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ギルドハウス十日町で「新型コロナ時代に対応する住まい」を考えた

このnoteの記事は #新型コロナ時代のシェアハウス というブログリレーに誘われて書いたものです。ほかの方々の記事もぜひご覧ください


わたしが立ち上げた《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》は、2020年の5月にめでたく5周年を迎えることができました。

このnoteでは、まだ5年そこそこの共同生活を踏まえたものですが、わたしなりに「新型コロナ時代に対応する住まい」を考えてみました。


シェアハウスではなく、個人の住まい

ギルドハウス十日町で共同生活をしている現11名の住人、これまでいっしょに暮らしてきた70名以上の元住人たち、来訪もしくは短期滞在をしてくれた延べ8,400人もの冒険者たち...。

たった6軒しかない山奥の限界集落にあるにもかかわらず、この5年間でたくさんの人の渦を作り出してきたギルドハウス十日町。

おかげさまでテレビの全国放送や雑誌・書籍に取り上げられるまでになりました。

シェアハウスのブログリレーに参加していてナンですが、常に10名前後で共同生活をしているものの、うちはシェアハウスではありません。

ギルドハウス十日町は、ただの住まい=個人宅です。

要は「西村さんち」であり、そこに「ギルドハウス十日町」という名前をつけて「住み開きの古民家」というコンセプトなどと共に「いつでもだれでも遊びに来ていいですよ。互いに気が合ったらいっしょに暮らしましょう」と呼びかけている、というわけです。

シェアハウスではないし、お店や宿でもない。

つまりは運営や経営という話でもありません。

あくまで個人の住まいにこだわっています。


どうやって個人の住まいにこだわるか

ギルドハウス十日町では住人と賃貸契約を交わしません。

また、家賃という言い方をしておらず、それぞれの無理のない範囲で生活費を出し合い、ひとつの家計を支えあいながら維持しています。

一般の賃貸物件ならば家賃だけで5万円以上かかるでしょうし、食費や光熱費・ネット代も足したら10万円以上しますよね。ですがギルドハウス十日町では食費込みで毎月25,000円が目安です。

余談ですが、ネット環境について補足すると、山奥にもかかわらず自分のパソコンの実測値で通信速度は400Mbps以上と非常に高速です。


...さてさて。

賃貸や民泊と一線を画しながら個人の住まいにこだわる方法はほかにもたくさんありますが

つまりは

サービスを提供する者

サービスを受ける者

という関係になるような要素を徹底的に排除しています。

それによって「いっしょに暮らして生計を立てている」という自主性が無意識に働き、絶妙な支えあいが成り立っているのだと思います。

(生後5か月の息子をかまってくれたり、わたしや妻の代わりに買い物してくれたりと、住人のみんなに感謝ですね)

だからこそ、うちを巣立った元住人たちとの関係が、いまでも心地よく続いているのでしょう。

しかも、いまやギルドハウス十日町を本家として、山形県、長野県、三重県にも親せきのような関係性のギルドハウスが誕生しています。

(先日は新鮮なサザエを送ってくれて、ありがとうございました)

さらに、ギルドハウスという名を冠さずとも心強い仲間たちの場が全国・海外にあります。

わたしは本当の実家では出来ないような会話や関係性も大事にしたいので家族を目指しているわけではありません。ただ、家族の良いところを取り入れているつもりです。これからもギルドハウス十日町を通じて血縁の有無にかかわらずみんなと心地よい関係性を築いていきたいです。

そのためにも、繰り返して言いますが

サービスを提供する者

サービスを受ける者

という関係になるような要素を徹底的に排除しています。


なぜ個人の住まいにこだわるのか

わたしは20年近く会社員をしていたのですが、2011年に40歳を迎えたことや東日本大震災などがきっかけで、それまで無我夢中に働いていたというのに、まるで我に返ったように自分を見つめなおすようになりました。

それまでのようなハードワークをこれからの40代・50代・60代(人生100年時代だとしたら...ずっと!?)続けていけるのか。

その一方で、SNSやスマホの普及によって個人でもいろんな可能性が高まっているのではないかと考えるようになりました。

結果、わたしは会社員であることをやめ、フリーランスとして全国にある交流の場を3年以上も旅しながら働くようになりました。シェアハウスのほかにも、ゲストハウス、コワーキングスペース、それらとは似て非なる多様な場を拠点にしながら...。

はじめは働き方を変えたくて旅したのですが、各地でいろんな価値観や生き方に触れるうち、いつしか自分の場を持ちたくなりました。

そうした3年以上もの全国旅の集大成が「ギルドハウス十日町」です。

その2015年の立ち上げと同時に、わたしは従来の働き方をやめ、自称「ソーシャルな隠居」という新しい生き方に挑戦しています。


以上のような経緯でギルドハウス十日町を立ち上げるにあたり、全国の交流の場で良いところも釈然としないところもたくさん見てきたなかで、頭の中にたまった情報をそぎ落とし、そこから「死ぬまで楽しく暮らすこと」の実現に必要なものは何かと自問しました。

その結果、出た答えが、ただの個人の住まいだったんです。


シェアハウスやゲストハウスの経営も考えましたが、事業というスタンスだとヒト・モノ・カネが多く必要で計画性も重視されます。

とくに8~9割くらい計画的だと想定内のことしか起きないんです。

そして、計画が狂うと取り返しがつきづらいので、つまりは「失敗できない」状況に陥りがちです。


(一応ここで念のため書いておきますが、あくまで個人の見解です)


いやいや、いろいろ計画しておいたほうが失敗が少ないでしょ、と思われるかもしれません。

でも、今回の新型コロナウイルスの件、わずか数か月前でも予測できた場がどれほどあったでしょうか。

そういえば全国的にも有数の観光地にある大人気のゲストハウスでさえ、たった1ヶ月の営業自粛で運営資金が底をついた、という話を聞いています。


わたしにとっては、8~9割を計画する事業に魅力を感じません。

ギルドハウス十日町は、1割の計画性で始めた住まいです。

残りの9割をあえて余白として残し、住人たちや冒険者たちを勝手に信頼して任せています。

だから想定外の出来事が毎日のように起こります。

ギルドハウス十日町にある9割の物事は、誰かが持ちこんだり作ってきたりしたものです。

そんな想定外の足跡が地層のように蓄積されているからこそ、ギルドハウス十日町でそれを体験したひとが「おもしろい」と感じ、ひとがひとを呼び、たくさんの人の渦を作り出すのでしょう。

そうした場を実現するために良いと思ったのが、8~9割の計画をもっていろいろお膳立てをしていく事業ではなく、1割の計画性と9割の偶発性をひきおこす個人の住まいだったんです。


新型コロナ時代に対応できる住まいとは

誰かがほとんどお膳立てした住まいというのは、そのレールに乗ればいいし、ルールも体験価値もあらかじめ用意されているのでラクチンです。消費や労働に対してのみ徹底的に合理的に考えられた住環境もそうですね。

ただ、予測不能な新型コロナ時代では、誰かがお膳立てした住まいだと自分たちで変化に対応できない(=誰かの対応待ちになる)のでは?

その証拠に、ふだん外に向かって非日常や刺激を求めるあまり、肝心の日常がつまらなくなっていませんか?

外出自粛要請によって外での非日常や刺激が制限されたなか、あなた自身の工夫で住まいの日常は充実したでしょうか。それとも国や誰かのせいだと不満を言ったり聞いたりしてストレスが溜まりましたか?


(んー...なんだかもう少し柔らかい表現にできないものだろうか)


あ、そうそう。
ギルドハウス十日町の裏庭に、いつのまにやら住人が《大きなテント》を設営しました。それがどんなふうに使われるのか楽しみです。

自分の家なのに、勝手にいろいろ変わっていきます。ここで暮らしていると新型コロナウイルスのことを忘れてしまいそうなほどに。


まずは自分が幸せに。
そしてその日常が誰かの価値にもなったとき。
そんなふうに分かち合うことで幸せは初めて本物になる気がします。


ひとは一人では生きていけません。
自分以外の誰かと、どんなふうに暮らすか。
そこでは信頼関係が問われるでしょう。


自分と誰かで日常を楽しく変えていける住まい。
血縁の有無にかかわらず心地よい信頼関係を築ける住まい。

それがわたしの考える、新型コロナ時代に対応する住まいです。

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