんだろう。僕は何をしていたいんだろう。

僕は世界をもっと生きる価値のあるものにしたい。自分の世界を、他人の世界を。生きることに意味なんてなくても、与えられた幸せをいくらでも嘘と思える世界でそれを上回る何かを与えられるでしょうか。それは何でしょうか。

そんなこと思っていても、結局はどうやら他人の目に見えるものにしなくてはならないのは百も承知。どんな手段なんだろう。その方法を今模索しているとともに、自分がどれほど説得力のある人間になれるか考えながら今生きています。まずは自分の世界を生きる価値のあるものにしなくてはなりません。自分が自分を模索する中でどんな経験ができてどんな人と会えるのかとても楽しみです。

そんな感じで次の行動に自分を持っていきたいと思います。

今回はバイト経験や趣味経験を通して湧いた考えを言葉にできてよかったです。

たぶん2020年1月を振り返って生まれ、今とても気になっているものはこういう思考なんでしょうね。

以上です。ありがとうございました。

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