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「お金」は誰のために稼ぐのか。

お金が稼げることで、いいことって何だろうか。
高級なもの、ブランドもの、身体に良いもの、美味しいものを買えることだろうか。
お金を使えるという、「自由さ」「選択肢が持てる」ことだろうか。

確かに、お金があることで「選択肢」は持てる。
では、その「選択肢」は誰に向いているのだろうか。

わたしは、ずっと自分に向けていた。

お金が稼げたことで、治安もよく、住んでいる人たちも高収入がの人が多くて気がよく、質の良いものが手に入りやすく、お洒落なお店も多く、都市部にも出やすく交通の便が良いような、「いい場所」に住めている。

お洒落なものも買いやすく、高くても身体によいものや、美味しいものも買いやすい。

会社員で、ある程度収入の目処が立つことで「安心感」があり、「お金を使うこと」をひとつひとつ考えずともいられる。

だけど、「幸せ」か。

そう問われると言葉に詰まってしまう。

買ったモノに囲まれていても、それが高級だったり一般的に「価値」があっても、美味しいモノを食べても、その満足感は「買ったとき、食べたとき」が最高で、すぐに減っていってしまう。

そのモノ自体の価値は高くなかったとしても、自分のことを考えて「渡してくれたもの、送ってくれたもの」は、心を温かく満たすし、その温度は下がることがない。

誰かとの繋がりを感じられるものやこと、誰かのためになるものやこと、誰かと分かち合えるものやこと、誰かの力になるものやこと。

それらが、力を与えてくれるし、それらがエネルギーになり、推進力や行動力を後押ししてくれる。

誰かのためにお金を稼げること、誰かのために使えること、誰かのために動けること、誰かのために注げること。

そういうことが「幸せ」だし、そういうことは、また誰かの心に届くかもしれない。そして、何倍にも膨らんでいく。

誰かのために稼ぎたいし、誰かのために使いたい。
それを受け取ってくれる「誰か」がいることが「幸せ」なのだと思う。

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