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【短編】そんなことのせいでキスをした

今年で20歳になるというのに、きゅうたは人並みの恋愛をしたことがなかった。というのも、彼がした事のある恋愛といったら、他の人が普通経験しないだろうと思うようなものばかりで、そもそもあまり人から好かれることもなく、誰かを好きになることもめずらしいという彼の特質からくる要因が大きかった。だけど、きゅうたは愛情深い人間だった。友達が倒れた時は30分も走って看病しに行き、バスでは妊婦に席を譲って、その人の荷物を負い、死に至る患者の存在を知ると、Twitterでメッセージを送れないかと苦心をし、それでいて正義感は強く、それでいてくだらない喧嘩には首を突っ込まなかった。食事は少食で、痩せていて、優しそうな面持ちでありながら、どこか自分に厳しいところがあり、いつも自分が「今後どのような人生を歩むのだろうか」と悩み、悩みながらもそれをどこか他人事のように感じていて、いつも結論は出なかった。そんな彼はよく、「出会って3ヶ月が勝負!」と言われていた。でも、どうやって、たったの3ヶ月で好きになれるだろう。愛することも出来ないのに、好きになるだなんて。

きゅうたには時間が必要だった。だから、彼は、よく「この人と最近会ってないな」と思う女の子を誘って遊びに出掛けていた。もちろん、遠くに住んでいる友人と、その場合は男女問わず、そのように遊びにいくこともあったけど、とにかくすぐ遊びに行ける距離にいる女の子とそんなふうに遊ぶことがよくあった。
友達は少なくない。「いい人止まり」の特権だが、だからこそ、傷つくこともよくある。高校生の時、親友の女の子が失恋をした。勘の鋭いきゅうたも気がつかなったが、彼とその親友と同じ部活の男の子との恋愛だった。きゅうたはその女の子のことを愛していたが、「好き」では無かった。だから、学校の帰り道で一緒に帰りながら失恋の報告をしてもらっていた時は傷ついた。
「なんで君の隣を、私、泣きながら歩かなくちゃならないのよ。ベットの中で散々、明日は彼と歩けますように、なんて願ったせいよきっと!」

きゅうたはきゅうただ。他の誰でもない。でも、「誰か」のきゅうたにはなったことが無かった。その代わり、「みんな」のきゅうただったり、あるいは「誰かがいない時」のきゅうただった。
昨日カラオケで半年ぶりに会った女の子は、いきなりきゅうたにキスをした。ついさっき「しばらくは恋愛はいいかな。勉強とか、色々集中したいし」と言っていたのに。でも、きゅうたは驚かなかったし、受け入れたし、大人だった。でもなんだろう?彼女のことを好きになりそうな気持ちと、それはすこし良くないんじゃないかという直感が、きゅうたの心臓と胃の間に渦巻いていた。そして、何度も何度もキスをした。

きゅうたはよく、感情の起伏が激しいと言われるが、家でひとりの方がよっぽど感情の吐露が激しかった。大学生で初めての一人暮らしをして、同じ屋根の下で自分のことをよく知っている人がいないというのは、不便だと彼は思った。相談できないからではない。羞恥心が薄れるからだ。どれだけ叫んでも、どれだけ泣いても、かまわないからだ。きゅうたは多分、この時また失恋した。そして、またいいように使われたと思った。きゅうたは今でも、誰かを恋人として抱いたことが、ない。もう、お酒を飲める歳の男の子だ。

きゅうた、もう少し泣いたらいいのに。どうして、私の前では泣けたのに、他の人の前では泣けないの?ずっと昔、子供ながらにとても円熟していた私たちは、誰にも知られない関係だった。小学1年の時、朝早くに、よくふたりだけの教室で話していたよね、色んなことを。最初は、どっちが早く学校に来れるかっていう競争だったっけ。よく私が勝っていたと思う。あの教室、職員室にも先生が全然いない時間、見た目だけ子供な私たち。あれが高校生くらいの時の出来事だったら、君の初キスは私だったかもしれない。そんなことのせいで私はきゅうたを好きだってことに気が付かなかったんだねえ。今でも愛しているよ。

きゅうたはいろいろなことを知っていた。白熊が実は白くないこと、死なない無数のクラゲがいて、大昔からずっと今まで海でぷかぷか浮いていること、でもそれを食べる魚や海がめがいること。その話を聞いたときに、クラゲにだけはなりたくないなって私が言ったのをずっときゅうたは覚えていた。そして時折「なんでクラゲが嫌いなの?」と言ってくるのだった。好き嫌いの話はしたことない、きゅうたと私、あるいは私とクラゲについて。だから、「何のこと?」と私は誤魔化したよね。やっぱり私たちが子どもだったのは、返すべきことばを知らなかったところかな。「覚えてねーのかよ」っていつも拗ねてたきゅうた。今でも同じように拗ねるだろうか。今でも「何のこと?」以外思いつかない。

いや、「白熊が白いのはなんでか知ってる?」って聞き返してみよう。答えにはなってないけど、拗ねたりはしないかもしれない。きっときゅうたは恥ずかしそうに顔を赤らめる。私がクラゲになりたくない理由は分からなくても、もっと大切な、そしてきゅうたにとっても大きな関心事について、「もしかしたら」という期待を寄せてくれるかもしれない。でも、いざその時になったら、私はきっと何も言えないかもしれない。教室にふたりだったあの時さえ、時間はゆっくりは進んでくれなかった。今となってはひとりでいても、あっという間に夜が来る。
どちらにせよ、私が言わなかったのは事実だ。もし伝えていたら、きゅうたは何か言ってくれただろうか。
海に浮かぶ瓶、その中に紙切れが入っていて、何かが書かれている。そういうことを彼は想像できるのだろうか。その綴られた思いが、誰かに拾ってもらえるのをずっと待たなくてはいけないということを、その寂しさを、彼は知り得るだろうか。
こんなにも多感で、繊細な男の子はいないだろう。だというのに、きゅうたは肝心なことを弁えていないのだ。

ありゃりゃ、私自身が語るつもりはなかったんだけどな。
閑話休題。きゅうたは、とにかく、そんなことのせいでキスをした。

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