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【湯守の話】(終)温泉は今日も巡り、守り手は出会いを言祝ぐ

拙作【湯守の話】をお読み頂きありがとうございました。
今回は最終回です。
女将、そして湯守として、温泉へのありったけの思いを綴りました。


「なぜ女将が湯守に?」

この役を引き継いでから約十年、これまで幾度となくそう尋ねられました。
湯守作業はほぼ戸外(山中)での力仕事。ともすれば危険が伴います。
番頭さんや宿の主人など、凡そ男性が担うというのが普通の感覚でしょう。

対する私の答えは三つ。

①男子禁制だから

湯滝風呂の裏手にある調整枡は、お風呂を間近に見下ろす位置にあります。
つまり作業のタイミングによっては、入浴中のお客様が丸見えになってしまうわけです。要らぬトラブルを恐れた私は、早々に男子禁制を決めました。

②温泉は温泉旅館の礎だから

この商売は、温泉があって初めて成り立ちます。
温泉の湧くところに温泉宿たる基礎が形作られ、世代を超えて人々が集える拠り所となるわけです。建物の雰囲気や料理など、他にも重要な要素はありますが、温泉(良いお風呂)をきちんと提供できなければ、どんなに料理が美味しくて部屋が綺麗でも、旅館としては台無しです。

だから、温泉は家主が全身全霊で守る。
男子禁制ですから、あとは言わずもがな。

②私自身が湯守でありたいと強く願っているから

温泉を温泉たらしめる中身は、昨日今日に生まれたものではありません。

かつて生命の一部だったもの。


その昔、空から降ってきたもの。

地球が誕生するよりも遥かな太古に
太陽のような星の炉から生まれたもの…

これらが天と地を無限に巡り、やがて地中で混ざり合って
地球の体温を纏い、再び地上に還ってきたものです。
気の遠くなるような長い年月と数多の小さな奇跡が、
その流れる温泉の一滴に詰まっています。

悩みも、苦しみも、積もりに積もった怨嗟の言葉さえも。
今という刹那を生きる人々の全てを癒して余りある力を秘めた
稀有な自然の恵み…それが温泉です。

どうして愛さずにいられようか。

人が滅多に立ち入らぬ西吾妻の深みから、
白布の源泉は今日も滾々と湧き続けています。
温泉のやさしさに触れる度、いつも言葉にならない感動を覚えます。
時間を忘れていつまでも寄り添っていたい、その行方を見届けたい。
お客様にはこの温泉に心ゆくまでゆっくりと浸かって、癒されて、
身体の芯から元気になってほしい。

決して、義務や理屈で湯守を引き受けたわけではありません。
宿の灯を掲げながら、温泉とお客様との一期一会を言祝ぐ
湯守としての誇りと願いが、今日も私を山へと強く導きます。

【おわりに】

地方の人口流出、少子高齢化、経済状況の変動…
古き良き温泉文化は今、時代の波に押されるように
少しずつその姿を失いつつあります。
私もあと何年頑張れるか分かりません。
温泉の在る時間と人の寿命はあまりにも違い過ぎる。
それでも、この身のあるうちは湯守を続けたいと考えています。
温泉の巡り行く先を、人の世の辿る先を、
西吾妻の深い山懐から今日も静かに見守っています。

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