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【短編】飲むようになる頃には

ドーナツ屋に入ると、すぐにその子供は僕を見つけた。母親の膝の上に立って僕の方を見て、笑いかけてくる。思わず何度かウインクして、レジに向かった。

コーヒーとドーナツを受け取ってから席に着くと、ちょうど隣にその子がいた。母親は、友人とおしゃべり中で反対の方を向いていたので、僕とその子は、お互い睨めっこするみたいに見合っていた。
母親が気がついて、嬉しそうにしながらもその子を向こう側に向けて座らせた。
僕は可愛かったなぁ、と思って、それをツイートしようかなと思いついた。

呟いた後に、LINEが来た。内容はよく覚えていないけど、すぐに返したと思う。
LINEを開くと、フロンターレが天皇杯敗退したというニュースが目に入ってきた。昨日知っていたけどねー、と思いながらもう一度それを読む。
それから詰将棋がTwitterにあったのでそれを解いていた。

ふと、さっきの子のことを思い出した。
そっちの方を反射的に見る。まだ反対側を向いて座っていた。

このくらいの子供は、表情から全てを読み取ってしまう。そうして、感情を学んでいくのだ。見られていないということにほっとした。そして、見られているということに気が付きもしなかったそれまでを、少し怖く感じた。さっきまでどんな顔つきで画面を見ていたのだろうか。
店内を見回す。机の上のパーテーションはこの期に及んでもあったのだが、それでも見える範囲にいる大人は、どれもかしこも同じように見えた。

大人になっていくと、こういう事が当たり前になっていくのだろうか。当たり前だと思っていたこと、おかしいと思っていたこと。思えば昔は、当たり前だったことがたくさんあった。高校に入る直前に、親父に連れられて行きつけのバーに行ったことがあった。そこの「ママ」は「君が大人になったら開ける。ここに名前書いとくからね!ハイボールくらいは飲むようになるだろうから」って僕に言った。確かに僕は今、家で一人でハイボールを飲んでいる。

「ママ」は場違いな僕に優しくしてくれていたけど、僕を可愛がろうとする店員を、僕と親父にバレないように咎める様子を、僕は、見逃さなかった。あの経験は当たり前じゃなかったと思う。そして、なぜだか心温まる思い出として刻まれている。親父が、成長する息子の前で、すこし背伸びをして大人の世界を見せようとする姿がそこには感じ取れた。母親は呆れていたけど、そんな男の背中が、なぜだか嬉しかった。そういう事があった。それは当たり前じゃない。でも、気づけなくなってしまうこと、当たり前だったこと、そういうことが頭の先から抜けてしまうのは何だか嬉しくない。
でも、お酒を飲むようになった頃から、そういうことって増えたような気がする。

当たり前じゃないと思っていた事ってなんだろう。
お酒が僕を、子供の頃のような幼稚さの中に引き摺り込んでいた。
何が当たり前じゃなかったっけな?何がおかしかったっけ?

お酒を飲んじゃいけない理由がわからなかった事。
どの大人も横断歩道を右手を上げずに渡っている事。
路上で誰かがいつも寝ているという事。
ひとりじゃドーナツを買う事もできなかった事。
日本語以外の言葉を知らなかった事。
水道を捻っても、水しか出てこなかった事。
女の子がピンク色を好きだと言っていた事。
公民館の畳の上でサッカーをしちゃいけなかった事。
小学校の同級生のギャグを先生だけが全く笑わなかった事。
絶対に合わないのに、どんな献立にも牛乳がついてくる給食の事。
人の話を聞かないといけないのに、僕の話を聞いてもらえなかった事。
でも、僕も逆の立場に何回もなっているという事。
こういう矛盾が僕を苦しめている理由の事。

それから、それから…。
何故、会話の途中に割り入ることは失礼なのに、電話に出ることはむしろ常識なのか。電話の持つ魔力の正体が全くわからなかった事。

答えが出ないまま、携帯電話の形はスマートフォンへと変わった。でもこういう常識、昔おかしいと思っていたことは、今も相変わらずだ。
そして、お酒の種類は一向にアップデートされていない。いつだってハイボールはある。
それに多分、酒飲みが思いつく事も、子供のようになるという事も、何も変わってない。そういう事だけが何も変わらずに生きた化石になっているという事を、酒で流しているのは、きっと僕だけじゃない。

あの時は、大人になったら来ようと思っていた。でも、今になって僕以外に、その約束を覚えているとは思えないし、僕の名前入りのウイスキーのボトルがあるという事も信じられない。そういう事って多分、誰にでもあるのだ。お酒を飲むようになる頃までには。

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